珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットの文章7

2019-10-15 | 思うこと
私はやっていないけど、ツイッターってほんの短い一言を書いていく。

長文でさえ「その中の一言を切り取って」揚げ足取りをするのが好きな人がウヨウヨいる昨今に、一言でその人の真意を書くのは難しいと思う。

 昔、「ビッグ」とか「不倫は文化とかいう、言葉を切り取ったりくっつけたりして大騒ぎされたタレントさんもいましたっけね。
 一言を切り取って揚げ足取りの得意とするのは、それこそマスコミの文化なんだろうか。

ちなみに文化と言われた方は、それで仕事に影響が出て、その年の年収より前年度の税金の方が高かったなんて言われたりもした。
(それも大きなお世話だよね)
マスコミって人の人生を左右しかねないのに、自分たちの金儲けの責任以外は知ったことではないのかもしれないけど。

長文も一言も、私は両方ともすごく難しいと思う。
難しくてツイッターもしないし、長いブログ記事もなかなか書けない。
疲れさせず誤解されず、事実を書くことってお金を稼ぐよりも考える。

一方で、「毒母」なんてそう他人に書ける言葉じゃないのに、簡単に書いて逃げる不思議な記者もいるんだなあ。
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シャッターせず

2019-10-15 | S教団関係
あるS会員さんのブログに乗り込んできた方と、ブロガーさんとの対談を読んだら、
不都合はシャッターするとか暴言を吐いて対話にならないのは、人によると、ますますもって明確にわかった。

かねてから言っていたけど、そんなものに
Sだとか、そのアンチだとか、他宗だとかは一切関係ない。

大事なのは、これがわかったらこの明瞭な事実をシャッターせず、「そうなんだ」と直視してはっきり改めることだと思う。
いくら過去に浴びるほど「S会員は独特な習性があって、一般にはないシャッターする」とか「自分とちがって言語が通じず、対話にならない」
とか頑なに信じ込んで、断言していたとしても、
その時はそう思ったけど、それは人によるよね、どの立場でもあるよね、と。

私は途中でそう思ったから、思った時にそう書いた。
思ったら書く。
それが違うなあと思ったらまた書く。

でないと「すっとぼけてなかったことにする」と、人のことは言えないだろうから。

考えや認識の一つを改めたところで、またそれをいちいち人生やプライドが崩壊するなんて騒ぐ?
だとしたら、それもじゃあ
「そこまで思いつめることでもない」と改めればいいんじゃないかなあ。
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