明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

今度は逆向きに振り替える

2020-05-20 22:01:56 | 電験2種への遠い道のり
前には電験を受けることになってしまったきっかけを書いたが、今度は電験2種の免状を手にした後の感想を述べてみようと思う。

電験3種は会社から必要とされて取った資格。そして苦労自体は思い返せばほかの受験者より少なかったと思う。むしろ任命された後に、今もほとんど引継ぎもなく自分で体当たりしながら試行錯誤で電気工作物と向き合う日々のほうが苦悩は大きい。ってよく考えればそんなもんを引き受けた自分に責任があるんじゃないの?って聞かれたら「おっしゃる通りでごぜぇます」としか言いようがない。

資格試験を受けるときは過去問を一瞥して雰囲気から受かりそうかどうかを見て決める。思えば電験2種はそこを見誤ったと思う。
ちなみに今日初めて電験1種の機械・制御で昨年の誘導機の問題を解いてみた。結果は時間をかけて中途半端に解けたというものだった。まーったく手も足も出ない雰囲気なら最初から受けたりはしない。若いうちは当たって砕けて学ぶ時間が大切だが四十路も終盤に差し掛かると、そのエネルギーを他のことに使ったほうがよく思えてくる。そう、自分の手の長さと掌の大きさの限界が見えてきたといっていい。

電験2種は届きそうで届かない。実務は施設の年数、経費、未経験の自分が手探りでどうすればよいかを探る日々。確実に自分のメンタルをすり減らし、半鬱で仕事も試験勉強も進められず意地だけで受験を続けた年もあった。当然ブログを書こうだなんて思いもしない。

今思えばそこから自分の手の長さと掌の大きさの限界を知ることと、能力の足りない自分を自分自身が受け入れる過程で得られたメンタル面の果実のほうが電験2種の免状以上に価値があったと思う。

剣術と柔術も最初は相手を倒すことから始め、最終的には自分自身と向き合うことで剣道と柔道になるように、電験2種も最終的には電気技術者試験センターではなく自分自身に向き合ったことは今思えばよかったと思っている。「電験道」まで言ってしまうと大げさであるが、それに近いものはあったのかもしれない。

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敢えて世の中と逆のことを言ってみる

2020-05-20 02:50:29 | 歴史
安倍政権が世論に屈する形で検察庁法改正を引っ込めたけど、これに対して国民の勝利だというのは違うと思う。
国民の要望と国家が必要とすることが相反するときは指導者は国家が必要とすることを国民の反発に遭っても進める必要がある。
指導者は国民から選ばれ権力を行使する。
もし民草の反対の声が聞こえるからと言って施策を引っ込めさせられるならそのうち国家は立ち行かなくなる。
政治とは本質的に権力であり、必要な権力行使を大衆の声で縛っておきながら指導者に指導力を求めるなら、その論理は矛盾をきたしていることを知るべきであろう。

もちろん言論の自由が認められた日本で政権のやることが気に入らないと声を上げることが悪いわけではない。
ただし、指導者が大衆の声にすべて従う必要はない。

世論はあくまでも抜き取りの調査であり、国民の総意を公的に測るのは国民の投票行為となる。

公選の折には投票行為の選定基準は有権者個々人の確固たる自由意思をおいて他にあり得ず、複数の候補者から有権者個々人が誰の名を投票用紙に記載しようとも他人からつべこべ言われる謂れはない。
ただ、選んだ結果には国民が総出で責任を負うことになる。
安倍のおっさんが気に入らないなら正式に退場を求めるのはデモやツイートではなく公選で安倍のおっさんを退ける側が多数派を形成するというのが本筋であろう。


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