珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

納得した言葉3

2019-10-26 | 思うこと

他人の足を引っ張る奴らは、いつになっても成長しない。 他人が落ちるところを見て、停滞している自分を慰めているからだ。 直面する現実に対する悔しさを、他人にぶつけるのではなく、自分のために使える勇気がなければ、一生地べたを這いつくばることになる。

不公平だ?誰かが助けてくれる?そんな時を待っていたら短い人生はあっという間に終わってしまう。


これはメンタリストDaiGoさんの言葉です。

いいですねえ。 

実に気骨のある言葉と思います。

他人の不幸や失脚を煽って眺めたところで、自分の人生が上がるわけじゃない。

無関係。

 

納得した言葉

https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/e/e4a656d6b212e1408dfb0ac26a5818f6

納得した言葉2

https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/e/a7c5aac2440a906f8237d1e7c441e8cb

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一蓮托生

2019-10-26 | S教団関係
S団体は衰退している。
何年か前までいた若者も、魅力的だったあの人もこの人もいなくなった。
座談会は常連の年寄りばっかりで、壊れたテープレコーダーみたいな同じ話の繰り返し。
体験談は「それいつの話?」ってやつだよね。

それを見て
「座談会なんて年寄りばかり。新しい人なんて入ってきましたか?現実を見て~」
と意気揚々と言うアンチ。

でもね。
当たり前だけど、アンチは「シンパあって」のアンチである。
100いたシンパがゼロになって、その分アンチが100になるわけではない。


Sが衰退したら、矛先を失ったアンチも同じように衰退するのである。

事実、Sの衰退が衰退した分、めでたくアンチも衰退している。
Sにはまだ若者がいたけど、アンチブログなんて若者がいた時代すらない(笑)
もともと中年層が始めて、ちょっと人気を集めたのも一時期のことだった。
言いたいことは、電光石火のネットであっという間に書きつくされた。

面白かったブログが更新が止まったり、閉鎖されて、読み応えのある記事が消えていくのは自然なことと思う。
或る意味よいことではないだろうか。

シンパがイケイケなら、負けじとアンチもイケイケ。
シンパが元気がなくなれば、アンチも元気がなくなる。
Sが無くならずに「少し」になるなら、SありきのSアンチも「少し」になる。
願い通り
撲滅したら、アンチも撲滅するでしょう。

反目し合っているようで、二つは一蓮托生なんだよね。
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