珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

繰り返し

2019-10-17 | 日記
私はいろんな本をたくさん読む読書家ではなくて、どっちかというと同じ本を何回も読むタイプである。
その習慣はネットに来ても変わらなくて、好きなブログは何度でも読む。


ブログは過去記事は読まれないといわれるけど、私はそんなことはなくて、好きな記事を何度も読むのがすごく楽しい。
何度も読みたくなる文章って、くどくなくて想像力や余韻を残すというのかな。
そしてリズムが心地よいので、またその心地よさを体感したくなる。
今日は今も読んでいる、書籍化されたそのブログの本を買ってしまった。
紙にしてまた読みたいほど好きなのである。

最近、娘の忘れ物が目につくので、出がけに「あれ持った?これ持った?」と声かけをすることにした。
4日くらい続けたら「うるさい」と言われた。
そして机の上には水筒が忘れられていた( ̄▽ ̄;)

自分で気をつけようと思わない限りしつこく言っても無駄だと、ますますもって今日新たとした。

私のつまらん説教など、繰り返し聞きたいどころか耳障りなその対極。
はやく自分に響く言葉と出会いなはれ。

繰り返し、粘着、執拗、重ね重ね…で効果があるのは、書き手ではなく読み手側。

書き手側が100回書いても読み捨てられるより、一つを100回読まれるものには適わない。

読み書きしながらよく思うことである。
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価値観4

2019-10-17 | 日記
高齢で、テレビを観ることだけが唯一の趣味になった母親に、夫の関わった作品を伝えてもなかなか見てくれなくなった。
寝るのが早いので、9時以降から始まる番組は起きていられないという。
番組録画の操作も、DVDの操作もできないので映画も無理である。

でも根本はそうではなくて、
母はフィクションというか、芸術作品に興味がないのである。

「奇想天外な作り話なんか面白くもなんともない」
「そんな架空の話に付き合っている暇があったら、ニュースかワイドショーが見たいわ」


今までこれで何度も言い合いしたけど、最近は諦めた。

心を揺さぶられるような脚本よりも、「隣の晩ごはん」を見て、どこの誰がどんな家で何を食べているか覗き見する方が楽しい。
言い方はわるいけど、そうなのかなあと思う。

役者のパフォーマンスや作品鑑賞より、役者のプライバシーやゴシップが好きな人。

この溝もなかなか埋まらない。
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