主夫、銀杏の俎板に会う!
埼玉県比企郡--大河ドラマ、鎌倉殿にて佐藤二朗(比企能員)の怪演によって一躍脚光を浴びた比企一族が収めた郷とされる。
ときがわ町は、その比企郡を構成する7つの町の一つである。町の説明の一つに、「奥秩父山系を背にした自然豊かな町」とある。そう、ときがわ町は埼玉県のほぼ中央に位置し、木のむらとして知られている。
この町には、農産物の買い物や植物鑑賞のため、2010年以前から月に一度ほど訪れていた。
トップの写真は、2011年9月に訪れた折に、当地の椚平(くぬぎだいら)で撮影したシュウカイドウの群生である。
そう、そう、春もいいのだよ。開基1300年と言われる天台宗都幾山慈光寺境内に敷設されている‶慈光山歴史公苑、そこには「里ざくらコレクション」と称して約50種300本の桜が人々の目を楽しませてくれる。
なぜ、このときがわが木のむらと言われるようになったのか? それは、この慈光寺の建立に集った全国の匠たちが同寺完成後もこの地に居を構え、里人たちに技術を伝えたのが始まりとされている。
📷2022年8月22日 建具会館の正面入り口。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022年8月22日 戸外に並べられている端材。こちらは、格安で手に入る。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
狭山からときがわ町まで直線距離で25㎞ほど、高度医療で知られる埼玉医科大学国際医療センターがある日高、毛呂山、梅林で有名な越生などを経由して約1時間ほど。
ときがわ町に入ると、製材所とか、木工所とかの看板が目立つようになる。このときがわ町で、お手ごろな値段で木工品が手に入るのが建具会館である。
ここでは、慈光寺番匠の技術を伝承した職人が丹精を込めて作り上げた美しい意匠で好評の「建具」の展示や、家具、工芸品、地元特産の農産物加工品などが販売されている。
もちろん、主夫にはかような大物など目に入らない。とにかく、使い勝手のいい大きさと軽さを兼ね備え、リーズナブルなお値段の俎板を物色しようというのだ。
📷2022年8月22日 屋内に入って右側奥に、お目当ての俎板が陳列されている。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022年8月22日 建具展示コーナー。小物から大物まで選り取り見取り。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
屋内に入って右側奥に、お目当ての俎板が陳列されていた。
俎板の素材も檜、檜葉、桐など、いろいろあるのだが、なかでも銀杏の使い勝手がよいとされている。ほどよい油分が水分をはじき、柔らかく刃当たりが優しいため、包丁が長持ちする。たとえ表面に切跡がついても復元力に優れ、フラボノイドを含むため臭いも付きにくいのだとか。
📷2022年8月22日 木の玩具だっていろいろあるよ。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022年8月22日 農産物の直売もやってる。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
いろいろ物色し、42㎝×24㎝の「天然 無垢板 銀杏 まな板」を一丁、さらに、戸外に陳列されていた90㎝×27㎝ほどの端材を2枚求め、合計2,950円を支払い、意気揚々と建具会館を後にする。
端材の使い道? こちらは、鉢物を置くための棚板とするのだよ。
この三年ほどの間、外食はMacで一度だけだったのだが・・・。禁を解き、梅の里に寄る!
📷2022年8月22日:禁を破り、越生の蕎麦屋へ寄る。
2020年初頭、疫禍が露わとなってからけっこうストイックな生活を送ってきた。旅はおろか、外食も控えてきた。
あっ、Kカーのスタッドレスタイヤを購入し、付け替えてもらった折、Macでランチを摂ったことが1回だけあったっけ。
建具会館からの帰途、車中で思ったものである。どうにも腹が減ってしょうがない。どこぞで、ナニモノかを食ってしまおうかと。
同乗している家人に問うと、「私も同じだ!」とのこと。「家まで持たない!」とのこと。
まだ穏やかであった折に立ち寄ったことがある蕎麦屋が越生にある。「梅の里」という。
あっ、あの信号だ。あの信号を右に曲がればその蕎麦屋へと続く道。そう思った途端、不思議とハンドルがくるくると右に旋回し、車のフロントが蕎麦屋を目指していた。
📷2022年8月22日 主夫が頼んだ天付きせいろ。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022年8月22日 家人が頼んだぶっかけおろしそば。 (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
海老が二本ついていた。ナスやサツマイモ、オオバやミョウガもあった。
主夫の口に入ったのは、海老が一本、ナスとサツマイモだけであった。
それでも、三年ぶりの外食の味は格別なものであった。
さて、これで安堵して帰路に就くことができるというものだ。
📷2022年8月22日:タデ科イヌタデ属ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)に出会う。
📷2022年8月22日:トウダイグサ科トウダイグサ属オオニシキソウ(大錦草)にも出会った。
越生では久しぶりの出会いもあった。野の草たちとの出会いだ。それぞれが、それぞれの好ましい環境で、精一杯に咲いていた。
📷2022年8月12日:主夫の、主夫による、主夫のための手土産がこれなのだ!
狭山、日高、所沢、2020年初頭以来、出向いた地域である。う~んっ、我ながらとてもストイックな2年と数か月であった。この日、そこに越生とときがわの町名が加わった。
人間ってやつは、いや、シニアってやつはかな、意外と狭い空間でも生活が可能なんだと思った。その間、ネットでは、本州の各地は言うに及ばず、北海道や九州、四国から、居ながらにして各地の物品をお取り寄せをしているわけで、つくづく便利な時代のなったものだと改めて思ったものである。
行動制限のない夏とは言うものの、一向に感染者数は減ることがない。何もしないから当然と言うべきか。いや、そうではなく、これこそがウィズ・コロナ時代なんだというべきか。しかしね、インフルなどはタミフルなどの服用薬があるけど、こいつにはまだ誰もが享受できる服用薬などない。対症療法用の薬だけで、行動制限なしはちょっとしんどいんじゃないかな。早く、コロナの飲み薬作ってくれよ~! そう、心置きなく旅ができるようにね。