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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

技能とスポーツ

2016年08月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 以前から感じていたことであるが、スポーツはどんな種目にしても、人間の五感を働かせ、訓練によって、あらゆる能力が向上する。能力といっても、運動能力といった方が適切かもしれない。チームプレーについては、チームの構成員と息を合わせ、目的とする勝負に挑むのである。

 

 職業能力とは必ずしも同一ではないが、繰り返し行う技量はまさに職業能力の習得と同じ過程を踏んでいる。つまり、繰り返し練習することによって、体で覚える。スポーツの方はむしろ単純化されているかもしれない。今回、開催されているブラジルのリオデジャネーロでのオリンピックは個人に内在する運動能力を競うものである。ギリシャで発祥したといわれるオリンピックの当初は器具などを用いることなく(用いたとしても砲丸であり、円盤等である)、人体が持つ、走る、跳ぶ、投げる、持ち上げる、などの個人競技、レスリングやフェンシングのような戦さに必要な運動能力であった。近代になれば、その様相は変わってきてはいるが、基本は同じである。

 

 習熟は、繰り返すことによって、身体を構成する筋肉の力加減、反射能力、感覚能力を高め、瞬時に反応できる能力であろう。もちろん競技には種目ごとに必要とされる部位があり、加えて、精神力も重要な要素となっている。競技といわれるゆえんは、技を競うのであり、技とは、人体が持つテクニック、すなわち、無意識にコントロールできる昇華した技能としてのカンであり、コツなのである。

 

 これらの能力は、後天的な要素だけではなく、先天的な生まれながらに持っている能力が影響する。医学者ではないので断定できないが、これら先天的能力は誰しも同じだけ持っているわけではないであろう。そうなると、誰かが内在したそれらの能力を引き出す必要性が出てくる。よき指導者に師事することも大切となってくる。

 

 今回の競技で特徴的であったのは、個人競技だけではなく、団体競技の能力である。ダブルスといわれる競技は選手がペアとなって参加する。ペア同士の息が合わないと失敗する。これには精神性が問われていると思える。1プラス1が2ではなく、3や4となる世界を見た。精神性、連帯感が勝負を左右するのである。相性というのか、相手との連係プレーが、相手の能力を引き出しているようであった。仕事との共通性を見出し、スポーツであっても、原点に人間関係が重要な要素としてあることを改めて感じている。