時代錯誤かもしれないが、我が国の伝統産業である和紙作りは、いたるところで利用され、高度の技能が繰り広げる和紙の奥義ばかりではなく、洋紙に比べ、比較にならないほど寿命は長い。化学繊維とさほど製造に違いがあるとは思えないが、和紙は数千年の歴史を持ち、洋紙は数百年で、一桁異なっている。手すき和紙は、障子紙、お札、習字用半紙に至るまでその用途は幅広い。自分の専門分野から言うと。美濃紙や吉野紙である。どちらも塗料を濾すためや、下地の補強に使っている。
今回のテーマは四国の和紙製造からのヒントである。四国には一千年を超す紙づくりの歴史があるそうで、手すき和紙である。伝統産業として、よく見る光景に、四角い桶の中に、和紙の原料となる楮やミツマタの皮をはがし、繊維だけを取り出し、海藻のり等を入れてよくかき混ぜ、漉いて紙にする方法である。それを天日で乾かし、それぞれの用途に出荷される。このこと自体は珍しいことではない。
最新のパルプを原料としたいわゆる洋紙であっても原理は同じであり、パルプから得られた木質繊維を絡ませ、紙とする。古くはエジプトのパピルスが有名であり、paperの語源にもなっている。我が国が手掛けている古代エジプトの貴重なパピルスが酸化や、劣化によって、その修復を我が国の和紙を裏打ちして修復しているという。
古い我が国の絵画、多くの執筆された古文書等についても、和紙が大いに役立っているという。修復技術もさることながら、素材に和紙や膠が使われていることのメリットは他の素材では永続性に問題があるのであろう。
一方、ペーパーレスとして登場した情報の電子化は、複写できるコピーマシンの登場(電子化された文字データがコピーマシンで限りなく複写できる機能)と一致していて、ペーパーレスの必要性が広く叫ばれたのであったが、世の中はそうは動かなかった。むしろ複写機による紙の使用量が膨大化を続けているのである。このことは、いち早くコピー機メーカーが手掛け、その増益を見れば分かる。情報の電子化それ自身は良いことであっても、印字されなければ逆に利用価値が落ちるという不思議な現象となってきた。このコピー紙は、特段保存期間が長いものではない。明示できれば良いのであって、その意味では高価な和紙を使う必要がないのである。
薄い和紙で書かれている古い戸籍謄本などを見ることができるが、数十年たっていても、文字が読めなくなったということはない。それなりに機能してきたのである。ほとんどは手書きであり、カーボン紙による複写もあるが、50年以上経過しても健在であることは和紙の優れた特徴であろう。いずれ和紙の用途が広がることを期待している。