古代エジプトのイシス神殿の遺跡から仏像が発掘されたみたいですね。
もともとマケドニアのアレクサンドロス大王がインドからエジプトまで制圧したことから仏教がエジプトまで伝わっていても不思議ではないと思ってましたが実証される発掘があって何よりです。
アレクサンドロス大王自身が東征で最も大きな敵であったアケメネス朝ペルシアの被占領地をそのまま統治することになりアケメネス朝の宗教的に寛大な政策を継承してますから仏教が西へ伝搬すること自体は不思議なことじゃない。
アポクリファのマカバイ記でアレクサンドロス大王がこき下ろされているのはアンティオコス4世エピファネスによるギリシア同化政策以降に書かれたからで、それ以前に書かれていればもっと良い評価を得ていたことでしょう。事実のちに第2神殿を破壊したのはティトゥス率いるローマ軍で、ユダヤ人がローマの支配下にはいったのは共和制末期のポンペイウスによるエルサレム占領で、それ以前に書かれたマカバイ記はローマ人を実に好意的に記しています。
西方に細々入った仏教は遊牧政界では非殺生の戒律など好ましくないように映ったのは想像に難くなく、さらに地中海の北側はキリスト教、南側はイスラム教と言った具合にオリュンポスの神々を始めとする比較的寛大な宗教文化はヘブライの神の前に駆逐されることになります。それ以前に細々と入ってきた仏教はヘブライの神の前に容易に消されたことでしょう。
一方でキリスト教ですがネストリウス派の流れを引く宗派は唐の国まで伝播して景教と呼ばれます。遣唐使が長安の都にやってきたことでしょうから一部の日本人は奈良時代にはキリスト教の存在を知っていたことになります。ですが、なぜか景教は日本に伝わらずキリスト教の伝来はずっと後の天文年間室町戦国時代のフランシスコ・ザビエルによってもたらされることになります。
天橋立の知恩寺には地獄絵図が、フランスのシャルトル大聖堂には地獄の彫刻が刻まれて、洋の東西を問わず人間の考えることって似たり寄ったりと思いがちですが、ヒンディーや仏教などインドの宗教やユダヤ教・キリスト教・イスラム教と言ったヘブライの神を奉じる宗教が天国と地獄とか地獄極楽みたいな二元論的な死生観を受け入れるのはゾロアスター教を奉じるアケメネス朝ペルシア以降のことです。それ以前はインドでは輪廻の思想がユダヤ教では死ぬ時の楽しみや苦しみがそのまま冥府で継続されると信じられていたわけですから。
知りたいのはオリエント世界で仏教はどんな風にとらえられて結局受け入れられずに滅んでいったのか、景教はどうして日本に渡らなかったのか。遣唐使が持ち帰らなくとも景教の僧侶が遣唐使船に乗ろうとしても不思議じゃない。今でこそ大陸からは黄砂・爆買いや犯罪あるいは不法就労などを目当てに渡ってくる人々など大陸から渡来する者には碌なイメージを持ちませんが当時は隋や唐の文化を学ぶために日本人は命がけで海を渡ったわけですし、大陸からも鑑真和上など優れた人物が渡ってきて日本に優れた文化を伝えていたわけですから。
そして不思議なことに今の日本のキリスト教はカトリック・プロテスタント・東方教会など欧米経由で伝わってますし、欧米の仏門に帰依する人って日本経由の仏教を奉じてるんですね。
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