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僕は画像の学校に行きたかった。福岡県には学区制度があり一つの学区から選択できる公立高校が限られていた。
そこでやむなく自分の学区の公立に進んだ。僕はその当時から下品で物分かりの悪いのがいるとイライラするたちで、われながら嫌われる高校生だったと思う。パーから逃れるために学区最高の高校に進学した僕は、パーを見て優越感にひそかに浸っていればそれでよかったのに。修猷館に行けなかったという自分がいることじたいがコンプレックスだったし、ほかのことは目に入らないでいた。頭が悪くて落ちて行けなかったのなら僕もそうはひねくれなかったに違いない。低級公務員の適とーな学区の線引きの偶然でいけなかったのだ。15歳の僕は世の不条理を嘆いた。
コンプレックスというのは実にしつこい。人間は、とくに若者は上を見るようにできている。下を見ればなんと楽だったことか。そうせずに上を見て悔しい悔しいと思って生きてきた。
僕の高校も男子がほとんどであったが、僕は女子にとてももてていた。しかしそれも問題ではなかった。僕にとっての重要事項ではないのだ。そんなことよりもっとこだわるところがあった。つまり、この学校は僕のいる所じゃない、と。
人は自分がこだわるところにおいて敗北すると立ち直れないのではないか、と最近考える。
唯一の逃げ道が忘れることだな。
劣等だというコンプレックスの解消は劣等でない状態が生じるようなことがあれば解消可能だが、自分に起因しない要因で劣等回復が不可能になった場合、どうやって心の平安を得るのだろう。
やーい負け犬!という声が聞こえてくるたびにいらいらしたりしゅんとしたり、とにかくこころは穏やかではない。
ほかにも悔しいこといっぱいあるけど、克服できない自分が一番悔しい。
あきらかな低能がAMGに乗ってきてごらん。なんか心がもやもやするでしょ。ね、絶対するでしょ。