今日も晴れ、時々曇りかな?最高気温は31度と相変わらず…。しかし、木陰や吹いてくる風のナント爽やかなこと。この前までのあの灼熱と蒸し暑さに比べて、こんなにも違うのかと不思議で仕方ありません。が、アリガタイことです。
昨日は第1水曜日、月例の吟行会でした。一昨日の台風11号が前評判のわりにはあっけなくて、肩すかしを食らったような感じでしたが、それでも一応少しの風や雨に恵まれて?の日でしたから、さしずめ〝台風一過〟の〝野分晴〟です!幹事のSさんにも〝昨日でなくてヨカッタですね。先生、さすがです。まだ威力は落ちていませんよ!〟なんて有り難がられたりして…ナントも面はゆいこと。
さて、今回は宇部市の厚南地区を回ることに。先ず最初に行くのは「たけのこ島です…」とSさんが説明。すると〝竹の子(筍)島?〟とみんなが言う。〝イヤイヤ、竹の小島ですよ〟と。(笑) そうなんです。嘗ては小さな島だったのが、万延元年(1860)萩藩の直営工事として新田開発された妻崎新開作によって陸続きとなり、そこには万延2年(1861)当地に住む漁師によって漁業の守神として建立された「恵比寿神社」もありました。昔新婚の頃、一度主人に連れてきて貰ったことがりますが、ここに来たのはそれ以来ですから…50年ぶりでしょうか。わあ、自分でもビックリ!
境内には立派な手水鉢があり、表には万延二年と、裏には奉納者9名の名が刻まれていました。この竹の小島には昭和17年の周防灘台風※の風水害までは23~24戸の住民が居住していたようですが、風水害後、時代の変化によって現在は3~4戸まで減少しているんですって。
※昭和17年8月27日、西日本地区を襲った台風で、強風や高潮などにより周防灘沿岸(特に山口県西部)に甚大な被害をもたらした。特に厚南地区は地盤の低い干拓地で長い堤防に囲まれた土地であり、この厚東川の堤防が決壊したことで最も激しい被害が発生したという。
ここには安政6年(1859)に干拓の汐留として大規模な小島樋門(四挺唐樋)が造られていたそうですが、この大風水害によって破壊され、その後再建され現在のものになったのだと。その「小島新樋門」の完成記念碑が建っていましたが、誰も手入れをしないのでしょう、草茫茫でした。
樋門から海を見ると、真ん中にある橋が厚東川河口に掛かっている「興産大橋」です。
島の先端には小さな漁港があって、そこの雁木で台風後の漁網の繕いをしているご夫婦?がおられたので話を聞きました。ところが他の人も見ていて…早速それを詠んだ句が出ていました。面白いことにその人は夫婦を〈…老夫婦〉と、私は〈母と子の…〉と詠みました。確かに遠くから見ると一見老夫婦に見えましたし、私も最初はそう思ったのですが、話しかけて初めて母親と息子さんだということが分ったんです。老夫婦ではありきたりの句になる所を免れました。これこそが吟行して現場で詠むということの強みなんですよ。
樋門の反対側は宇部市街。ここは遊水池としてこの先の中川につながっています。
皆さん吟行したときは漠然と見るだけでなく、必ず現場に人がいれば話しかけていろいろ聞いてみて下さいね。知らない事がいっぱいありますから。それがヒントになって思わぬ秀句に恵まれるということも大いにありますよ。
今回は前に書いた〝葛の花〟がふんだんに咲いていましたので、先日のリベンジでしっかり撮ってきました。また、見たことはあってもその匂いを知らない人が居ましたので、存分に嗅いで実感してきましたよ。また、この島が〝竹の…〟というだけあって、島のあちらこちらには竹藪がありましたが、〝竹の春〟ならず潮風と手入れをしないからとで荒れていましたね。
島を一巡りしても30分余り。でも初めての人も多かったのでそれなりの収穫がありました。吟行だからといって別に名所旧跡でなくってもいいんです。どこでも俳句は詠めますし、それで皆同じ句にならないというところが面白いのです。まさにアレ!〝やめられない、やめられない……吟行〟なんですよ。
この小島を後にして次は〝蓮光寺〟へ。でもまた長くなりましたので、これは次回にしますね。では、また…