鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

確定申告準備とマイナンバー

2017年01月24日 00時00分01秒 | 紹介

 そろそろ1月も下旬となり、確定申告の時期となった。マイナンバーとの関係がはっきりしないまま、今月を迎えた。そろそろ確定申告の準備を思いたのであるが、必要な書類を抽出するだけでも一日はかかる。確定申告をするかしないかの判断が、まずあるが、昨年一年間の収入と収支を明確にしておくことも必要であるが、余分に払いすぎた税金がどれだけ還付されるかは、昨年とほとんど同じであり、還付されるまたは納入すべき税金を調べることは大切なことだと思っている。

 

 年金生活者であるため、所得税もさほど多いわけではないが、確定申告を通じて、清算できるに越したことはない。その第一歩は、年間の医療費である。確定申告の目安は、年間に出費した医療費や薬の代金が10万円を超すかどうかである。10万円を切る金額であれば、確定申告の対象には大きな意味でならないのであろう。確定申告は、収入に対し、所得税の全額から項目ごとの税額を清算するのである。多くの場合は税金をとりすぎているため、算出基準に沿って再計算することにより、還付される場合があるからである。

 

 事業を行っている者においては還付されるどころか、不足分を納付しなければならない場合もある。サラリーマンの場合には、家の購入や、被災地に居住することによって生じた被害の大小による減免措置がある。その場合にはサラリーマンであっても確定申告が必要となる。

 

自分は退職後から毎年確定申告を行っていて、毎年今頃は、関係資料の整理等で、書斎は足の踏み場もなくなる。生命保険の控除などは前年の10月から12月までの間に送られてくる。年金についても確定申告の必要書類としてはがきによる通知がなされる。手間といえば、医療費の年間における詳細なデータ作成であろう。一件ごとに決まった書式に記入する必要がある。なれるとさほど問題ではない。コピー機能もあるので以前と比べ、楽になった。

 

雑収入や、投資信託等の収入の明確化が求められるし、完成した帳票により、還付される金額もその時点ではっきりする。ここにマイナンバーが加わったため、混乱されている方も多いと思う。住民基本情報カードの有効期限が、いつなのかによって、マイナンバーを申請する必要性が出てくる。個人によって条件が異なるので、そのあたりを十分精査して確定申告に臨んでほしい。


掃除ロボット

2017年01月22日 00時00分01秒 | 紹介

 家電で人気が高い商品の一つに挙げられている掃除ロボットがある。自走式で、電池で動くもので、充電場所を知っていて、蓄電量が減れば、機器自らが判断し、充電場所で充電する。日中留守にしていても、掃除を行ってくれるものである。自宅で使ったことはないが、ある程度の段差も乗り越えるし、コーナー部においても掃除をしてくれる。なかなか優れものとの評判であるが、消費者の要望もあってか、進化し続けているようである。

 

 今回紹介するのは、今までの掃除ロボットに機能が追加され、床を拭くという水拭きを行うようにした掃除ロボットである。原理はセンサーで必要な場所に水を噴霧して、前後運動により汚れを取り除くというものである。床と接する面はパッドがついていて、湿らせた状態となっている。何度かこの動作を繰り返せば当然パッドが汚れるので、それを取り換えるようである。本格的な水拭きではないが、ある程度の汚れは落ちるのであろう。汚れが激しい場合や、油脂の汚れ等は、化学処理(洗剤を含ませる・界面活性剤等を利用する)するようで、汚れに応じてパッドを替える。

 

 掃除ロボットもここまで来たかと思うが、工業的には、すでに自動化されている電動機器はある。ビルのガラス窓を清掃するもの、空港や会議室、ロビー、体育館等の広い面積の掃除に利用されている。原理は、今まで手作業で行っていた各工程を一台の機械に取りまとめたもので、ポリッシャーとバキュームクリーナー、洗剤供給、乾燥用の送風等の機能を持つ。

 

 通常、水拭きは適している素材があり、できるだけ水分が浸透しないものが良い。床面は木材(プリント合板)にポリウレタン樹脂塗料を塗ったものが多いが、リノリュームタイルのような合成樹脂も多い。コンクリート面には塩化ビニル等のビニル系の樹脂塗料が塗られている。要は水を吸収する床は適さないことがわかる。

 

 水は多くの物質を溶かす働きを持つが、ふき取りが完全でないと素材表面に汚れが拡散するだけで、一向にきれい(クリーン)になってはいない。水拭きすなわち雑巾がけでは通常きれいにならない。常に正常な布面で拭い取るようにしないときれいにはならない。先ほど紹介した電動の大型掃除機で述べたように汚れた水を吸い取るバキューム式が効果的である。

 

 新たに開発された水拭き掃除ロボットの評判と使い勝手等の機能をもうしばらく注視したい。


啐啄同時(そったくどうじ)

2017年01月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 新聞の広告欄に駒澤大学の禅の言葉が掲載されていた。啐啄同時である。それを引用すると、以下の説明がなされていた。

【引用】

 雛が生まれようと卵の中から突っつくのが「啐」、すかさず親鳥が外から殻を突っつき、誕生を助けるのが「啄」。これが師弟関係です。

 

 別の辞書では、機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くこととある。

 

 もともとは、中国の漢詩、碧巌録から来た熟語である。それを調べようとインターネットで検索したら知的障害者の学生を中心としたボートを楽しむサークル「アメンボウ・シーズ」というホームページにたどり着いた。碧巌録に記載された語源が書かれてあるので、興味ある方は検索され、参考にされたい。

 

 平素ではなかなか触れることができない含蓄のある言葉はほかにも数あるが、長年教育訓練に従事していたこともあり、適切な意味を知ることの必要性を感じた次第である。教育の原理原則をまさに射抜いていると思われる。どうも教育の効率化を受験戦争に勝つための手段ばかりが表に出て、どこ大学や○○高校等の有名校に何人合格したなどの塾の広告宣伝が目につく。実は教育現場で見落とされがちな師弟関係をもっと充実させるべきではないかということである。

 

 決められたカリキュラムをこなすだけの一方的な授業に始終し、教育の根幹たる生徒の潜在能力を引き出し、教え育むということで、教授陣に必要なのは、啐啄なのである。

それも、雛が内側の殻を突っつく音や響きを親鳥が聞き分け、そのタイミングを計って外側からの手助けを行うことなのである。

 

相手が求めないのに詰め込む学習方法は、相手の能力を軽視する教師の強制力 (場合によっては暴力) であり、人格を無視した行為であるし、詰め込まれる生徒からすれば、学習意欲を損なうきっかけとなり、おちこぼれの原因ともなり得る。老婆心ながら、このことを考え教師など師に当たる方々が自分の教育方法について再度、見直す機会にされたいと思っている。   


学童保育

2017年01月20日 00時00分01秒 | 紹介

 学童保育という言葉を聞くと、かつては鍵っ子と呼ばれ、帰宅しても家族が誰もいない学童を指していたが、共働き家庭など小学生を放課後に預かる学童保育(放課後児童クラブ)について、希望しても利用できない待機児童が昨年5月1日時点で、1万7000人に上るそうである。前年同期比で262人増え、2年連続最多数を更新したとの発表が厚生労働省からなされた。

 

 登録児童数は前年比で6万8千人増の109万3085人、受け入れ施設は2万3619か所となっている。増加の理由は、受け入れ施設の利用対象者を10歳未満から小学6年生まで拡大したことで、大幅に増えたようである。国としても受け入れ施設を増やす傾向にあり、いずれは落ち着くとの見通しである。開設時間についても午後6時半以降が51%もあり、過半数に達している。大都市である、東京や埼玉に待機児童の多い県となっている。

 

 実態はつぶさにはわからず、紙上で知るだけであるが、何かボタンの替え違いか、他人事では済まされないような気がするが、己の危惧であって欲しいと思っている。何かというと、経済優先なのか、家庭の事情はよく分からないが、子を持つ親の利己的な面を見る気がする。現在、待機児童であれば、今後、施設の空きがあれば学童保育に預けることになり、現在では何らかの手段で子供を見ているのであろう。

 

 子供が成人になるまでは親に保護責任があり、義務教育は、小学校・中学校と決まっていたことが、いつの間にやら、乳飲み子から育児を放棄するに等しい、他人へ預ける、いわゆる、保育が横行するようになり、商売として成り立っていれば、それはそれで口を挟む立場ではないので、良いとしても、必ず、デメリットが生まれることは否定できない。考え方が古いと言われそうであるが、時代の流れとして、流してしまうことはいかがなものであろうか。

 

 そういう自分も仕事に明け暮れ、育児は女房に任せ放しにしてきた。仕事に明け暮れ、見向きもしなかった一人であることは間違いない。親としての業がどれだけ子供に伝わったのか不明なことが多い。子育てに成功したとも言えないが、努力はしてきたつもりである。今回のテーマはどうも苦手な分野で、歯切れは悪い。立ち止まって考える余裕もなかったからかもしれない。願わくは、子供の健やかな成長とは親のかかわり方に正比例していると考えるのがせめてもの提供できる思いである。


野鳥の観察

2017年01月19日 00時00分01秒 | 紹介

 多摩川での野鳥の写真撮影の余禄なのか、はっきりしないが、野鳥の種類が多く、自然が残されているのが基本であると思う。毎回、何気なく見ていると、決まって止まる樹木がある。最近は、葉が落ちているため、観察にはもってこいの季節である。野鳥にとっても、葉があった方が安心できるし、雨や露を防ぐことができるし、葉があると姿を隠すこともできる。葉が落ちてしまうと猛禽などの野鳥に狙われやすくなるのであるが、決まって止まる樹木は周りが見通せる場所にある。

 

 川があることは飲料水の補給や水浴びに必要であり、魚を餌にしている野鳥は、餌の採取場所にもなる。魚ばかりではなく水生昆虫が羽化するとセキレイやツバメのえさとなる。

葦原やススキあれば、小型の野鳥の棲み処にもなるし、雑草につく虫も餌になる。灌木と葦原も存在するし、これらの小型野鳥を狙う猛禽も多くなる。

 

 多くの野鳥は縄張りを持つようであるが、これも定かではなく、常時移動しているように思える。留鳥であっても餌が無くなれば移動するのは、当然で、真っ赤に鈴なりとなっていたピラカンサの実も、ツグミやヒヨドリが食べつくすと、別の種類の木の実に群がる。ネズミモチの実も食べつくされた、センダンや、ムクの実も全く実が無くなっている。おいしいものから順番に食べるようである。わずかに残った実をジョウビタキやカワラヒワが食べている様子がうかがえる。

 

 ベニマシコはセイタカアワダチソウやススキの穂を食べるようで、ホウジロ、カシラダカも食することがある。小型猛禽類の代表格はモズであるが、昆虫を主な食料としている。

こうしてみていると、食料のあることが野鳥を集め、留まる大きな理由である。その意味で自然が残っていることは野鳥を保護する第一条件のようである。むやみに河川敷利用を推進する方も多いが、自然を残すことによって癒される方も多いはずである。野鳥カメラマンにとっても、餌をばらまくことで野鳥を集めて撮影するなどは愚の骨頂と思われる。

 

 我が国は四季がはっきりしていると言われている。四季折々の自然のなりわいにあまり人工的な手を加えず、極端な変更は好ましいことではない。多摩川がある以上、治水管理は十分に行わなければならないが、地域の一部には残しておきたい世界がまだある多摩川をこよなく愛する一人である。


高齢者ドライバーの死亡事故原因

2017年01月18日 00時00分01秒 | 提言

 警察庁の有識者会議の初会合で提出された報告書によれば、75歳以上のドライバーが、2015年に起こした交通死亡事故を分析したところ、人的要因の約3割がハンドルやブレーキなどの不適切な操作だったことが分かった。新聞紙上によれば、75歳未満のドライバーと比べ、2倍の事故発生率であった。

 

 免許の返納や、については後で触れることにするが、最近の話題としても高齢者の運転ミスによる人身事故や器物破損等の事故報告が目立つようになってきている。全体の交通死亡事故が、減少傾向にある中で、突出した傾向にあることは理解できるが、その対策は十分効果が上がっているとは言えない結果となっている。

 

 以前から言われていたことであるが、高齢になればなるほど身体機能も低下するし、特に、判断力を司る目や耳の機能低下ばかりではなく、反射能力も落ちる。とっさの事故回避が間に合わず、パニックに陥りやすい。高速道路の逆行や、一時停止を行わない、左右確認が十分ではない。方向指示器を出さない。突然追い越し禁止の黄色の区分線を乗り越える等の平素の行動も注意散漫な状況を見ることが多い。併せて高齢歩行者も、横断歩道があってもそこを利用せずに、左右の確認をしないで勝手に道路を斜め横断することも事故発生の原因を作っているように思う。

 

 では、どのような対策が考えられるのであろうか、認知症等と診断されれば、家族の付き添い等が義務付けられるが、常時家族が付き添うことも限界がある。付き添い一つにとっても家族だけでは支えきれなければ、地域住民の協力やボランティアが必要になろう。

 

 悲惨な事故に学童の集団登下校が、高齢者ドライバーの運転する車両による死亡事故も発生していて、集団による登下校も問題になっているようである。交通量の少ない通学道路を変えることや、歩道と車道の分離柵などを設置する防御対応も有効と思われる。信号機のない交差点や横断歩道には、やはり最低限信号機の設置が望ましい。

 

 高齢者の免許返納は自主性を重んじているため、強制できない。都会の居住者には代替え交通手段があるのでまだ返納しやすいが、地方では車両に代わるべき代替え手段がないのも問題解決を長引かせている。個々の問題は人命尊重の立場に立ち、被害者にならない、加害者にならないためには今何をするのかを熟慮しなければならない時期に来ている。

 


技術の政治利用

2017年01月17日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 豊洲市場の地下水をモニタリングする汚染物質の異常値については、小池都知事が就任してからの第8回目及び今回の第9回目で、検出があってはならないヒ素、シアン物質のほか、ベンゼンに至っては環境基準の79倍もの数値が示された。従来は環境基準値を下回る調査結果が続いたが、どうも測定業者の違いや、過去の検査管理の統一性等に疑問が向けられている。杜撰な測定や、管理の在り方にまで疑問が投げかけられる現状は、まさに技術を生業とする専門家の資質までも疑問視されるマスコミの在り方に違和感を持っている一人である。

 

 実態把握については当事者ではないため、個別に調査するわけにはいかないが、マスコミが作り出そうとする善人悪人のレッテル張りはいつの時代でも勧善懲悪の形に仕立てられ、問題の解決の程遠い場所で作り上げられる陰謀や、策略のるつぼとなり、間違った方向に面白おかしく脚色する輩の餌食と化す。先導者たちは決まって、都民の健康や、食の安全を口では叫び続けるが、意図をもって計画した当時の政治家へは矛先が向かわず、調査を真摯に行う調査員や分析に従事する専門家へ向けられるのはいかがなものか、その政治家を選んだ都民はどう責任をとるのか、まさに天に向かって唾を吐くがごとき、投票した自分へ帰るのである。

 

 都知事に立候補し当選したといっても、万能の神を選んだのではない。学級委員長を選ぶに等しく、いうなれば人気投票の部類であり、詳細に亙る全権委任ではないのである。知事などの職責を勘違いした結果は退任後の生き様を見ればよく分かるはずである。

 

 小池都知事も大人気ないというか、自分がタッチしていなかった時代のこととして、他人事を決めつけているが、力量がある政治家ならば、議員の時代に同じ党出身者であった前知事へ何を具申してきたのか、同じ出身母体がいまさら知らぬ存ぜぬはないであろうと思うが、いかがなものであろうか。

 

 ことの成り行きは振出しに戻ってしまった。全力を投入した過去の治世を評価せず、なし崩しにしていくやり方は前猪瀬都知事と同様、何も作りえない単なる批評家に過ぎない。小池都知事も当初は威勢が良かったが、最近は荷が重すぎるように感じる。お手並みを拝見する時間的余裕もなくなりつつある。既にレームダックであり、チェックメイトでないことを願っている。