コソボが独立を宣言、セルビア等で暴動が起きているニュースを見ました。
本当はこの週末は、セルビアかアルバニアあたりへ週末に休みをくっつけて行く予定をたてていたのですが、インフルエンザ等の感染症が我が家を直撃し、やむなく延期にしたのですが。。。
そういえば以前アフリカのタンザニアを旅していて、トラブルがありその際は南部アフリカの道が絶たれたものの、おかげで多数の死傷者を出したハリケーンへの遭遇を逃れた時のことを思いだしました。
今回の感染症直撃も幸いだったのでしょうか。
でもこれからしばらくバルカン半島がきな臭くなるのかもしれません。
セルビアもコソボもアルバニアも貴重な観光資源がある良いところらしいので、1日も早く平和が訪れることを願ってやみません。
今日の写真は、昨年春に旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ(モスタル)を訪れた時のもので、観光街から一歩路地裏に入ると、今もこのようにビルには銃弾のあとや、爆破された建物等、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦争時の爪あとがくっきりと残っています。
コソボもセルビア人の聖地でありながら、アルバニア系住民が多くの割合を占め、その人々が国家建設を掲げ、セルビア系原住民を迫害しているという話を耳にします。また一方で旧ユーゴスラビア時代には、そのアルバニア系住民も、セルビア人から迫害を受けてきたという歴史を持っています。
私達日本人は幸い、世界の中ではわりと優遇されている民族ではありますが、それでも「アジア系民族」として時々差別的な扱いをされることがあります。
そのような理不尽な目にあった時は、自分の中で正義感が首を持ち上げ、日本人としての誇りを胸に毅然とした態度をとるのですが(結構ぶち切れたりもしますが。苦笑)、民族意識や愛国心も行き過ぎると血を流す争いに発展してしまうのかと、自分の中に流れる熱い思いにも危うさを感じることがあります。
先日もサッカーの日本代表の試合をテレビで見ていて、中国で日本の国歌斉唱中にブーイングがおき殺伐とした空気が漂っていました。
歴史は歴史、民族としての誇りは誇りとして持ちつつ、同じ人間として平和的解決が出来ないものかと思います。
もちろん愛する人や家族が殺されて黙っていられるわけはないけれど、憎しみは憎しみを生み、負の連鎖は更なる負の連鎖を生みます。
自分の感情は簡単には整理できないとしても、相手を憎むこと良しとすること、過去の軋轢(すべてが真実がどうかは別として)があるからその相手や家族、子孫へ何をしても良いのだと、新しい世代、子供達へ教え続けるのは何かが違うと感じます。
コソボ問題では80年代後半~90年代、現在へと続く、内戦やテロ、NATO空爆等、既に多くの血が流れています。
また米英やロシア等の各々の政治的思惑や、地域独立問題を抱える他の国々を含め、大きな問題を抱えながらも好転しない状況がこれまで続いてきました。
簡単な問題ではないと理解しつつも、ガンジーの非暴力・非服従のように、コソボ問題も、これ以上血を流さない平和的な解決がされることを望んでやみません。
一人の旅を愛する者として、コソボにも多くの旅行者と笑顔が溢れる日が1日も早く来ることを祈ります。
本当はこの週末は、セルビアかアルバニアあたりへ週末に休みをくっつけて行く予定をたてていたのですが、インフルエンザ等の感染症が我が家を直撃し、やむなく延期にしたのですが。。。
そういえば以前アフリカのタンザニアを旅していて、トラブルがありその際は南部アフリカの道が絶たれたものの、おかげで多数の死傷者を出したハリケーンへの遭遇を逃れた時のことを思いだしました。
今回の感染症直撃も幸いだったのでしょうか。
でもこれからしばらくバルカン半島がきな臭くなるのかもしれません。
セルビアもコソボもアルバニアも貴重な観光資源がある良いところらしいので、1日も早く平和が訪れることを願ってやみません。
今日の写真は、昨年春に旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ(モスタル)を訪れた時のもので、観光街から一歩路地裏に入ると、今もこのようにビルには銃弾のあとや、爆破された建物等、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦争時の爪あとがくっきりと残っています。
コソボもセルビア人の聖地でありながら、アルバニア系住民が多くの割合を占め、その人々が国家建設を掲げ、セルビア系原住民を迫害しているという話を耳にします。また一方で旧ユーゴスラビア時代には、そのアルバニア系住民も、セルビア人から迫害を受けてきたという歴史を持っています。
私達日本人は幸い、世界の中ではわりと優遇されている民族ではありますが、それでも「アジア系民族」として時々差別的な扱いをされることがあります。
そのような理不尽な目にあった時は、自分の中で正義感が首を持ち上げ、日本人としての誇りを胸に毅然とした態度をとるのですが(結構ぶち切れたりもしますが。苦笑)、民族意識や愛国心も行き過ぎると血を流す争いに発展してしまうのかと、自分の中に流れる熱い思いにも危うさを感じることがあります。
先日もサッカーの日本代表の試合をテレビで見ていて、中国で日本の国歌斉唱中にブーイングがおき殺伐とした空気が漂っていました。
歴史は歴史、民族としての誇りは誇りとして持ちつつ、同じ人間として平和的解決が出来ないものかと思います。
もちろん愛する人や家族が殺されて黙っていられるわけはないけれど、憎しみは憎しみを生み、負の連鎖は更なる負の連鎖を生みます。
自分の感情は簡単には整理できないとしても、相手を憎むこと良しとすること、過去の軋轢(すべてが真実がどうかは別として)があるからその相手や家族、子孫へ何をしても良いのだと、新しい世代、子供達へ教え続けるのは何かが違うと感じます。
コソボ問題では80年代後半~90年代、現在へと続く、内戦やテロ、NATO空爆等、既に多くの血が流れています。
また米英やロシア等の各々の政治的思惑や、地域独立問題を抱える他の国々を含め、大きな問題を抱えながらも好転しない状況がこれまで続いてきました。
簡単な問題ではないと理解しつつも、ガンジーの非暴力・非服従のように、コソボ問題も、これ以上血を流さない平和的な解決がされることを望んでやみません。
一人の旅を愛する者として、コソボにも多くの旅行者と笑顔が溢れる日が1日も早く来ることを祈ります。