リクエストにお答えして?
幽霊子育飴について、詳しく書こうと思います。
まあ
封を開けて食べてみた
というわけなんですけど
開けてみると
飴が入った透明の袋に
薄い緑の上紙、赤いネーム入りの紙が
巻いてあるだけの
簡易包装でした。
紙を取ってみると
中に飴の由来の紙が入っていました。
「今は昔、慶長四年(1599)京都の江村氏妻を葬りし後、
数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返してみれば
亡くなりし妻の産みたる児にてありき、
然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて
幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。
此の児八才にて僧となり修行怠らず
成長の後遂に、高名な僧になる。
寛文六年(1666)三月十五日六十五才にて遷化し給う。」
(幽霊子育飴・由来より)
(製造者)みなとや幽霊子育飴本舗
京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町80番地の1
と、あえて住所入りで詳しく紹介しましたが
この松原通
京都の東西を貫く通りで
東のどんつきは清水寺や大谷さんの霊園になるのですが
この辺の丘?は、昔は鳥辺野と呼ばれ
京の都の人々が亡くなったら葬られる場所でした。
(今も、昔もですね)
で
松原通が、その鳥辺野へ死者を葬りに行く通りであったんだそうです。
私の松原通の認識は・・・
配達の道(轆轤町の某店に卸してます)
川端通りから東大路の抜け道
なんか昔懐かしい店の多い店
と言うくらいだったのですが
それが野辺送りの道であったとは驚きです。
でついでにいうと
轆轤(ろくろ)町という名前も
昔、ここらあたりからドクロがたくさん出土して
髑髏(どくろ)原と呼ばれていた時期があって
髑髏では、ちょっと具合が悪いから?
轆轤に変えた、とか
まあ、こんな話を聞いても
一つもおどろおどろしくならないのは
やはり京都だからでしょうか。
あ~~~なるほどな、という感じです。
よく考えてみると
私たち、いっつも鳥辺野でバレーしてるのね。
(東山体育館)
時代も変わったもんです。
それに
この幽霊飴が電気屋さんで売られているんですからね。
(これからも、電気屋さんでしか買わないゾ、という
へんなポリシーを持ってしまいそうです。)
そうそう
上記の由来書に書かれている
江村氏妻の産んだ赤子
「高名な僧になる」とありますが
いろいろ見ている限り
飴屋さんからすぐ近くの
六道珍皇寺の僧であったようです。
なお
落語でも、この飴買い幽霊の話がネタとなっており
赤子が僧になったお寺は
高台寺(子を大事)
というオチになっているそうです。
さて
さらに詳しく
原材料は、麦芽水飴、砂糖となっております。
配合量は定かではないが
さるブログ情報では、8:2としてあって
麦芽水飴が基本
でも、それだけでは固まらないので
砂糖を加えて固めてある、というような説明でした。
だので
味は、麦芽水飴の味がします。
(て、麦芽水飴の味が分かる人はどのくらいいるでしょう。
昔、麦芽水飴食べた記憶があるので、分かったのですが
確か、健康食品コーナーで買ったんだと思います)
麦芽水飴の味は、白糖の味とは違いますよね。
無味無臭で甘いだけ、と言うのではなくて
麦芽水飴独特の風味があります。
人によっては、カンロ飴に似ていると評されているので
そういう、醤油だとか、まろやかな旨味系の味なのだと思います。
麦芽水飴の風味が昔っぽくて嫌だと思わない限り
(今時の味ではありません)
クセがなくて、食べやすい飴です。
白糖ほど甘みもきつくないので
のどが渇くこともありません。
由来書きの最後のほうに
「薬飴とまでいわるる」とありますが
なるほど、体調不良時の滋養にしたら良さそうです。
さらに
「教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になし」
との記述がありますが
確かにネグレスト(養育放棄)の母親に舐めさせたい
私が舐めなあかんか?
と思ってしまう
現代人の戒めにもなりそうです。