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学問と勉強とは?

2022-01-10 14:05:49 | 歴史
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学問とは学ぶことと問うこと、問いかけて学ぶことや、学びを通じて生じた疑問を問いかけ続ける姿勢を指す。根源にあるのは好奇心。

一方で勉強とは勉めて強めていくこと、強く勉めることを指す。原動力は努力。

つまり学問=勉強ではないんですね。

アテネの学堂やヨーロッパの大学の起源は学問を学ぼうとする人たちがその道を知る人に教えを乞うことであった。一方で義務教育は世の中を渡っていくにあたって必要と思しき教養や常識を勉強させることを目的に作られた。

学問を行うには疑問を突き詰めて解明していくには様々な知識を習得していくことや自ら立証するための努力は欠かせない。つまりは論理学的に言えば勉強というのは学問の一手法ではあるが時として学問と相反することも起こりうるということ。ちなみに論理学を小学生のうちから体験的に学ばせたいなら宿題を忘れるがままに学校に行かせてみればいい。おそらく教師は宿題をしてこなかった理由をしつこく問い詰めるであろうし子供はそれに対抗する言い訳を必死で考える。これは体験的に論理学の一分野である詭弁術を学ぶことになる。
私もよく宿題をしてこなくて絞られて必死で言い訳を考えたものでした。これが自分の中で一定の論理的思考の形成に役立ったとは思っています。つまり宿題を忘れた経験は無駄ではなかったw
論理的に考えるってのは電気関係の仕事に就くと、何か思い通りに設備が稼働していないときの原因追及には欠かせません。制御盤の中を見ればリレーやマグネットスイッチがガチャガチャとクツワムシの如く音を立てています。さらにはPLCのランプがついたり消えたりしています。これはある条件がAND・OR・NOTの組み合わせで次の条件を送るために動作しているわけです。ですからどのリレーまでどのロジックまでが動いて次に行くときに糞詰まり状態になっているかを調べて故障個所を特定しているわけですね。

学校は勉強はさせるけど学問に対してはむしろ破壊的な役割を果たすものです。子供が好奇心を抱いたときに「そんなことをする暇が合ったら勉強しなさい」という説教は学問への破壊行動そのものでしょうw。かといってきれいごとばかり述べて勉強させなくても将来困ることになるでしょう。

ちなみにデカルトは覆されないことを数学に見出したようですね。一方で同じモラリストでもパスカルは信仰によりどころを求めデカルトをかなり嫌っていたようです。どちらも自然科学には多くの功績を残していて、直線に直行するxyz座標系をデカルト座標と呼びますし、圧力の単位はPaと書いてパスカルと呼びます。よく天気予報にヘクトパスカルなんて聞きますが、1パスカルというのは1へーべーの面積を1ニュートンの力で押しているって意味です。じゃあ1ニュートンの力とは何か気になればさらに調べていくというのが学問のあるべき姿勢です。ヴォルテールはパスカルを「崇高な人間嫌い」と呼んだみたいですし、一方でルソーはモラリストについて人間不平等起源説で人間を語るときに「デルフォイ神殿に刻まれた言葉は多くのモラリストたちの分厚い書物より価値がある」と述べているわけです。なお、デルフォイ神殿ではご神託を受けるときに「汝自身を知れ」「多くを望みすぎるな」「出来ない約束はするな」と柱に刻まれた言葉を読んでから神殿に入ったみたいです。私もマークシートテストではズイブンご神託のお世話になりましたがこれも自分自身をわきまえず多くを望みすぎてできないことを出来るかの如くふるまってきたことの証左でしょうか・・・




コメント (2)
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