珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

私には合う

2019-10-25 | 思うこと
以前から書いているが、私はこうなったのは××のせい。
物事は「原因があって結果があるという考え方にずっと窮屈さを感じていた。

物事のすべては因果にある。
「人から不快なことを言われたから修羅の命が出た」
人の感情は縁に触れるという
因がないと怒るという結果が出ない。
××が縁になりあなたに宿っている命を引き出している。
こうなったのは
過去世にあなたの積んだ行いによるもの。
なんて調子ね(笑)

「このような因果の法則には誰をも逃れられない」
この
トドメね。

因果といわれると何やら科学的で決定的で、こう言われれば黙るしかないような中、
殊更、一切をこれで封じ込ませようとする教えが、ただもう窮屈。

窮屈なだけじゃなくて、これは人によってネガティブな他責癖をつけるのではないかと思う。
何かに原因を探す癖というかな。

それがですよ。
あなたが今、修羅みたいに怒っているのは、他責ではなく、
修羅になることで「相手を支配したい」という、過去ではなく、今ここを出発点とした自分の目的が作り出したことにすぎない。


この理屈を聞いた時、霧が晴れるように私は納得した。
どっちかが正しい、間違っているではなくて、私はこちらの方がはるかに説得力を感じたということ。

こんな歪んだ性格になってしまったのは、
受験に失敗したのは、失恋したのは、結婚に失敗したのはと、
とクドクドと力説するのは、
 ××のせいではなく、そうやって過去を持ち出してまでも自分を正当化したいという今の自分の目的なだけ。

返す返すも私にはしっくりくる。
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