昨日の2月19日は、二十四節気の一つ、〝雨水〟でしたね。〝降る雪が雨に変わり、積った雪や氷が解けて水となる〟という意で、初春の季語です。
こちらは雪のない所なんですが、昨日は一日中ジトジトと降って、まさに〝雨水〟の感じでした。しかし、本当に雪の多い北海道や東北では、今日はまた低気圧が急速に発達するため、今夜にかけて日本海側を中心に雪でふぶく所が多いのだと…いや猛吹雪や大雪となる所もあるそうだとも。
今年は立春になってからの方が寒さが厳しく、特に日本海側は非常に雪が多くて、これではとても〝雨水〟などとはいえないですよね。やはりこれも異常気象のせいでしょうか。
歳時記を見ると、次の例句が載っていました。
薩摩富士雪縞あらき雨水かな 富安風生
「薩摩富士」とは、鹿児島県の開聞岳(かいもんだけ・標高924m)のことです。いわば九州の最南端に近い温かい気候の土地にあるので、雨水の頃にこのような雪が残っているのかしら?と思って、ちょっと不思議でした。それで、いつ頃の作かと調べてみたら、句集『喜寿以後』に所収された句だと。ならば、富安風生が生まれたのは1885年(明治18年)ですから、1962年(昭和37年)以後ということになります。ちなみに亡くなったのは1979年(昭和54年)、94歳でした。
ヘエッ、でも風生は確か生まれは愛知県だし、東大出身で俳誌「若葉」の主宰として活躍したのも東京。ただ俳句を始めたのは、1918年、34歳のときに福岡貯金支局の支局長として赴任し、その時に吉岡禅寺洞の手引きを受けたことからのようで、1919年、福岡に来た高浜虚子に接して、「ホトトギス」に投句しだしたんだとか。しかし、その年にはすぐ本省に転勤し、それからはずうっと東京暮しだったはず。じゃあ喜寿になってから鹿児島へ旅行にでも行って、その時に詠んだのでしょうか?でもね~何だか腑に落ちませんでした。
下の写真は開聞岳、お借りしました。ゴメンナサイ!
それでもう少し調べてみようと検索してみると、何と、もうビックリ!目に飛び込んできたのは次の句でした…何だか狐に抓まれたみたい!
薩埵富士雪縞あらき雨水かな
「薩埵(さった)富士」とは、静岡市東部の興津と由比の間に位置する薩埵峠から見える富士山で、この峠は旧東海道の難所および名勝地として知られ、安藤広重の東海道五十三次「由井」にも登場しているのです。だとすると、この富士は本物の富士山ということですよね。
ほら、〝驚き桃の木山椒の木〟でしょう。どちらが正しいの?私は先生に薦められて、いつもこの『角川大歳時記』を使っていますし、このブログを書く時も信用して参考にしているというのに。以前の〝負暄(ふけん)〟の時のこともあるし、何だかもう角川書店を信用することが出来なくなりそうです。
ちなみに、検索結果で分ったことですが、〝【筆者注】「薩埵富士」とは静岡県庵原郡由比町にある薩埵峠からみた富士山で、安藤広重の東海道五十三次『由比』の版画がまさに薩埵峠から見た富士山のアングルと同じもの。〟というものもありました。(辻桃子・安部元気共著『美しい日本語 季語の勉強』より)
下の写真は、広重の『由比』の版画と薩埵峠からみた富士山。これもお借りしました。スミマセン!
なるほど、なるほど…そういうことなら雨水の頃の富士山に雪が解けかかったところとまだしっかり残っているところとの粗い〈雪縞〉が見えても当然のことでしょう。
私は、人の言うことや書いてあることなどを直ぐに信用してしまうところがあって、特にインターネットなどでの情報には気をつけるようにと強く主人に言われています。でも、俳句では天下の角川書店さんの歳時記ですもの…つい『角川俳句大歳時記』を信用してしまいましたが、これからはもう騙されませんからね。おかしいと思ったら自分ではなく本の方を疑ってかかるようにします。そう考えれば、これもいい勉強になったということかしら。
でも最後に分ったこと…上に書いた『角川俳句大歳時記』の例句は電子辞書でのもの。そこで、念のために書物の方も確かめてみましたら…あら、こちらはちゃんと「薩埵富士」になっていましたよ。なら変換ミス?…じゃあないでしょう…よね。
皆さんもこれからはおかしいと思ったら何でも鵜呑みにせず、よく調べてから信じるようにしましょう。
では、また…オヤスミナサイ!
自分も辞書も、人のすること、これおかしいなを見つけます。
何気なく、間違って記載することがあります。
人生、いろいろあります。その、生き方、行き方が反映されると思います。
意味不明?それなりにご理解をお願い致します。 K.M
何にしても人のすることですからマチガイはつきもので…それを責めるつもりはないんですよ。
ただそれをどう処理するかという問題でしょうか。訂正されずにそのまま世に流布して、それが正しいように罷り通ってしまうということ…私にはそれが気になります。
そういえば昔もよく気がつきました。正しいと思い込んでいるから人にもそうだと教えるんですよね。辞書などにも、これは間違いだが慣用として使われるようになった…みたいな説明のある語がありますが、それもそうなんでしょうね。
これからはそんな言葉が益々増えるのではないかと…心配。
ほら、あの「ら」抜き言葉が流行ったように…今では当たり前のように使われているような気がしませんか。
馬醉木の同人の方とも知らずにコメント欄に突撃して
行くのですから、我ながら怖いもの知らずでした。
あの件で瓜人さんに興味を持って句集を購入しました。
ぶ厚いのでボチボチ読んで行こうかなと思います。
それと、ちわきさんの句集も一部購入しましたよ。
勉強させてもらいますね。
そうでしたね。「負暄」は、晴陽さんのコメントでヘンだなとは思いながらもそのままにしていたのを、本気で調べてみる気になりましたもの。お陰で勉強になりましたし、他の方にも喜ばれましたよ。
それで経験しているはずなのに…またですよ。まあ、何でも勉強と思えば腹も立ちませんが。
それにしても…ナンとウレシイお言葉!
瓜人さんのはいいとしても、私の拙い句集まで購入して頂いたなんて…本当にありがとうございます。
もし何かご意見やご質問がありましたら、どうぞ何なりと遠慮無く聞いて下さいね。
これからもよろしくお願い致します。
薩摩富士〰️これは勉強になりました、そういう間違いもあるんですね、驚きました😱間違うのは仕方がないとしても、気付いたら訂正くらいはしてほしいですね。風生にしたら、薩摩富士では安易な感じがします。
以前「負暄」の間違いのときも感想書いて下さいましたよね。
確か『角川俳句大歳時記』の改訂版が出されるという情報も教えて下さって…でも買わないと仰っていましたが。
私も新しい歳時記を買う気は有りませんので分らないのですが、この電子辞書はかなり古くて、その後新しく買替えて両方使っています。
しかし、その新しい電子辞書も「薩摩富士」となっていましたから、誰も気がつかなかったんでしょうかね。
風生のお弟子さん達はどうなのかしら?私だったらイヤですけど…
季語『二月』を「二月の」「二月や」と使う時など「にんがつ」と読ませることがありますが、その時は発音通りに「二ン月」と書く人(多数派)と、「二月」と書いて「にんがつ」と読ませたい人(少数派)がいるようです。私は先日の句会では後者で出句しました。ちわきさんはどちらがよいと思われますか?
そうですね。「二月」は基本的には〝にがつ〟と読むべきだと私は思っていますが、上五に使う時は字足らずになってしまうので俗用として〝にんがつ〟と読んでいるんですね。
特に俳句では音数を大事にしていますから俳句独特の読み方も出てくるのでしょう。
古文の時代ではンは書かずに読むときは発音していたということを教えた事があります。
例えば「だいこん」でも「だいこ」というように。それがちゃんぽんになって、俳句などでは音数の加減でだいこんと言ったりだいこと言ったり…
ゆうやけもゆやけというように…俳句では結構そういう使い方をしていますね。
〝にんがつ〟もそのへんで適当に使用されるようになったのでしょうか。
歳時記には「ニン月や天神様の梅の花」という一茶の句が出ていますし…
これはいいと真似をする人がどんどん増えたのでしょう。
どちらがいいかと聞かれれば、二月やでいいと思うのですが、それを〝ニンガツや〟とよめるレベルの句会ならいいでしょうが、初心者の多い所では読めなくて字足らずの句と思われてしまうと損をしますよね。
そのあたりで考えてみたらどうでしょうか。
明確な答で無くてゴメンナサイ!
「にんがつ」という響きは好きなんですが、「二ン月」と書くのはなんだか不細工だなぁと思うのですよね。
ちなみに句会では「二月の〜」を「きさらぎの〜」と読み上げられたのですが、主宰が「これは『にんがつの』でしょう」と訂正してくれました。字足らずと思われて点数を損したかどうかは…どうだったんでしょうかね(1点入りました)。