画素が多いとよく写る。800万画素より1600万画素。最近はバカも極まって3000万画素が出た。
技術者自身はいかにごまかしをしているかよくわかっている。しかし、画質を落としてでも画素を増やそうとする本末転倒なことをせざるをえない。そのほうが売れるから。
国民は、よく写るということは一体どういうことかを振り返らない。800万より1600万が数が多い、単純にそれを判断基準にする低能が、低能用カメラを自慢する。
僕のはリサイクルショップで200円。画質を落として画素を増やす気違いじみた競争が起こる前のカメラだ。記憶媒体も電池も内蔵だが全く支障ない。単純なだけにパキパキ動くVistaのようだ。
5年もすれば30万円もしたカメラはリサイクルショップに2万で出て、本人は火葬場の煙突から消える。
なぜ僕は口を極めてののしるのだろう。
① 字が読めると錯覚しているミーハーはこの程度の文も読めない。バカに薬はつけたくない。
② 企業の宣伝はまず疑ってかかろうとする姿勢は科学的な態度である。コギトエルゴスム。デカルトは疑うことを近代科学の土台にした。それをしないでわずかの退職金でカメラだけそろえシャッター押すことはできても、写真は撮れない。
当たり前じゃないか。今まで不必要にこびへつらい、周りの嘲笑にも気づかず、ひたすら会社のために何も考えず生きてきた人間が、いまさら何が趣味だ。写真に失礼だ。
スマホは600万画素程度だ。これで半切(はんせつ、全紙の半分)までなら十分に伸びる。400万画素でも手札大(アルバムの大きい写真)までなら差は出ない。
そもそも、よく写るとは多くの要素の総合力だ。色は、収差は、コントラストは、周辺光量は、レンズ、コーティング、画像処理、そんな中の一つに撮像素子がある。
画素が、馬鹿にわかりやすく簡単な数字であるために、その数字が多いほど良いと信じ込んだ。ああ、画素。
帆が広いとヨットは速い。馬力があるとクルマはスピードが出る。・・・なぜバカは一度信じ込むと加減を知らず突っ走るのだろう。
あ、そうか、それがバカなんだ。