夜の貴婦人にふさわしい、良い香りに夏の暑さを忘れます。我が家では毎晩5~6輪が咲いています。
スポーツ選手が、プロ・アマを問わず、世間から注視されているのは確かないところであろう。オリンピックもプロ選手が登場することになり、プロとアマの差が以前より縮まっている。特別な差がないということであろう。芸能界とは異なる側面を持つが、有名人になることには違いがない。以前入賞してメダルを取った多くの方が、スポーツ解説等にあったっている。それは良いことの部類に入るが、どうも引っかかるところもある。たまたま条件があっての勝者のレッテルが張られても、それが時代にマッチするかといえば、多くの点で異なっている。二番煎じは聞いていて面白くはない。
自分と比較するのは意味がないことで、関係ない世界と割り切っている。人としての生き方は、世間の目が絶えず付きまとう煩わしさなのであるが、それもその人の選択であろう。かえってそれによる行動の狭さを形作られ、自由な行動も制限されるかもしれない。犯罪等に手を染めると必要以上に尾ひれがつき、ゴシップ記事の世界へと発展しやすい。そこが野次馬としての見方である。一般人にとっては、妬みがそのような行動を引き起こすのかもしれないし、それによって、他山の石としてみている面もある。
確かにスポーツ選手のイメージは、単なる一分野の能力にたけているだけであり、狭い世界なのであるが、全人格者として見られる側面には行き過ぎの傾向はあるし、仕方ないところである。これが逆に有頂天を戒める反作用として意識を持って行動することであれば、確かに人格者としての尊敬を勝ち取ることも可能であろう。
人生は誰にでも幸運が与えられている。その幸運を如何にして掴むかは人それぞれの選択に任されている。その判断は個人によって異なるが、諦めてしまえばその道は閉ざされる。しかし、チャンスは何回もあるし、すべての道が閉ざされるわけではないので、そう深刻に考える必要もない。わらしべ長者ではないが、偶然のなせる業で、人それぞれの個性に応じて努力すればよいこととおおらかに生きようではないか。人それぞれが集まっての世界である。
今まで見てきたように、スポーツにもメリットとデメリットがある。そこをわきまえて人生に取り込むという視点が大切なことと思っている。我が国伝統の精神性を大切にする古武道の世界は、今や海外からの愛好者が増えているといわれている。次のオリンピックを目指す若者に期待しながら思いを綴ってみた。