拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

ベルリンのヴァイナハツ・マルクト(ベルリン/ドイツ)

2010-03-27 | 旅フォト(ドイツ)


ベルリンで訪れたWeihnachtsmarkt(ヴァイナハツ・マルクト/ドイツ語でクリスマスマーケットの意味)です。

テレビ塔近くにメリーゴーランドや観覧車、スケートリングと沢山の屋台が並んでいました。

11月末からクリスマスまでの間、ドイツ各地でクリスマスマーケットが開催されますが、さすが首都ベルリンだけあって賑やかなマルクトでした。

ベルリン大聖堂(ベルリン/ドイツ)

2010-03-26 | 旅フォト(ドイツ)


ホーエンツォレルン王家の教会で同王家の墓所がある、ベルリン大聖堂です。

博物館の島の旧博物館斜め前にあるので、博物館巡りをしていると高さ114メートルのドームが目をひきます。


270段の階段を登ると天井ドームにも入場できるようですが、博物館で沢山歩き回った後だとちょっとキツイかもしれませんね。(笑)

ベルリン・フィルハーモニー(ベルリン/ドイツ)

2010-03-25 | 旅フォト(ドイツ)



オーケストラの世界最高峰、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地、ベルリン・フィルハーモニーです。

ハンス・シャロウンの設計によるコンサートホールで、1963年に西ベルリンで竣工された当時の常任指揮者(第4代常任指揮者/1955~1989年)がフェルベルト・フォン・カラヤンです。


カラヤンの永遠のライバルと言われる、レナード・バーンスタインもたった1度だけですが、マーラーの第九番で客演指揮者としてこの舞台に立ち、歴史に残る名演を生み出しています。



なおベルリンフィルの巨匠、フルトヴェングラー(第3代常任指揮者/1886年~1954年)の頃は旧フィルハーモニー(1882年竣工)でしたが、第二次世界大戦中の1944年に、連合国軍の空爆で破壊されたという歴史があります。


カラヤンの後は、クラウディオ・アバド(1990~2002年)を経て、2002年9月より現在はリヴァプール出身のイギリス人、サイモン・ラトルが第6代常任指揮者となっています。


昨年12月に訪れた際はチャンスがありませんでしたが、ぜひ今年はベルリンフィルの演奏を聴きに行きたいと思っています。

バビロニアのイシュタール門(ベルリン/ドイツ)

2010-03-24 | 旅フォト(ドイツ)



ペルガモン博物館の目玉の1つ、バビロニアのイシュタール門です。


紀元前6世紀に栄えたバビロニア王国の首都、バビロン(現在のイラクのバクダット南東)にあったもので、当時この門をくぐった先の大王宮が、古代世界の七不思議の1つで、今も伝説として語り継がれている、バビロンの空中庭園であったと言われています。

そしてその空中庭園からは、聳え立つバベルの塔を仰ぎ見ることが出来たとか。



現在のイラクではただ廃墟が残るだけですが、伝説の世界の景色を想像しながらこの門をくぐると、ちょっとタイムスリップしたような気持ちになります。(笑)

ペルガモンのゼウスの大祭壇(ベルリン/ドイツ)

2010-03-22 | 旅フォト(ドイツ)

ユネスコの世界遺産にもなっている、ベルリンの博物館島を代表するペルガモン博物館。

その館名の由来にもなっているペルガモンのゼウスの大祭壇です。


ペルガモンは現在のトルコ西部に位置する紀元前3世紀~前2世紀に栄えた王国で、大祭壇にに刻まれた神々と巨人族の闘いの物語のレリーフは、ヘレニズム文化の傑作と言われています。


その他にもこのペルガモン博物館には、ヘレニズム文化やバビロニア文化の巨大遺跡が、そのままの形で展示されている世界でも珍しいスケールの大きな博物館で、ベルリン観光の目玉となっています。

ベルリンの壁(ベルリン/ドイツ)

2010-03-21 | 旅フォト(ドイツ)


かつての東西国境検問所の1つチェックポイント・チャーリー(現壁博物館前)に近い、Zimmer Strasse(ジマー通り)とWilhelm Strasse(ヴィルヘルム通り)が交差する場所あたりに現存するベルリンの壁です。


第二次世界大戦後ドイツが連合国(米・英・仏・ソ連)によって、東西に分割統治されたものの、首都であったベルリンは東ドイツ領内にも関わらず、東西による分割統治領(西側にとってベルリンは飛び地)となっていました。


その後東西のドイツは別国家となり、東ドイツは自国民の西側流出を防ぐ為(名目上は西側からの軍事的防御の為)、1961年に壁が築かれます。

これがいわゆるベルリンの壁で、全長155km、高さ最高4.1メートル(地下からの逃亡を防ぐため地下にも延びていた)の壁が、1989年までの約28年間、東西のベルリンを挟んで存在していました。


ベルリンの壁は実は2枚あり、その間は数十メートルの無人地帯となっており、壁を越える者がいないか、東ドイツ当局によって監視されていました。

この28年の間に壁を越えようとして東ドイツ当局によって192名の人々が射殺され、逮捕者が3000名以上、生きて西ベルリンに到達した人が5000名以上と言われています。



1989年に東欧諸国が革命によって次々と民主化され、同年5月にハンガリー政府がオーストリアとの国境を開放した為に、東ドイツからハンガリー、オーストリアを経由しての西側亡命が可能となり、東ドイツ国民が殺到した為、ベルリンの壁は殆ど意味を果たさなくなり、ライプツィヒ、東ベルリン、ドレスデン等の東ドイツ各地での民主化要求デモの活発化もあって、1989年11月9日についにベルリンの壁は崩壊しました。



第二次大戦後1つの民族・国家が2つに分断された悲劇の歴史。

今なお朝鮮半島の韓国・北朝鮮との間で、その悲劇の歴史は続いています。


そして1つ歴史の歯車が違えば、同大戦の敗戦国である日本も、同じように2つに分断されていたかもしれません。



旧国境検問所の1つ、チェックポイント・チャーリーの前にある壁博物館(Friedrichstr.43-45)に行くと、冷戦時のベルリンの様子や、境界となった建物の4階から飛び降りる子供の写真等、東から西へ亡命しようとした人々の写真が紹介されています。


ブランデンブルク門(ベルリン/ドイツ)

2010-03-20 | 旅フォト(ドイツ)

ベルリンのブランデンブルク門です。
高さ26メートル、長さ65メートルのこの門は、かつて城塞都市だったベルリンの18箇所の城門の1つで、現存する唯一のものです。

東西分裂時代は東ベルリン側に位置し、この城門の前を塞ぐ形で東西国境線となるベルリンの壁が築かれた為、門は通行止めになっていました。

1989年のベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一後は再びこの門の下を通行できるようになった為、現在はドイツ統一の象徴として世界中に知られています。

写真は昨年の地球一周旅で訪れた際のもので、この門の前でギター片手に歌いました。

その訪問の1ヶ月程前に、ベルリンの壁崩壊20周年を記念した大イベントがこの場所で行われ、欧州でも大きく報道されていましたが、東西の経済格差や心の壁をはじめとする多くの課題が20年たっても山積みのドイツで、この門は今も希望の象徴となっています。

ローラント像とマルクト広場(ブレーメン/ドイツ)

2009-12-17 | 旅フォト(ドイツ)


ブレーメンのマルクト広場に立つローラント像です。

ハンザ同盟の自由都市の象徴として15世紀初頭に立てられたローラント像と、マルクト広場の市庁舎はユネスコの世界遺産にも登録されています。


像自体は約5.5メートル程ですが、背面の支柱を併せると10メートル強程。

ただ想像していたよりはそれ程大きくないなという印象でした。(笑)


マルクト広場の西側には、ブレーメンの音楽隊の像があり、広場にはいつも沢山の人が集まっています。