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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

民主主義の危うさ

2017年02月06日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 選挙制度は我が国が取り入れている議員を選ぶための国民一人一人が持つ投票によって、多数決で決まる制度である。これによる選ばれた候補者が投票量の多い順で当選者が決まって行く。政治家は将来の方向を一応示しはするが、いざ当選すると、将来の不確かさをも信託を受けたと、また、自分勝手な、推測不可能な決定をも信託されていると誤解する指導的立場にある者が多いことにあきれてしまう。歯止めとして、在任期間において、一定年数が決められ、場合によっては不信任決議によってその職が解かれるという歯止めはあるが、将来の予測は不可能なため、途中での判断だけでは、直ぐに首を挿げ替えるわけにはいかない。

 

 民主主義とはいえ、必ずしも全権委任しているのではないという投票者の意図はあっても、選挙結果によって、簡単には職を解くことが難しい。また、代議員たる各派閥の議員構成によっても異なるため、独裁政治や、過激な主義主張が大手を振って通るのが政治の世界である。つまり、選ばれた候補者も、単なる一市民に過ぎず、権力を得たからといって、自由奔放に政策を進めることはできない。

 

 指導的立場にあるといっても、万能ではないからであり、過去との一貫性においても、人間の記憶の限界があり、正確にすべての条文や統計データを暗記しているわけではない。つまり、過去の事例については裏方がちゃんと調べるし、議会での質問に対する答えは、事前に質問書を提出し、その答弁書によって、答える議会となってしまっている。まるで、学芸会のような、台本のセリフを棒読みする答弁となっている。茶番劇という言葉がぴったりとあてはまる。

 

 今回、アメリカの大統領となったトランプ氏、東京都知事の小池百合子氏等、華々しいデビューの割合には、含蓄の乏しい、クリエイティブからかけ離れた、前任者の悪口を政策に挙げているのは薄っぺらの人気投票のようである。どちらも走り出したハネムーン期間であるので、少々は目をつぶっても、いずれ、本性を見破られ、自滅する姿が浮かぶ。

 

 選挙に投票した人間の質の低下というのか、多数決の原則は、烏合の衆化した世界では、正しい方向へ向かうとの確約があるわけではなく、場合によっては極めて危険な選択になりうる。少数意見をどれだけくみ取ることができるか、参議院的な歯止めも必要である。数の力が制する結末は、軍国化に向けて歩んだ我が国の手痛い教訓を残した歴史を忘れてしまったごときである。