珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

どうでもいい話5

2019-10-20 | 日記
某イケメン俳優さんと、渋谷で食事をした夢を見た。
ウキウキして目覚めたら、ちょうど夫が仕事に行くところだった。

「オマエってホント幸せだね( ̄▽ ̄;)」
「でもね、彼は私よりガッキーの方に目当てだったのよ」
「ガッキー?誰それ?」
「新垣結衣さんよ」
「知らん」

というわけで彼はガッキーは知らなかったけど、俳優さんに「カミさんが夢に出てきて喜んでいました」と伝えてくれた。
俳優さんは笑って「奥さんにヨロシク言ってください」と。

わはは~( ̄∇ ̄)
マジメに生きていたら、こんなささやかな幸せもあるんだなあ。

ホントしょうもない話でスイマセン!!
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再利用先

2019-10-19 | 思うこと
日本の災害時の避難所は、設備のない公立の学校の体育館である。
これは先進国とそしては、ダントツにお粗末だそうである。

そうだよね。
冷暖房も個人のプライバシーもベッドもない、寒々とした板の間で、トイレの数だって全然足りない。
電源もコンセントもない。
本来、学生の教育のために使うはずのそれが、避難住民がいる間は機能しなくなる。

なんでそれ専用の施設を造らないんだろうか?
予算がないのかなあ。

Sの会館はそんな時にピッタリである。
学校と同じくらい、どこの町にも辻々にある。
頑丈な造りで、窓ガラスは強力な二重サッシ。
そこらのホテルの宴会場より広い、清潔な畳敷きの大広間があって、駐車場も広く完備している。
庭には自動販売機、玄関ロビーにはウォターサーバーがある。
広い玄関ロビーには、入れやすい巨大な靴箱も充実。
トイレも体育館よりは確実に多い。
防音にも耐震にも最高設備が施してあり、エアコンも空調も通信設備も、最新式で完備されている。
電話もFAXもPCもコピー機も完備した事務所も、荷物の保管スペースもある。
清掃用具も豊富に揃っている。


こんな施設が夜間、日中ともに殆ど空いて使われずにいるのに、皆は不便な体育館に行くしかないなんて あーMOTTAINAI!!

S会員や職員が、そんなマネージメントをやりなさいと言っているのではなく、
こんな避難所こそに最適な施設は、国に売却、いや贈与すればいいのになあと思う。

私はずっとS会館の二次利用を考えていたけど、理想的な避難場所と思うのは納得ではないだろうか。
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プチ鍋

2019-10-19 | 趣味の話
秋も深まってきました。
人って自分の誕生日付近の季節が好きになるという話を聞いたことがあるんですが、晩秋生まれの私は当たっています。
年中薄着派としては真冬も大好きv('▽^*)

これがまた極端に寒がりの夫と着ている服の枚数の差が
3枚と言ったら、友人に
モンゴルに行け!!
と言われた海です。

でもここ数年「寝る時だけ」は寒がりになったんですよ。
真冬はホカロンを背中に貼って、厚手の毛布二枚に羽毛布団です。
なんでだろう??
すいません、どうでもいい話でしたね( ̄▽ ̄;)

ところでこれからの季節に楽しいのは鍋。
というより、私が気に入っているのが
プチ鍋なんです。
数年前から出回っている「プチ鍋用のだし汁」を考えた食品メーカーさんは素晴らしいアイデアを出されたと思います!!

鍋=ドカーンと作って大勢でつつく、ではなくて一人でちょっと一杯やりながら食べたい時があるんですよね。

小さな土鍋はなべ焼きうどんでも重宝しますが、私は大好き(*^^*)
お弁当箱同様、この「可愛い」はわかりますかね?

そういうわけで、土曜も仕事に行って家事も頑張って済ませてから頂く一杯やりながらの一人土鍋ランチって幸せだわ~\(^▽^)/




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ネットにまつわるあれこれ38

2019-10-18 | ネットにまつわるあれこれ
ネットって、表立って言いにくいことをこっそり書くという人が多いからだろうか?
不思議に思うことの一つに、頻繁に書かれる「価値観を押し付けてくる」というものがある。

これは他ブログのコメントで書いたことがあるんだけど、(私の感覚では)人にものを押し付ける方がはるかに難しいと思う。
優秀なセールスマンでも、何か一つモノを売るって大変なこと。
でも断る方は誰でもできるというか、その何倍も簡単では?

でもネットの中では「押し付ける」が圧勝してて、断る方がなぜか非力になっている。
「押し付ける」はワルモノだけど「押し付けられる」には同情的。

仮にネット上で独裁者みたい人が断言口調で演説していても、それはバナナの叩き売りをしているようなもの。
「私はそうは思わないからそれはいらないわ」と思えば(言えば)、決して自分に押し付けられているわけじゃない。

「押し付けられた」は偉くも何ともない「押し付けてくる」とイーブンでは?
要らなければノーセンキューと言えば、「押し付けられた」は無くなるのでは?


個人への中傷じゃない限り、これで「押し付けてくる」の被害届けは減らないかなあと思ったりする。

はい、これも「こんな意見いらんわ」と思う人は受け取らないでくださいね!≡≡≡ヘ(*゚∇゚)ノ
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煽られどころ

2019-10-18 | 思うこと
私は喧嘩っぱやいので、売られた喧嘩は衝動買い爆買いもするけど(笑)、でも買わない分野もあるんですよ。

それはネガティブな煽りというのかな。

今までの人生を全否定なんて、辛すぎてできませんよね?
恐ろしいですよね?
認めたくないですよね?


この手の煽りは全然( ̄∇ ̄)

何言ってるの?
だって生きていく限り新たな発見は当たり前のことで、状況も都合も気が変わるのも自然なこと。
人生なんてその繰り返しで、それこそが面白いんじゃないの?

災害のインタビューの度に
「×年ここで生きてきましたが、こんなことは初めてです」

「×年これを信じてきたけどそうじゃないんだなあ」と人生の否定をくりかえす。
 これこそがいい加減、信じるものなんじゃないの?


私はそう思うんだけどね。
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繰り返し

2019-10-17 | 日記
私はいろんな本をたくさん読む読書家ではなくて、どっちかというと同じ本を何回も読むタイプである。
その習慣はネットに来ても変わらなくて、好きなブログは何度でも読む。


ブログは過去記事は読まれないといわれるけど、私はそんなことはなくて、好きな記事を何度も読むのがすごく楽しい。
何度も読みたくなる文章って、くどくなくて想像力や余韻を残すというのかな。
そしてリズムが心地よいので、またその心地よさを体感したくなる。
今日は今も読んでいる、書籍化されたそのブログの本を買ってしまった。
紙にしてまた読みたいほど好きなのである。

最近、娘の忘れ物が目につくので、出がけに「あれ持った?これ持った?」と声かけをすることにした。
4日くらい続けたら「うるさい」と言われた。
そして机の上には水筒が忘れられていた( ̄▽ ̄;)

自分で気をつけようと思わない限りしつこく言っても無駄だと、ますますもって今日新たとした。

私のつまらん説教など、繰り返し聞きたいどころか耳障りなその対極。
はやく自分に響く言葉と出会いなはれ。

繰り返し、粘着、執拗、重ね重ね…で効果があるのは、書き手ではなく読み手側。

書き手側が100回書いても読み捨てられるより、一つを100回読まれるものには適わない。

読み書きしながらよく思うことである。
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価値観4

2019-10-17 | 日記
高齢で、テレビを観ることだけが唯一の趣味になった母親に、夫の関わった作品を伝えてもなかなか見てくれなくなった。
寝るのが早いので、9時以降から始まる番組は起きていられないという。
番組録画の操作も、DVDの操作もできないので映画も無理である。

でも根本はそうではなくて、
母はフィクションというか、芸術作品に興味がないのである。

「奇想天外な作り話なんか面白くもなんともない」
「そんな架空の話に付き合っている暇があったら、ニュースかワイドショーが見たいわ」


今までこれで何度も言い合いしたけど、最近は諦めた。

心を揺さぶられるような脚本よりも、「隣の晩ごはん」を見て、どこの誰がどんな家で何を食べているか覗き見する方が楽しい。
言い方はわるいけど、そうなのかなあと思う。

役者のパフォーマンスや作品鑑賞より、役者のプライバシーやゴシップが好きな人。

この溝もなかなか埋まらない。
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お互い様

2019-10-16 | S教団関係
私はS会員から、「もうやりたくありません」或いは「要りません」と言ったのにしつこくされたことはない。
皆本当にあっさりした人たちだった。

だから「しつこくてノイローゼになりそう」とか「怒鳴って追い返した」「警察呼びますと言った」
なんて話を聞くと、な、なんでそんなに物騒になるの(・・;)?とびっくりしてしまうけど、
でも、考えてみればですよ。

逆に「私はやります」と言ってる人に、放っとけないし、よかれと思って、決して諦めずしつこくしつこくネットに書き続けるのだって同じですよね。
いや、アンチの執念の方が激しいくらいと思う。

やり方が違うだけで「何とか相手を自分の思っている方へ」という、その執念ってお互い様では?

多分双方とも、しつこくされて気が変わった人はいない。
それは
逆効果と知っている。

自分には逆効果なことを、人にはしたい不思議。
そして、人はしつこいけど自分はしつこくないと思う不思議。
それはお互い様なのにね。
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目が笑っている

2019-10-16 | 思うこと
目が笑っている。
私はこれは当たり前と思っていた。
人が笑うのなんて「心から以外何があるの?」と。
 
「目が笑っていない人」(心から笑っているわけではなくてふりをしている人?)
なんて人がいるというのもネットで知ったことだけど、そんな人っているんだろうか。

ネットで知り合った人と実際に会った時、私は「笑うと目が三日月になる」と書かれたけど、はい、私は当然目で笑いますよヾ(≧▽≦)ノ
声でもめっちゃゲラゲラ笑います。
(余談ですが、実際話した人の中でゼロさんは『ゲラゲラ笑う人』でした)

私は決して、クールな人が好きな人間じゃありません。
だって小学校6年生の時、芸能界とかタレントにかなり音痴だった私が初めて
心臓をぶち抜かれてファンになったのが、 こんな笑顔を持つ人だったよ。



それ以来、冷笑でも苦笑でも嘲りでも愛想笑いでもなくて、とびきりの優しい笑顔でいる人は信じている。

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ネットの文章7

2019-10-15 | 思うこと
私はやっていないけど、ツイッターってほんの短い一言を書いていく。

長文でさえ「その中の一言を切り取って」揚げ足取りをするのが好きな人がウヨウヨいる昨今に、一言でその人の真意を書くのは難しいと思う。

 昔、「ビッグ」とか「不倫は文化とかいう、言葉を切り取ったりくっつけたりして大騒ぎされたタレントさんもいましたっけね。
 一言を切り取って揚げ足取りの得意とするのは、それこそマスコミの文化なんだろうか。

ちなみに文化と言われた方は、それで仕事に影響が出て、その年の年収より前年度の税金の方が高かったなんて言われたりもした。
(それも大きなお世話だよね)
マスコミって人の人生を左右しかねないのに、自分たちの金儲けの責任以外は知ったことではないのかもしれないけど。

長文も一言も、私は両方ともすごく難しいと思う。
難しくてツイッターもしないし、長いブログ記事もなかなか書けない。
疲れさせず誤解されず、事実を書くことってお金を稼ぐよりも考える。

一方で、「毒母」なんてそう他人に書ける言葉じゃないのに、簡単に書いて逃げる不思議な記者もいるんだなあ。
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シャッターせず

2019-10-15 | S教団関係
あるS会員さんのブログに乗り込んできた方と、ブロガーさんとの対談を読んだら、
不都合はシャッターするとか暴言を吐いて対話にならないのは、人によると、ますますもって明確にわかった。

かねてから言っていたけど、そんなものに
Sだとか、そのアンチだとか、他宗だとかは一切関係ない。

大事なのは、これがわかったらこの明瞭な事実をシャッターせず、「そうなんだ」と直視してはっきり改めることだと思う。
いくら過去に浴びるほど「S会員は独特な習性があって、一般にはないシャッターする」とか「自分とちがって言語が通じず、対話にならない」
とか頑なに信じ込んで、断言していたとしても、
その時はそう思ったけど、それは人によるよね、どの立場でもあるよね、と。

私は途中でそう思ったから、思った時にそう書いた。
思ったら書く。
それが違うなあと思ったらまた書く。

でないと「すっとぼけてなかったことにする」と、人のことは言えないだろうから。

考えや認識の一つを改めたところで、またそれをいちいち人生やプライドが崩壊するなんて騒ぐ?
だとしたら、それもじゃあ
「そこまで思いつめることでもない」と改めればいいんじゃないかなあ。
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偏食粗末記

2019-10-14 | 娘と夫の話
急に寒くなったのでポトフを作った。
ひと鍋に野菜がたっぷり入れられる、主婦には有難くラクチンなメニューである。

が、娘はコンソメ味が今一つ好きではなくて、なかなか食が進まない。
キノコもキャベツも玉葱もレンコンも拒否して、食べるのはジャガイモと人参と肉を少しだけである。

ちなみに生野菜で食べられるのはトマトのみ。
レタス一枚、きゅうりひとかけを拒否である。

彼女の偏食は「嫌い」の他に「あまり好きではない」が多岐に渡って、調味料も難しい。

塩コショウと醤油と味噌とカツオダシは好きだけど、ホワイトソース、マヨネーズ、ドレッシング各種、ウスターソース、トンカツソース、焼肉のタレは嫌い。
カレー味とケチャップとトマトソースは、まあまあ何とか。
故に、子どもが喜ぶはずの、グラタンもホワイトシチューも焼きそばも喜ばず、
トンカツはソースなしで食べられるように塩コショウをしっかりと効かせるとか、焼きそばは袋についている粉末を使わないで、鶏がらスープを使う栗原はるみさんのレシピを参考にしたりする。

キャベツと玉葱を食べてもらおうと思ったら、炒めたらNGで味噌汁のみOK。
だから我が家はキャベツと豆腐、ジャガイモと玉葱の味噌汁がやたら多くなる。

寿司屋に行っても食べるのは、サビ抜きのサーモンとまぐろとはまちとイクラのみ。
イカもエビもタコも、こはだもアジもイワシも、あなごもうなぎも食べられない。

おでんの具も、ちくわぶとつみれとがんもどきは断固受け付けない。
さつまあげも好きではなく、食べるのは大根とこんにゃくぐらい。

トーストにはバターもジャムも拒否。
チーズやハムを乗せても、バターは塗るなという。

牛乳は好きだが、コーヒーもコーヒー牛乳も豆乳も紅茶も一切飲まない。
フルーツジュースもオレンジを少々飲むくらいで、炭酸は飲めない。
お茶も面倒くさくて、私がいちばん好きなほうじ茶がNGである。

アイスやお菓子でさえあれが嫌いこれが嫌で、チョコレートにナッツが入っていたら食べないだの、ハイチュウの何味なんていうものまで制限がある。

ここまで書いていてかなり腹が立ってきた(-_-メ;)・・・

そしてこれでも、かなり改善されたのである。
3歳くらいまでは、白米、味噌汁、海苔、シャケのフレーク、茹でたブロッコリーと、トマト、フライドポテト、ヨーグルト、フルーツのみで育てた。
唐揚げもしゅうまいもミートボールもどうやっても食べず、つまらなかったもんである。
(これは今は食べるけどね)

今も私の食いしん坊仲間にはなれないし、食事をしていてもつまらない。
こんなつまらない女と、将来つきあって楽しい男がいるのか甚だ心配である。

そういえば、時代の寵児といわれたあるミュージシャンが、ホームパーティーに呼ばれた時
「チーズが好き」と聞いたその家の奥さんが、いろんな高級チーズをそろえてスライスして出したところ
「こんなんじゃなくてさ、スーパーにある三角の6pチーズみたいのがいいんだよ」
と言われたそうである。
高級外車を何台も乗り回しながら「食べることに興味がないんだよね」と聞いて、へえそれぞれなんだなあと思った。

こういう人とうまくカップリングされればいいわな、と諦めてもいる( ̄ω ̄;)
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働くこと

2019-10-14 | 仕事の話
夫の仕事が今日も急遽、中止になった。
予定していた撮影場所の病院が浸水したり、区役所が災害本部になって「それどころ」じゃなくなったそうである。
エンターテイメントなんて偉そうなことをいっても、娯楽産業はやはり二の次なんだなあと思う。
東日本大震災の時、多くの映画が延期されたり自粛されたことを思い出す。

これらは、安定した生活の土台があってこそ求められるものなんだよね。

一方で、現実的な仕事に従事する私は忙しい。
昨日は強風が残る中、掃いても掃いても吹き飛ばされる大量の落ち葉と格闘して、
今日は逆に小雨で地面に張り付いた同じくそれを片付ける。
どちらも地味すぎる職人技を使って何とかする。
雑巾がけ一つ、皿洗い一つでもプロというものがあると信じたい( ̄▽ ̄;)

改めて、もっともっと大変な復旧に尽力される人にご苦労と感謝を思う。
「働く人」は、私は皆平等に愛しくて尊敬の対象だけどね。

病むとか鬱とか、メンタルがやられるとかに優しい理解が寄せられる昨今。
微力でも、何かしらでも人のために
働けば、チンケな自分なんて何とかなるんじゃないかなあと思う。

仕事で病む人も多いけど、働くことで救われることもあるんじゃないかなあ?

働くことしか実感として知らない、主婦の一意見だけどね。
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住むとこいろいろ

2019-10-13 | 日記
18歳で単身上京した時、私は7年ほど都心の下町に住んでいた。
よかったところは何と言っても商店街が充実していたところだった。
小さなアパート暮らしで、スーパーで食材を買ってちゃんとした料理ができなくても、ファーストフードでもコンビニ食でもなくて、商店街で手作りの美味しいお惣菜が、懐にやさしく食べられた。
コロッケもおでんも一人分から買えた。
食いしん坊の私としては、それがとても有難かった。

結婚してしばらくは、都心で通勤に便利なところが「いいところ」と憧れて住んだりもした。
仕事帰りや休日に、お洒落なショップに出かけるのが楽しくてたまらなかった。
インテリア雑誌を読んでは、ホームパーティーなんかにひたすら憧れた時もあったような。

今は一にも二にも安全だろうか。
余計なものは持たず、飾らず、見栄も張らず、自分の居心地のよさしか考えなくなった。

以前、「丈夫でシンプルで合理的な業務用が好き」と書いたことがあるけど、今私が好きなものは総じてそういうものかなと思う。
高層マンションは停電が怖いし、ウォーターフロントだのベイエリアだのも怖い。
液状化する地盤も心配。

人からの見た目や評価より「自分のしっくり」の方にどんどんスライドしつつある。

私の私生活なんて、勘繰るようなシロモノじゃございません(笑)
ほんの暇潰し程度のブログのボヤキのおつきあいを、これからもヨロシクです。
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ストレス解消2

2019-10-12 | 日記
ネットで、リアルで言えないことをぶちまける。
これがストレス解消になる人がいる。
ところがSNSによるストレスなんてものもあって、ストレス発散のためにやってることがストレスになるんだってさ。
フォロワーがどうとか「いいね」がどうとか、付き合いがどうとか?
わからないけど。

遠い昔。
私は絵を描いている時と、泳いでいる時、それは満ち足りていた。
紙は新聞広告の裏で、書くものは鉛筆かボールペン一本だけ。
泳ぐ場は、近所の海か、学校の何てことない公立の小学校の屋外の25メートルのプールだった。
コンクールも発表会もない。
でも一分一秒が楽しくてしょうがなかった。

本当に好きなことって、どんなストレスさえも幸福に変えてくれるんだよね。

私は書くことが本当に好きなので、書ける場があれば、それでストレスを感じることはない。
ネットで疲れるというのは、書くことが本当に好きでもないんだろうね。

ネット疲れなんてものを感じるなら、どうぞ本当に好きなことを見つけなはれ。
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