8月13日、今日からこちらでは16日までがお盆休みです。といっても土日が入っていますから実質2日だけになりますので、息子などは面白くなさそう。
我家は今年1月に義弟が亡くなりましたから〝新盆〟なんです。でもその盆供養は先日広島の寺へ行って済ませましたので、家では静かに仏壇にお参りして家族みんなで食事でもしようかという話になりました。それは15日のお昼にということで、その時のことはまた後で…。
新盆の軒まつさきに灯りけり 山田みづえ
盆三日あまり短かし帰る刻 角川源義
私の実家は浄土真宗で、新盆は自宅で行います。それで6年前の母の時は親族がたくさん集まりとても賑やかでしたが、義姉の時はもうコロナの出た年でしたのでぐっと控え目に…。更に今回は宗派も違いますし、こんな状況ですので更に淋しい新盆になりました。でも、義弟はコロナのことなど知っていますので、きっと許してくれることでしょう。
そうすると歳時記に次のような句を見つけました。
御仏はさびしき盆とおぼすらん
これは一茶の句なんですが、調べてみると出典が「文政九十句写」の文政10年だと。他にも同じ出典で〈華の世を見すまして死ぬ仏かな〉や〈死時も至極上手な仏かな〉などの句もあって…。エエッ!これもしかしたら正岡子規のように自分のことを〝仏〟と詠んだのかしら?
なぜって?実は一茶が亡くなったのは文政10年11月19日(1828年1月5日)なんですもの。
確か一茶は、52歳で初婚、しかしその妻や4人の子どもたちとは死別、再婚した相手とは直ぐに離婚し2度の中風と、様々な家庭的、身体的不幸の中で晩年を迎えています。しかし2度の中風で身体的に不自由となり言語障害にも見舞われたものの、幸いにも知的能力は障害を受けませんでした。そんな身体でありながらも文政10年64歳の時には3度目の結婚をするんですが、この年に大火が発生して自宅を焼失。かろうじて焼け残った土蔵で暮らし、その数カ月後に65歳で亡くなります。だからどこかに死の影を感じていたのかも知れませんが、そんな中でも精力的に門人宅を巡回し続け、越後の観音寺に奉納する俳額の撰を行い、約1万5千句の中から丁寧に選句を行うなど、一茶は衰えを感じさせない活動ぶりを見せていたといわれています。更には土蔵の屋根を垂木まで全て取り換える修理を行ったとか。だからこの句を詠んだ時、一茶としてはまだまだ死ぬつもりなどなかったということでしょう。だとすれば、これらの句は一茶の一種の洒落から詠まれたものなのでしょうか。
それはさておいて、今日も義母の家に行って夕食を済ませ、フルーツなどを食べて一息入れていましたら突然スゴイ雨の音が……これ、もしかしたら線状降水帯?と思うぐらいの大雨でした。しかし、ものの30分も降らなかったかしら…なんでもう少し降ってくれないの!
〝でもこんなのが一晩中も降ったら…こりゃ大変よね!〟と、お婆ちゃんと話していましたが、関東では台風8号の通過で滝のような大雨が降っているというニュース、東北地方もまだ断続的に大雨が降り続いているようだとも…だからそんな暢気な話ではないんですけどね。ゴメンナサイ!
先程1年前のブログ記事がメールで来ていましたので見てみましたら…何と同じような大雨のことでした。去年の今頃は九州や山口、特に熊本県の線状降水帯がヒドくって、大きな災害が出たんですよね。また、コロナの感染者数も多いと心配していますが、これは今年に比べるとカワイイものですよ。ケタが違いますもの。
よろしかったら、まあ読んでみて下さい。
〝線状降水帯〟の恐怖いつまで?
昨日の夕方突然スマホに〝緊急速報メール〟が入ってきました。警戒レベル3高齢者避難等の発令が19時00分宇部市全域に流されたようです。理由は土砂災害の恐れありでした。 雨......
どうか、この台風によって関東や東北の皆さま方への大きな被害が出ませんように…と祈ることしかできませんが、くれぐれも気をつけて下さいね!