鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

七草がゆまがい

2017年01月08日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 正月も7日が過ぎると晴れやかな気分が続かない。周りは喧騒から隔絶した高齢者の住居地であることにもよるが、年神様も迎えてからの毎日のお世話だけでも疲れが出てくる。いつまで居座るのか定かではないが、昔は15日が小正月(女正月)であり、成人式が行われていた。それが早まったせいで、15日正月をとやかく言う時代ではなくなったようであるが、ひと月は正月といっているので、神様は在宅されているのであろうか?正月飾りは明朝小学生が集めに来て、河原でどんと焼きを行うそうである。今年は喪中だったため、飾り物はない。初詣もいかなかったのでお札はそのままにしてある。

 

 今日の朝食は、七草がゆを食していたが、元旦より餅が続いたため、そろそろご飯に切り替わる準備であり、胃にやさしい七草を炊き込んだ雑炊である。自分はほとんど雑炊とは縁が薄く、好んで食することはないが、しきたりにはそれなりの意味があると思っている。スーパーへ行けばそれ用のセットが売られているがそれを買うのも味気ない。我が家はすでに朝食はパンとコーヒーと決まっている。七草は旧暦の時代の野草であったものが多く、新暦の今ではほとんどないか、成分すら異なってきている。特殊な野草なので、特別に育てる必要があろう。とはいえ、薬膳料理と思えるが、野草も食して見ればその多さがわかるのであろう。

 

セリは年末に購入して使った根元を植えていたのが大方食べられる長さとなった。あとは冷蔵庫に残ったもので夕飯には自称七種薬膳寿司なるものを作ってみた。食材は、せり、乾燥しいたけ、えのきだけ、湯でタケノコ、ニンジン、こんにゃく、油揚げ、ちくわ、乾燥わかめ、冷凍むきエビ、京都のすぐき漬物であった。分量は適当で、11種にもなってしまった。甘さを抑え、ちらし寿司にした。

 

 薬膳などとは程遠いが、あるもので造るのが台所を任された俄か調理人の腕の見せ所と張り切って作ったのであるが、まずくはないと言われ、今年の初寿司は七種寿司と変身した。ついでに、炊き込む前に10cmぐらいに切っただしコブを炊き上がった炊飯器から取り出し、水を加えてお吸い物を作った。具材は茹でた銀杏の実とかにかまぼこで、卵とじとし、白だしで味をつけた。これも春らしく仕上がり、ちらし寿司には良くマッチした。

 

 文明か文化という名で、食材に対する薬効についてはほとんど顧みられない昨今である。野草に原点があり、少なくとも温野菜か冷野菜ぐらいは知っておきたいと思った次第である。


ハレとケの根源

2017年01月07日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 実態を目視できない物事を二元論として対比させる考え方は、ある面、説得力というのか納得性を明らかにする手段である。この場合は、二極に分かれるため、上下か左右という平面的な表現となり、そこには中間(中庸)や、段階的な増減(グラデーション)の考え方はあまり見られないようである。この考えを導入すると、何らかの理屈の付け方が必要となり、概念上では説明困難となりやすい。

 

 今回、取り上げた喪中と正月との関係は、突き詰めれば、ハレとケとの違いであろう。ケの中に忌中と喪中が入るし、それが終われば、つまり忌中明け、喪中明けとなれば、ハレとなるのである。忌中と喪中の違いは伴う儀式の制限事項の厳しさによるわけで、上位の身分と一般人との違いが生じるし、死者と家族との関係性、例えば、父母、祖父、子供、祖母、兄弟姉妹、叔父叔母等の血族、姻族では異なる。現在、職場や学校等所属していても、法事への参加は優先され、法事出席のための旅行日が発生した場合にも当てはめられているのはご承知のとおりである。

 

 地域や職業によっては忌や喪の期間を短縮する工夫がみられる。生活の場がある以上、いつまでもケの状態では稼ぎができなくなるし、不合理であるからだ。そのためにはケの状態の生ものは食さないという制限を変えて、通常と同じような食事に切り替える。それを長老等の介添えが確認し、公表するのである。そうこうしているうちに、世間ではそのことに対する揶揄は少なくなり、制限自体の緩和につながってきたと考えられる。また、死者が埋葬することについても、一定期間荼毘に付さないこととしていて、仮に死体を安置し、寝食を共にする風習もあったようである「モガリ」。墓地に仮小屋を建て、死者と一緒に生活する地域もあったようである。

 

 ハレとケの違いは、晴れがましいことと忌み嫌うことの感情論である。正月はめでたいので、ハレの日であり、そこには喪に服した、つまり死者を出した家族はケであるので参加できない区分けがなされる。神事には、禊ぎ(みそぎ)を行い、神聖な年神様を迎えるため、俗世間における多くの災いや穢れ(けがれ)を身にまとった人間を清水の力で洗い清めるというものである。類似の儀式は目に見えない世界であるから確認できないのであるが、証明できない世界がまことしやかに儀式として世界中に存在することは、良し、悪しではなく、恐れ、むしろ尊いもの等、実体のない空想世界にあこがれる心理を映しているのかもしれない。


寒中見舞い

2017年01月06日 00時00分01秒 | 紹介

 古代からの因習で、国によって違いはあるが、身内の家族に死者が出ると一定期間喪に服し、自宅にこもり外部との接触を断ち、慎み深い生活を行って、死者への哀悼と冥福を祈ることであるが、一般庶民では、仕事や学業においても忌引きが認められている。仏教では、満中陰といい、忌明けとなるが、親族の関係の深さから忌より緩い行為に喪がある。

 

 これも期間の長短はあるが、次に迎える正月までは続くようで、年明けの正月を祝うことをせず、年末には賀詞を慎む旨の欠礼状を年賀状の代わりに出すことが行われている。しかし、前年中に住居の移転や住居表示が変わる場合等があり、喪中の挨拶状が相手へ渡らずに戻ってくる場合がある。変更があった方が郵便局へ届出されていれば転居後1年間は新住所へ転送してもらえる。そのあたりがうまくいかないと戻ってきてしまう。

 

仕方なく、年賀状をもらってから、寒中見舞いという形で賀状のお礼と喪中である意思表示を行うのである。一部、二度手間になるが、これも世の常と思い、その準備を始めた。差し出す時期は、新年正月が過ぎ、7日以降が良いとされているので、そのころに投函できるようにするつもりでいる。

 

年賀状の出し方は人によって異なる。戻ってきた喪中の挨拶状のほとんどは、出していなかった方であり、自分のミスであった。今回は、四十九日後の挨拶状は出したのであるがこれは葬儀参列者のみであったので、問題はなかった。年賀状の管理は手間暇がかかり、転居状をもらった時にすぐに住所録を修正すればよいのであるが、まとめてなどと思っていると修正もままならなくなる。さらに今回、パソコンの内臓ディスクの不具合が発生し、それ以前のバックアップをもとに住所録を取り込んだため、齟齬が生まれたこともある。

 

改めて平素必要となる住所録や自作したドキュメント類は、定期的に外付けハードディスクにコピーを保存するように思っているところである。

 

今回、義母が他界した後の様々な手続きを行ってきたのであるが、今まで知らなかったことを含め、多くを学習した。制度や因習の背景まで踏み込むことはなかったのであるが、地域により、構成する社会によって引き継がれることの大切さと難しさを合わせて感じたところである。


カメラマン冥利

2017年01月03日 00時00分01秒 | 紹介

 今朝の野鳥撮影は、いうなればカメラマン冥利に尽きるものであった。何故か、今までに経験したわけではないが、戦場をルポするカメラマンの自分の姿と重なる状況が、頭をよぎる凄まじいものであったからである。いうなれば死闘の現場撮影であった。正月早々に、過激な内容となってしまい、読者を驚かすことが本意ではない。野鳥撮影にはまり込む要素の一つなのかもしれない。誰しもそのような現場で撮影することは、ほとんどのカメラマンが経験するものではないであろう。

 

 お屠蘇気分が抜けないカメラマン同士の会話では、決まりきった挨拶をかわし、連日晴天に恵まれ、暖冬をありがたがる話であった。三々五々ちりぢりになったため、現場で目撃したのは自分を入れて3名であった。昨日も、今日と同様、早朝にハヤブサが川の上流に向かった姿は目撃したが、一向に戻ってこなかった。ところがである、ハヤブサ一羽が対岸の高木に数羽のカラスに追われて逃げ込んだ。ハヤブサの周りにはカラスが呼んだのか見る間に10羽以上になっていて、盛んにちょっかいをかけ、ハヤブサの追い出しにかかる。

 

 じっとしていたハヤブサも我慢しきれずに飛び立ち、また高木に戻ろうという行動に出た。それを23回繰り返した後、川面で羽を休めていた一羽のユリカモメがハヤブサの餌食にされたようであった。ユリカモメをターゲットにしたハヤブサは、カラスの追撃を振り払い、何度もユリカモメに攻撃を加え始めた。回数にして45回であったと思が、はっきりとカウントしていない。ハヤブサは水面に浮かぶユリカモメに対し、足の爪を立てて攻撃する。

 

 攻撃を受けたユリカモメは必死に羽をばたつかせ、そのたびに水しぶきが上がる。たぶん水中にもぐることができるカモメであるが、突然、数回の攻撃を受けるとユリカモメは、なす術(すべ)もなく、パニックになっていたようであった。ハヤブサとしても体の大きさや重さが影響してか、水面に浮かぶ鳥を捕る技はないようで、驚いて水面から飛び立たせ、空中に飛び出せば、加速度がつくので、容易にとらえ、鋭い爪を立てて殺傷できる。

 

 その理屈が正しかったのか、数回の攻撃に耐え、飛び立たなかった(立てなかった)ユリカモメは命を落とさずに済んだようである。ハヤブサも猛スピードでの水面の上下飛行につかれたようで、対岸に降り立ちユリカモメとのバトルは終了した。この間、カラスは手出しができず高木に止まり、遠巻きに見ているだけであった。

 

 自分としても、このようなシーンを撮影できる機会はほとんどないのであるが、自然が繰り広げる、野鳥の生存競争の現場は、凄まじいものがあり、しばらくの間、興奮状態が続いた。


喪中の正月

2017年01月02日 00時00分01秒 | 紹介

 宗教に詳しくないので、失礼があってもいけないと思いながら、持論を申し上げることにしたい。正直言って、今更ながら根拠の乏しい話であり、深く考える必要はないのかもしれない。多分、世間体というか、死者への弔いか、歌舞音曲を慎むことを通して、死者への哀悼を示すのかよくわからないが、仏教や神道でもその解釈は異なっているようである。

 

一種の因習であり、だからといって、物理的に正月を迎えないわけにはいかないし、死者と新たな年を祝うか祝わないかの関係は全く異なる次元であり、新年を祝うことの意味は決して死者への冒涜でも何でもないのである。新年を引き合いに出す喪中とはなんであるのか自分には無意味と思えるのだが。

 

 昨年の11月に新年のご祝辞は遠慮する旨の喪中の葉書を出したのであるが、これとても、親族は承知しているし、会社関係や、あまり親しくない友人には通知する必要はないと思うし、かえって相手が戸惑うこともあるので、最近では年賀状を出しても喪中の通知は出さないという人が多くなっているようである。

 

 では実際の喪中期間はどれくらいなのであろうか。仏教では死後四十九日の中陰明けまでとし、神道では40日とのことである。それがいつのころから正月を挟む期間が喪中としたのかは死亡した月によって異なるのであろうか。つまり1月に亡くなれば、翌年が喪中正月となるし、12月に亡くなれば1か月で喪中正月を迎えることになる。ここに最大1年間の差が生まれてしまう。公家の殿上人の時代にはそれもよかったかもしれないが、喪中だからといってサラリーマンが宴会にも出られないなどはナンセンスであるし、世の中では通用しないことである。

 

 国によっては、主人が亡くなれば、奥方は一生涯喪服を着用するなどの国もあるし、未亡人という呼称についても不合理な言葉であることは間違いない。古い因習は、いずれは廃れる運命にあるといえるし、いつまでも継続するメリットはないであろう。特に合理的であれば因習も良いのであるが、根拠となるものがない以上、かえって生活に支障となり、混乱をきたす。

 

 自分には喪中が社会的に定着していることが不自然に思え、どちらかといえば個人的に関係する死者への哀悼の意を他人にも強要しているかのような一種のパフォーマンスに近いと思えてならない。


平成29年年頭のことば

2017年01月01日 00時00分01秒 | 挨拶

 

 

 本年も何卒よろしくお願いいたします。皆様にとってはよき年となるよう祈念いたしております。ブログを開設して4年強になり、画像1480、随筆等1466件となりました。閲覧数478,686回、訪問者数96,139人となり、大変喜んでおります。ご覧いただいた方には何らかの形でお礼しなければなりませんが、一層の充実を図ることが最大のお礼と考えています。今年は近隣の撮影スポットへも積極的に出向き、新たな写真の世界を広げる覚悟でおります。随筆においても身近な話題を中心に、ご紹介できればと思っているところです。平成29年1月1日。