海外から来日する研修員のお世話をしていた時によく聞かれた話に、我が国は魚の匂いがすると言われた。海外へ行くと飛行場に降り立った時に、その国の独特な匂いがし、我が国と異なると感じることはあるが、場所だけではなく、日本人の体臭も同様とのことであった。日本人同士ではそのようなことは話題にすらならないが、何処か匂いに染まる世界がある。魚を焼くと煙が出る。さんまを焼いていれば季節を感じるし、空腹であると焼き魚が食べたくなる。食文化の違いなのかもしれないが、自然に体臭となる可能性は高い。とはいえ、欧米化したのであろう。最近はそのようなことを聞かれることはなくなった。
実は魚を一匹丸ごと売っていた魚屋が居住地には一軒のなくなっている。スーパーマーケットへ行けば鮮魚売り場があり、切り身や刺身が手に入るので、生活には困ることはないが、メバルやカレイ等の煮つけを食べたくなっても、スーパーではめったに一匹で販売していることが無くなっている。小骨が多い魚であると高齢者も子供も敬遠するし、食べるにしても背骨をきれいに外し、残骸をできるだけ残さないようにするのも苦手な大人が多くなっているようである。
出刃包丁や、刺身包丁を家庭で持っている方も少なくなっている。丸ごと一匹を魚屋で買ってきても、三枚におろすことや、頭や鎌の部分、身の付いた中骨等を澄まし汁やあら煮にすることもないようである。惣菜売場へ行けば焼き魚やあら煮を購入することはできるが、家庭ではほとんどしなくなったせいか、魚屋が無くなるのはさもありなんと思う次第である。
内陸は別とし、海に囲まれた地方へ行けば、今でも地元でとれた魚類を購入できる。しかし、高級魚は都会の魚市場や、築地へ行ってしまうため、地方でも高級魚を購入することは難しくなった。刺身や、焼き魚はどこの居酒屋にでもあるので、酒飲みは魚を口にすることは変わらないのかもしれないが、家庭での食文化の変化は徐々に浸透しているようで、鮮魚の消費が家庭から去れば、鮮魚の水揚げも減るし、漁師も減少する。
加工が楽で、廃棄物が出ない食品にシフトすれば、当然、魚介類が食卓へ上る頻度も少なくなるし、食生活の中身も変わってしまう。一番心配なことは、身近であったイワシやアジ、サバが、区別もされずに、同じ魚として食べられる世界である。豚肉、鶏肉、牛肉の料理が主となり、欧米化の傾向は進むが、魚料理を家庭では食べられなくなってしまうのも極めて寂しい時代の変遷である。