何かを述べるとき忠実であるべきは思い入れや思想信条ではなく、ただただ事実関係に対してのみですよね。
関東大震災での朝鮮人虐殺事件をめぐってメディアとネトウヨがいろいろ述べ合っていますが、当時の資料などから類推できる二次的な情報をもとにしていて、確実に事実と断定できることをもとにしているわけではありません。ですので、こうした議論には加わらないのが賢明というものでしょう。
事実がはっきりしているなら、愛国心や平和への思いや差別の根絶なんて思い入れは事実の前にはどうでもいいことになってくる。思想信条は人によって違うし正義の基準はころころ入れ替わる歴史を私たち人類は眺めてきた。
しかし、事実は覆せないですよね。時がたてば隠せる事実もあろう。しかし、故意に事実を曲げて伝えることは罪である。
確実に分かりきっている事実を他の人が知らないのをいいことに偽証によって曲げようとしても、他の人はごまかせても自分自身の良心に照らし合わせれば恥を受ける。ここで、偽証して自分の良心にすら恥じなくなれば人間として終わっている。すべての人には一人一人の人間を設計した方により自分自身の良心が組み込まれていると信じたい。偽証をして心に疚しさが残らないところまでくれば神を畏れないその姿勢はある意味立派ではある。
しかし、神を畏れず人間の英知をよりどころにする人々の没落や虚しさを歴史は教えてくれる。
事実が見えない以上、この問題について何かを尤もらしく語るのはやめた方が身のためというもの。
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