さてさて、映画「十戒」のせいで実像より小さく醜く人物像が伝えられてしまったファラオ ラメセス2世の話をしましたが、聖書に書かれているエジプトに降りかかった10の禍について地球物理学の視点で述べてみましょう。
まずは、10の禍を順番にリストアップしてみましょう。
1.ナイル川が血に染まる
2.多量の蛙がナイル川から上がってくる
3.ぶよ、蚊の大量発生
4.蠅、虻の大量発生
5.家畜の疫病
6.腫瘍に人々が悩まされる
7.巨大な雹が降り、人・家畜・農作物に被害が出る
8.蝗の大量発生で農作物が壊滅的なダメージを受ける
9.暗闇
10.長子の死
となってますね。旧約聖書が古代ヘブライ人の視点で書かれていますからヘブライ人にとっては奴隷から解放される神の奇跡なんでしょうけど、古代エジプト人にしてみればこんだっけ酷い目に遭わされたらたまったもんじゃないでしょうw
竹内均氏もシムカ・ヤコボビッチ氏もサントリニ島噴火による火山活動の影響を原因として挙げています。何が起こったかと言いますと・・・
ナイル川上流で火山ガスの噴出があり、地中の酸素と結合していない鉄分が川に混ざりこむと水中の酸素と一気に結合していく。鉄と酸素の結合は早く、労働安全衛生法関連で酸素欠乏等防止規則のなかでは船底でバナナを熟成させるのと並んで鉄板などが閉ざされた場所に置かれているときは酸素濃度を測定して労働者を酸欠から守ることが義務付けられています。水中の酸素と噴出した鉄分が結合することでナイル川は血のような色と臭いになり、溶存酸素の欠乏は魚などの水中生物を死滅させます。ですが、蛙は川から上がることが出来るので活路を求めてナイル川沿いのエジプトの諸都市で上陸して人々を不快にさせたことでしょう。ですが他に河川がなく降水もほとんど望めないエジプトでは川から離れた場所では蛙の死滅は時間の問題です。
魚と蛙の死滅は川の中のボウフラやぶよ・蚊の捕食者が居なくなることを意味します。そうなるとぶよの大量発生が起こる。魚や蛙の死骸からは蛆が湧き蠅が多量に飛び交うことになる。そんな不衛生な状態が続けば蚊や蠅を媒介にした病原菌により家畜や人体に健康被害が出るのは当然です。
聖書ではファラオの頑なさが禍の連鎖を招いたとされていますが、ここまでは一度河川への鉄分の溶出が起こればファラオが頑なであろうと心を入れ替えたって避けられないことであるのは見てわかると思います。
次にそこそこ火山灰を伴う噴火が起こり急激に日照が少なくなる、そうすると上空の寒気に急激に冷やされることで雹が発生する。とは言っても雹で農作物はダメージを受けますが壊滅的にまでなることはないでしょう。まるで楽しみは次に取っておくと言わんばかりに・・・
急激な気候変動などがあるとサバクトビバッタは環境変異を起こして異常発生して周辺の植物を食い荒らしては活路を求めて次々と飛び去って行く。蝗害は現代でも人類の重大な脅威です。日本では幸いエジプトやエチオピアなどから飛来する飛蝗はヒマラヤ山脈に阻まれてやってきませんが、在来種による蝗害は深刻な飢饉をもたらしてきました。
その後、さらに大規模な噴火が起こりもっと多量の火山灰が成層圏近くまで噴出されることで太陽光が絶望的に地表に届かなくなる。メカニズムを知る現代であっても火山活動による日照の減少は脅威であるのに、メカニズムを知らない古代エジプト人は震え上がったことでしょう。
そして、長子の死。竹内均氏はこの禍以外は火山活動によるものとしていますが、当時の長子は現代とは比べ物にならない特権が多く与えられていて、その風習の何かが原因であることは容易に推測が付きます。古代より睡眠というのは神聖視されていて、眠った人の魂は体を一旦離れて地下の神々の国に入り、目覚めと共に地上の体に戻ってくると信じられていたようです。まぁ、食事と睡眠を大事にせずにろくろく食事も睡眠を取らずに何かをしようとしても、逆に過剰に食事や睡眠を貪ってもツケは必ず自分自身に還ってきますね。長子は地下の神々の国に近い床の上のベッドで寝ることが許されていました。一方で次男以降は荷車やハンモックなど地表から遠いところで寝ていました。
そこに比重の重たい炭酸ガスが多量に噴出したなら・・・
地表で寝ている長子はひとたまりもなかったでしょう。一方次男以降はB級映画ばかり上演してるような安上がりの天井の低い映画館などで体験できる寝苦しさこそ感じることはあっても、その高さでは炭酸ガス濃度は命には別条なくなっていたことでしょう。臭いのある毒ガスと違って空中に拡散されると痕跡もなくなって、それこそ長子だけを狙い撃ちで殺害されたように見えたことでしょう。
エジプト人にとっては災難としか言いようがありませんが、ヘブライ人にとっては奴隷解放のために起こった奇跡だったわけです。この前日に無発酵パンと羊の焼き肉で食事を行ったことが「過ぎ越しの食事」と呼ばれ現代でもユダヤ教の最も重要な祭りとなります。過ぎ越しの食事を共にするというのは特に重要で親しい人が相手で、かの有名な最後の晩餐でキリストが「私はかねてから貴方達と過ぎ越しの食事を共にしたいと願ってきた」と述べたのは、少なくとも磔刑以前ではキリストが最も苦境にさらされ人々の離反と孤独を感じたその時もキリストから離れずともにいた12人の弟子、裏切ることになってもその時はキリストと共にいてキリストの友であったイスカリオテのユダをも自らの受難を前にした過ぎ越しの食事を共にしたいと願っていたからなのでしょう。
過ぎ越しの食事が立食で徹夜で行われたことで濃度の高い炭酸ガスを吸わずに古代ヘブライ人は禍を過ぎ越したという説もありますが、古代ローマの占領下で彼らの風習に倣って過ぎ越しの食事も寝転がって食べていたようです。ダビンチの最後の晩餐では椅子に座ったスタイルで、それだとイエスの愛している弟子が「誰が裏切るのか」を聞くときにキリストの胸に寄り掛かるシーンは甘えたしぐさになってきますが、寝転がっての食事となると何かをひそかに聞き出そうとするときは自然に胸に寄り掛かって聞くことになるんですね。
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