鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

パルショータという発酵食品(2)

2020-02-11 09:20:18 | 古日向の謎
パルショータというモロコシを原料にした発酵食品(発酵酒)を主食としているエチオピア南部原住部族のアルコールに対する強さは、彼らがアルコール分解後のアセトアルデヒド分解酵素を豊富に分泌できる体質であることを物語っているのだが、それはそれとして、私がはっと思ったことがあったのである。

それは幼児のような子供にすらあの発酵酒を飲ませている驚くべき光景を見た時だった。もちろん幼児や子供にはパルショータを薄めて飲ませているようだが、アルコール分がゼロになるわけではない。だが、遺伝的に幼児でもアセトアルデヒド分解酵素を多く持っているので害にはならないのだろう。

この事実は私を次の感慨に導いた。

というのも鹿屋市吾平町に吾平山上陵という名の御廟のあるウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)だが、日向神話によるとミコトは天孫の第二代ヒコホホデミノミコトの(山幸彦)息子である。ところが産みの母のトヨタマヒメは海岸(渚)にミコトを産み落とすとそのまま海に帰ってしまい、その代わり妹のタマヨリヒメを養育者としてミコトに就けた。

日向神話ではその後どのようにしてタマヨリヒメがミコトを育てたのかについての記述はない(本文ではない一書に「乳母をつけた」と一箇所あるが…)。

ところが地元には「飴屋敷」(鹿屋市吾平町上名)という集落があり、その近傍には「飴屋敷跡」というミコトを育てた場所も特定されている。伝承では、タマヨリヒメは未婚だったのでもとより乳は出ない。そこで飴屋敷に住む老婆が「飴」を献上し、またその作り方を教えてくれたのでそれで育ったというのである。

「飴でどうして赤ん坊が育つのだろうか?」

というのがそれを知った時の最初の私の反応だったが、しばらくして「飴は今時では固いキャンディーを連想するが、ミルクに近い飲料なら赤ん坊でも飲める。とすると米を原料にした甘酒のような物だろうか」と思い至った。

次に考えたのが「甘酒ではないだろう。第一糖分が多すぎる。それより日本酒を作る過程でできるモロミのような物ではないか。だが、モロミにはアルコール分が含まれている。」だった。

さらに「モロミは麹菌が生み出す栄養豊富な液体だから乳の代わりに飲ませられるが、とにかくアルコール分があるので乳児には無理かもしれない。」とトーンダウンしてしまった。

そこへもって来てあのパルショータである。

かの部族ではアルコール分があるのに幼児にも飲ませているではないか。薄めて飲ませているようだが、それでもアルコール分は残っているのに幼児にとって何ともない。しかも栄養は満点だという。

これだ! これに似た物をタマヨリヒメはミコトに飲ませていたのだろう。ミコトはアセトアルデヒド分解酵素を持っていたに違いない(番組によると現代日本人の40パーセントは酒に弱いというが、逆に言えば60パーセントは酒に強い。つまりアセトアルデヒド分解酵素を豊富に分泌する体質である)。

原料の米については事欠かない。というのも飴屋敷近辺は姶良川の河畔にある田園地帯で稲作には最上の土地柄だからだ。

もう一つの「ウガヤフキアエズ養育と飴」の伝承地である宮崎県の鵜戸神宮。しかしその近辺に米が採れるような田園はない。「お乳飴」というのを売っているが、あれでは乳児は育てられない。

同じ古日向に属する地域だが、向こうは藩政時代以降は伊東氏の支配する飫肥藩だったので飫肥藩なりの日向神話解釈の結果、ウガヤフキアエズの誕生地と養育地がセットになり、「神話的光景」に相応しく仕立て上げられたのだろう。

それにしても「飴屋敷」の「飴」だが、和製パルショータがなぜ「飴」と呼ばれたのか、これについても一考を要するが、それは続きで・・・。