前には電験を受けることになってしまったきっかけを書いたが、今度は電験2種の免状を手にした後の感想を述べてみようと思う。
電験3種は会社から必要とされて取った資格。そして苦労自体は思い返せばほかの受験者より少なかったと思う。むしろ任命された後に、今もほとんど引継ぎもなく自分で体当たりしながら試行錯誤で電気工作物と向き合う日々のほうが苦悩は大きい。ってよく考えればそんなもんを引き受けた自分に責任があるんじゃないの?って聞かれたら「おっしゃる通りでごぜぇます」としか言いようがない。
資格試験を受けるときは過去問を一瞥して雰囲気から受かりそうかどうかを見て決める。思えば電験2種はそこを見誤ったと思う。
ちなみに今日初めて電験1種の機械・制御で昨年の誘導機の問題を解いてみた。結果は時間をかけて中途半端に解けたというものだった。まーったく手も足も出ない雰囲気なら最初から受けたりはしない。若いうちは当たって砕けて学ぶ時間が大切だが四十路も終盤に差し掛かると、そのエネルギーを他のことに使ったほうがよく思えてくる。そう、自分の手の長さと掌の大きさの限界が見えてきたといっていい。
電験2種は届きそうで届かない。実務は施設の年数、経費、未経験の自分が手探りでどうすればよいかを探る日々。確実に自分のメンタルをすり減らし、半鬱で仕事も試験勉強も進められず意地だけで受験を続けた年もあった。当然ブログを書こうだなんて思いもしない。
今思えばそこから自分の手の長さと掌の大きさの限界を知ることと、能力の足りない自分を自分自身が受け入れる過程で得られたメンタル面の果実のほうが電験2種の免状以上に価値があったと思う。
剣術と柔術も最初は相手を倒すことから始め、最終的には自分自身と向き合うことで剣道と柔道になるように、電験2種も最終的には電気技術者試験センターではなく自分自身に向き合ったことは今思えばよかったと思っている。「電験道」まで言ってしまうと大げさであるが、それに近いものはあったのかもしれない。
電験3種は会社から必要とされて取った資格。そして苦労自体は思い返せばほかの受験者より少なかったと思う。むしろ任命された後に、今もほとんど引継ぎもなく自分で体当たりしながら試行錯誤で電気工作物と向き合う日々のほうが苦悩は大きい。ってよく考えればそんなもんを引き受けた自分に責任があるんじゃないの?って聞かれたら「おっしゃる通りでごぜぇます」としか言いようがない。
資格試験を受けるときは過去問を一瞥して雰囲気から受かりそうかどうかを見て決める。思えば電験2種はそこを見誤ったと思う。
ちなみに今日初めて電験1種の機械・制御で昨年の誘導機の問題を解いてみた。結果は時間をかけて中途半端に解けたというものだった。まーったく手も足も出ない雰囲気なら最初から受けたりはしない。若いうちは当たって砕けて学ぶ時間が大切だが四十路も終盤に差し掛かると、そのエネルギーを他のことに使ったほうがよく思えてくる。そう、自分の手の長さと掌の大きさの限界が見えてきたといっていい。
電験2種は届きそうで届かない。実務は施設の年数、経費、未経験の自分が手探りでどうすればよいかを探る日々。確実に自分のメンタルをすり減らし、半鬱で仕事も試験勉強も進められず意地だけで受験を続けた年もあった。当然ブログを書こうだなんて思いもしない。
今思えばそこから自分の手の長さと掌の大きさの限界を知ることと、能力の足りない自分を自分自身が受け入れる過程で得られたメンタル面の果実のほうが電験2種の免状以上に価値があったと思う。
剣術と柔術も最初は相手を倒すことから始め、最終的には自分自身と向き合うことで剣道と柔道になるように、電験2種も最終的には電気技術者試験センターではなく自分自身に向き合ったことは今思えばよかったと思っている。「電験道」まで言ってしまうと大げさであるが、それに近いものはあったのかもしれない。