珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

珈琲一杯の時間

2019-10-23 | 日記
書籍化された、愛読しているブログの本を注文したら届いたので、久しぶりにペーパー本を読んでいる。

紙の質感だろうか。
横書きが縦書きになったせいだろうか。
編集の上手さだろうか。
また違った味わいがあって、面白味の幅も増したように感じる。
いつもの珈琲を極上の空間で、洒落たカップで頂いているような感じというのかな。

前スレで書いたように、私にとってブログやネットの書き込みって珈琲みたいなもの。
別に気難しく読んでるわけじゃなくて、インスタントでも美味しく飲むものもあれば、雰囲気が好きで行く店もある。

苦くて濃いものを飲んで頭が冴える時もあれば、たまには甘いラテが欲しい時もある。

ああこの人の炒れる珈琲は間違いないなあと思う一方、
この人のは何が入ってるのかわからない、こいつのは雑巾の絞り汁でも入れてるかも( ̄▽ ̄;)なんてのもね。

別に信ぴょう性がなくても、不快でも死にはしないけど、うっかりまずい珈琲を飲んだガッカリ感は頂けない。

珈琲タイムは楽しい遊びでありながら、どこか本気。
一杯一杯を堪能したいのである。
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ファンタジー3

2019-10-23 | 思うこと
ネットがメディアの主流になって久しく、良いところは
スポンサーからの圧力から解放されて、真実が述べられるところと言われた。
それは確かにある。

でも一方で
何の責任も取らずに、匿名がデタラメを書いても言い逃げできるという側面もある。
それも確かにある。

何でも両面があると思う。
両面あるのに、一方しか言わない人が私は不思議に思う。

さてあなたは「自由です。両方できます」と言われたらどちらを選ぶか?

残念ながら圧倒的多数が、
好き勝手は言いたいけどツッコミも批判も嫌よ。
責任?何それ、おいしいの?
そんな正義感を振り回すなんて偽善よねえ。
そんなの偽善よ、偽善、偽善、はははーーー(* ̄Oノ ̄*)
ワタシはただ満足したいの。
人ってそういうものよ。

こんなもんじゃないかなあ。

それも自由かもね。
だけど「責任をとらない自由」が承認されたとしたら、それはどっかの小説みたいなファンタジー。
まあそれでも甘ったるい一部の支持者はいるんじゃない?

週刊誌だろうとネットだろうと、プロだろうと素人だろうと、どんな時代だろうとファンタジーを書きたい人は一定数いる。
好みの問題だろうけど、私は白けて読めないなあ。

まあ別に美味しい珈琲を飲んでも、まずい珈琲を飲んでも命に別状はないけどね。
気難しいこと言わず、まずくてもシャレで飲めばいいのかもね。
そんなのたいしたことないじゃん。
チガイ?そんなもんわからんな~はははって人もいるしね。
そういう人はそれでいいんじゃない。

 私は珈琲の一杯は「美味しいなあ」と思って飲みたいだけなんだけどね。


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