パムッカレ村へと続く道まで降りてきました。
ジャブジャブと石灰棚の水の中を裸足で歩いていた人々も、ここから靴を履き、パムッカレ村へと戻ります。
この場所から石灰棚の上までは10分程の道のり、そしてこの場所から2~3分程下ると、そこはもうパムッカレ村です。
ジャブジャブと石灰棚の水の中を裸足で歩いていた人々も、ここから靴を履き、パムッカレ村へと戻ります。
この場所から石灰棚の上までは10分程の道のり、そしてこの場所から2~3分程下ると、そこはもうパムッカレ村です。
石灰棚への道は当然ながら?坂になっており、裸足で歩いて登り下りして人々が行き交います。
流れ落ちる水で年月を経て丸くなった場所は大丈夫ですが、ゴツゴツとした岩の部分も多く、結構足の裏が痛くなります。
現在は環境保護を目的に土足厳禁となっています。
流れ落ちる水で年月を経て丸くなった場所は大丈夫ですが、ゴツゴツとした岩の部分も多く、結構足の裏が痛くなります。
現在は環境保護を目的に土足厳禁となっています。
イスラエル料理レストランで頼んだ、エルサレムプレート(Jerusalem Plate)です。
右からHummos、Taboulch、Mutabal、Arabic Salada with Tunina、Arabic Salada、Baqdunisiyhだったと思います。
手前はアラビア風パンのホブスです。
パンにつけて食べるディップのHummosはなかなかイケますが、それ以外は自分的にはNGでした。
やはりアラビアンフードはレバノンかイラクなのでしょうかね。(笑)
※写真左手前は今回のイスラエル旅で利用したロンリープラネット(07年版)です。
地○の歩き方はもう何年も更新されておらず、やはりガイドブックは情報の鮮度が命なのでこちらを選択しました。
写真が少ないのが難点ですが、地図の精度はばつぐんで、○○の迷い方と揶揄される某ガイドブックと違い、現地に行って役に立つのはロンリープラネットの方だなと改めて実感しました。(逆に事前のプランニングでは、写真の多い某ガイドブックの方が断然良いので使い分けでしょうかね)
旧市街を彷徨いながら?シオン門外にあるシンドラーのお墓へ初日に訪れた際は、夕方だった為か入り口が閉まっていました。
(墓前の写真等は翌朝出直した時のものです)
この日は入り口前で1時間半程歌っていると、通行人の人達が時折声をかけてくれました。
(墓前の写真等は翌朝出直した時のものです)
この日は入り口前で1時間半程歌っていると、通行人の人達が時折声をかけてくれました。
1993年スティーヴン・スピルバーグ監督(ユダヤ系アメリカ人)の映画「シンドラーのリスト」で有名なオスカー・シンドラーのお墓です。
彼は1908年当時のオーストリア(現在のチェコ)生まれのドイツ人実業家で、第二次世界大戦中にナチス支配下のドイツ、ポーランドの強制収容所のユダヤ人約1200人を、ユダヤ人会計士のイツァーク・シュテルン(後にシンドラーのリストといわれる、彼の工場の労働者名簿をシンドラーと共に書き上げた人物)と共に全財産をなげうって救ったと言われています。
自身もナチス親衛隊に何度か連行されたものの、その度に将校を買収し危機を乗り切ったのだとか。
第二次世界大戦での敗戦後は、工場等を政府に接収された為、アルゼンチンに移住するも事業に失敗し1958年にドイツへ戻り、1974年ヒルデスハイム(ドイツ)で死去。
自分はスピルバーグの映画で彼の偉大な功績を知りましたが、今なお多くの人々が彼の墓を訪れ、敬意の石を墓石の上に置いていきます。