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招かれざる援軍

2011-06-26 07:56:21 | 歴史
さて、昨日のアクセス解析で検索ワードに「ビザンツ帝国」関係の言葉が結構ヒットした様子。

こんなブログでも立ち寄っていただける読者様がおられることに感謝しきりです。

ホント、このブログがビザンツ帝国について何か書いていたことを忘れそうなぐらい、レビューの更新が滞っていましたが、久々に書くことにしましょう。

さて、トルコ軍の侵入に悩まされていたビザンツ帝国はお得意の外交や駆け引きで、西方に援軍を求めてトルコを怯ませて手ごろなところで有利な条件の下、和睦しようと考えた。

が、やってきたのは予想外の大軍であった。

そう、十字軍である。

彼らはイスラム世界との和解など考え付くはずも無く、聖地奪還を目的にトコトン戦い抜くつもりであった。

おおよそ、他国が援けるときは必ずその国の国益と言う秤に掛けられた結果であると見たほうがいい。
国際関係において誠意と善意など通用しないのである。

現代で言えば韓国・中国と日本にそれはいえよう。いくら無償借款や援助などをした挙句、「誠意ある謝罪」と称して立証されていない従軍慰安婦の強制連行について「談話」「基金」などを出したって、相手にとっては「反日」というカードから果実を得たとして「もっと誠意ある謝罪を」などと抜かして日本を骨の髄までしゃぶりつくすに決まっている。

「トモダチ作戦」ふむふむ、米国としては在日米軍がそれだけの救助能力があることを見せ付けて、日本人に米軍を必要とさせて、極東戦略を有利に進めたいわけですなw

が、もちろん当面の危機に際して苦しむ自国民を尻目に自国の面子のために他国の援助を断り策が打てないことなど論外に決まっている。例えば、東日本大震災直後に多くの国より援助や救援隊派遣の申し出があったが、受け入れ態勢の整理にもたつくことはあっても、面子や思惑ゆえに援助を断り結果として救援が遅れ多くの助かるはずの命を危険に晒すなら、私が被災者であればそのような判断をした指導者を八つ裂きにするところであろう。

アレクシオス1世も当面の判断としての西方への援軍を求め、対トルコ政策に充てるつもりであった。

が、最初から両者に温度差がある上、傍若無人の限りを尽くす野蛮な十字軍に対するビザンツ人の嫌悪感は後々に重大な結果をもたらすことになる。



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