京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

越前松島水族館。

2007-09-30 20:58:42 | 妻!日記
投稿までに時間が過ぎてしまいましたが。
先日。
家族みんな(じいじ・ばあば・大ばあばも一緒)で、福井県の芦原温泉に行ってきました。

大原からは3時間ほど・・・かな。
(滋賀県を抜けるのに、ものすご~く時間がかかってしまいました。)
琵琶湖沿いから敦賀(ここは、大谷吉継の本拠地)に入り。
北陸自動車道に入って、一時間ほどで到着です。

芦原温泉。
一応、海辺なのですが、温泉自体は市街地の中にあります。
途中、蕎麦畑(これは、福井に入ると各地で見られます)や海岸独特の畑風景が見られました。

温泉に一泊。
今回は、お風呂には本気で入らず・・・
夜更かしを楽しみました。
NHK日曜アーカイブスを途中まで見て、脱落。

翌日はどこかに寄って帰ろう、ということになりました。

どこに行こうか・・・
恐竜博物館(でも、どこにあるのか分からない)や
丸岡城(個人的趣味、家族はひいているかも)
行きたいところはいろいろあったが・・・

無難に、大人も子供も楽しめる、越前松島水族館に行きました。
海辺まで、遠出しないと行けませんしね、水族館は。



どこの水族館でも、イルカショーはやっていますが。
ここのは、大迫力で、ジャンプも大きく、見ごたえがありました。



さらに。
この水族館の、お得感が感じられること。

なんと、景勝地越前松島の中にあるのです。
(今なら、環境問題うんぬんに引っかかりそうですが。)



しぶい!

たしかに、東北の松島を連想させる美しさ!
そこに、お子ちゃまっぽい水族館の建物があるのは、明らかに浮いているのですが。
そこは、ん十年前の町おこしの姿、というのか、まあ大目に見るとしましょう。

ともかく、水族館と景勝地が一体となった、お腹満腹コースでした。
もちろん!
この岩場までは、歩いていけるように遊歩道が付いていました。

柱状節理(にわか勉強・・・)の岸壁が素晴らしいです!



一際はしゃぐ次男。



波が荒くて怖いけど、ちょっと入ってみたい!プール。



子供から目が離せませんが・・・
大人だけだったら、ちょっと岩登りしてみたいところです。



本当は、カテゴリー「石垣のある風景」に入れたいくらい、立派な岸壁でした。



水族館の横は、静かな港町でした。





岸壁の島から、水族館に戻るところ。

後ろを振り返ると・・・


 
子供づれではドキドキするところですが、楽しかったです。

水族館の中で、私的に一番ヒットした所・・・
カワウソ館です。

なぜなら・・・
うちの次男は、カワウソに似ているからです。



やっぱり似ている・・・

あくび顔が怖いカワウソ。



どこが次男に似ているかといえば。
この毛質と、体つき。



こういうところ。
やっぱり似ていました。



子達は、亀にえさやり。
でも、たくさん食べたあとだったので、テンション低めでした。



デカイけど、可愛い亀でした。


豆漬け・その3

2007-09-30 17:01:49 | 妻!の料理
発酵の進みすぎた豆漬け。
小春ちゃんの母さんからメールを頂き、新たに漬け汁を作り直すことにしました。

キョーレツな匂いの・・・
白いカビ?が浮いて、濁った色の漬け汁(塩水)を捨て。
豆も、お水で洗って。
新たに塩水を作り直しました。
(若干お塩の量を増やしました。)
「お豆に塩をまぶしつけながら」容器に加え・・・
塩水を注ぎ込みました。

どうも、塩分が薄かったため、発酵が進み過ぎたようです。
それにしても、発酵の進んだお豆の匂いはキョーレツ(私のだけか・・・)です。

毒見がてら、漬かりすぎのお豆を味見してみました。
くさい匂いに、ほのかに酸味がついてます。
食べて腹痛になったら、それは腐ってる、ということになるから・・・

パクパクパクパク・・・
臭いけど、この酸味がなんとも!
止まらないのです。
塩味が薄いから、ご飯のお供まではいきませんが、これはなかなかイケル味です。

発酵の酸味って、酢で添加した酸味と違いますよね。
しかも、自分で作った酸味だと思ったら、親しみが沸いて、より美味しいです。

ちなみに。
腹は痛くなりませんでしたよ。
(腐ってたわけではなさそうです。)
ちょっとパンチの効いた、田舎の漬物というところか・・・
(でも、本家本元の味とは違うような・・・)

いえ。
豆漬けの名誉回復のため。
はっきり書いておきませんと。
小春ちゃんお母さんの、お母さん(青森御出身)の作った豆漬け・・・
大豆のヌカ漬、といった感じの、ほのかに酸味のきいた漬物で、とっても美味しかったです。

だから、作り方を教わって、今回初めて作ってみたわけですが。
なかなか難しかったです。
(そもそも、漬物自体作らない、漬けもんやの嫁です。)

豆漬け・その2

2007-09-29 21:12:31 | 妻!の料理
青森の毛豆を頂いたので・・・
早速、豆漬けを作っている妻!

小春ちゃんお母さんのアドバイスをもとに、作ってみました。

前日に毛豆を茹でてから、一晩水にさらして、あく抜きを施したもの。



それに、我が父の育てた唐辛子を加えて・・・
「ちょっとしょっぱい位の塩水」を、ひたひたより少ない目に加えました。



こんなものだろうか・・・



今回、塩水には、この塩を使ってみました。
どうも韓国で作られているらしい、昔ながらのお塩の味のようです。
(ちゃんと説明文読んでないのですが・・・)
少し硫黄っぽい(ゆで卵みたいな)風味がします。
うみうまさんからの頂き物です。

(すべて頂き物で作ってしまいました

今回、豆漬けは初めてですので。
この大きさ。



まあ・・・
つけもんやの嫁なのですが、自分では漬けないので、いつもこの漬け方です。
(豆の二倍の重さにしましたよ。)
(あと、蜂蜜は使うので、養命酒の瓶に替えました)

あとは、発酵を待つのみ・・・
なんですが。

一日たった今日。
様子を見てみたのですが・・・



あ、あの・・・
なんか。
臭いんですけど・・・
やばい?
臭すぎます。

大丈夫でしょうか?

(なんか、しば漬を初めて買ったお客さんからの問い合わせのよう・・・)

ちょっと塩水の濃度、薄すぎたのでしょうか?
大丈夫?
これは、発酵してるのか、腐ってるのか?
なんか、後者のような匂いなのですが・・・

糸は引いてないんですけど。

とりあえず、さっき、二房食べてみました。
今のところ、異常なし・・・

ほんのり酸味がしました。

あの。
小春ちゃんお母様、これで良いのでしょうか?

きつねのかんざし。

2007-09-29 20:44:03 | 大原の風景
昨日の夕方、茄子の畑に行ったときの写真です。



畑の土手に、「きつねのかんざし」が生えていました。
いつから生えていたのか・・・
ここ2週間は、畑に行きたくても行けない日が続いていました。

先日、やっとのこと時間を作って、畑に行ったのですが。
時間も短かったし、気がつかなかったのかもしれません。


奥の花は色があせてますし、開花後、数日たっているようです。



我が、茄子の畑。
まだまだ現役ですが。
急に、カメムシみたいな小さな虫が増えてきました。
小さな茄子の実に付いていたり・・・
そろそろ終わりの季節なのかな、と思います。

頑張って手入れしていますが。
徐々に、途中で腐ったり、皮が割れている・・・実が増えてきました。

10月中旬のイベント用に、うちの茄子を買ってもらう・・・
嬉しい話を頂きましたが。
正直なところ、その時期まで、苗が保つだろうか・・・
あまり自信のない妻!なのでした。

頂き物の毛豆で・・・

2007-09-28 06:16:27 | 妻!の料理
東京の小春ちゃんの母さんから、青森の毛豆を頂きました。

以前頂いた、毛豆の豆漬けの味が忘れられず、自分でも作ってみたいと思い・・・
うちの、大量に取れた茄子との、強引な物々交換・・・
かどうかは分かりませんが。
ありがたいことに、青森から取り寄せた品をお裾分け頂きました。



毛豆、というと聞きなれない名前ですが。
枝豆の一種(だと思います)です。

茹で豆にして味見したところ・・・
だだ茶豆とか、丹波の黒大豆とかに似た、甘味が強く、濃厚な味わいの豆でした。
特有の匂いはそれほど強くないので、豆漬け向き、といったところなのでしょうか。

一見したところ。
いつも親戚から頂く、黒大豆系の枝豆に近いのですが。



とにかく、毛深い!
毛豆と呼ばれるだけあって、そうとう立派です。

この豆を・・・
豆漬け用にするには。
まず、硬めに茹でるそうで。

普段は、お年寄りにも食べやすいように、しっかり30分以上茹でますが。
今回は、10分少々。
味見をして・・・
青臭さが抜け、すこし硬さが残る程度まで茹でました。

それでも、茹ですぎ?と思いましたが。
食べるときも、やっぱりお年寄り用には柔らかめのほうが良いかなと思い、しっかり火を通すことにしました。

茹でたあとは、アク抜きのため、一晩水にさらしておきます。



続きは、今朝していきます。
上手に出来るか、ドキドキしますね。
また後ほどアップします。

パッションフルーツが開花しました!

2007-09-27 22:06:29 | 妻!日記
ひとつ前の投稿を終えてから、ベランダに様子を見に行くと・・・
パッションフルーツの花が咲いていました!



嬉しいですね~。
とっても嬉しいです!

育てた花が咲くということは、いつも嬉しいことですが。
こんなに大きくて派手な花が咲くなんて、嬉しさひとしおというものです。

くだもの時計草、という別名もあるくらい、個性的な姿の花です。

今年、夏の初めに、道の駅・米プラザで苗を購入したのですが・・・
低温のためか、成長が遅く、開花も無理かな~とあきらめかけていたところでした。

そうなれば・・・
早速、この時期の低温対策を急ぐことにしました。

昨日から急に涼しくなり、朝には葉っぱが露ぶいたようになっていました。
窓も結露して・・・
ずいぶん気温が低くなってきたようですから、結実のためには、安定した気温維持が必要です。(たぶん)

あわてて!
ツルを這わせていたネットから切り離し、鉢に支柱を立てて、茎をぐるぐる巻きにして育てることにしました。


(要は、アサガオ栽培と一緒ですね。)

夜は、子達の部屋で過ごすことに。
なかなか、観葉植物のようで立派です。

さて。
一安心したところで。
確実な結実のために、人工授粉を施すことにしました。

授粉の仕方は、「御実家が、パッションフルーツの一大産地」である、さっかんさんから教えていただいた、園芸店のホームページを参考にしましたよ。

でも、不勉強な妻!であるためか・・・
基本的な、雄花と雌花が、どれであるかが分からない・・・
困り者です。

ゴーヤの場合は、雄花と雌花は、別々の花に分かれているので、分かりやすいのですが。
パッションフルーツは、一つの花の中に、雄花と雌花があるらしいので・・・
???
分かりませんでした。

まあ、たぶん、雄花は花粉のついたヤツ、雌花は花粉がつきやすくするための粘液がついているはずだと思い・・・
(そういう知識は残ってました)
とりあえず、ホームページの指示通り、筆でコチョコチョやってみました。



たぶん、こうだと思うのですが、いかほどでしょうか?
ちなみに・・・
間違ってるかもしれないので。
筆に付けた花粉は、花全体にコチョコチョ付けておきました。
確実な結実のためです、念のため。



(懺悔のコーナー)

私の性質として、「いい加減」なことが上げられます。
それは、時として、人間関係を円滑にするために役立つこともあるのですが・・・
困ることも多々あります。

近所のママさん宅を訪ねるときのこと。
以前に、お宅の場所を聞いていたので、その記憶を頼りに、事前連絡無しで訪問しました。

玄関のピンポンを数回押したが、どうもお留守の模様。
同行の友人に、「あとで電話しとくわ~」と言うて、その場を引き上げました。

帰宅後、そのお宅に電話。
「さっき、お宅に行ったんだけどね~。」
と言って、念のため、場所の確認をしてみました。

ほしたら。

全然違うお宅に行ってました!

あ~、はずかし!!!

同行の友人には、「あれから、なんか信用でけへんわ~」と言われてます。

天然ボケでごめんなさい。

(ちなみに、その御宅に、再度尋ねて行ったら・・・
 今度は、隣の御宅に行ってました。)

穴があったら、入りたい・・・

また、消えてしまった!

2007-09-27 14:20:08 | 妻!日記
もうすぐ投稿完了というところで、全部消えてしまいました。
どうも・・・
このパソコン(NEC・Lavie)には、大きな削除ボタン?があるのか、どこかに触ったら、カチカチと音がして、ポン!と消えてしまいました。
使い手が悪いのか・・・
ショックです。

ということで、軽い目の投稿に。

ゴーヤのカーテンのある、二階のベランダの様子です。

近頃は、ゴーヤのついでに鉢植えしてあった、トレニアたちが元気です。



こうやって、外から見ると殺風景ですが。
子達の机から見たら、美しく見れる算段です。



こちらは、パッションフルーツのツボミです。
お彼岸を過ぎてから、急に朝晩寒くなってきましたが。
何とか順調に育っています。
この調子で・・・
残り一ヶ月、なんとか開花・結実して欲しいものです。
そろそろ越冬対策しないといけません。



さて。
こちらは、敬老の日の連休に広島に帰省した時、途中で岡山・津山で購入したお人形です。



「津山ねり天神」さんです。
たぶん、広島県北の三次人形と同じ系統になるのかな。
鮮やかな配色が印象に残る人形です。

子達の勉強部屋に鎮座して、睨みを効かせてもらっています。

長男の妊娠中、ドクターに「どんな子に育って欲しい?」と聞かれて・・・
「賢い子!」と即答した私です。
無理は言わないつもりですが、やっぱり賢くなって欲しいのが本音です。
神頼みじゃないけど、よろしくお願いします。
(お願いしてるじゃないか!)



最後に。
ずいぶん前のことになりましたが。
今月の池袋催事の際に・・・
ブログ・ブックマークの、東京・オヤジな私さんがおいでくださいました!

商売うんぬん置いておいて、こういう機会が楽しみな私たちです。
いつもお会いするのは、若!ですが・・・
(羨ましいです。)
早く私も催事の仕事が出来るようになりたいなあと思います。

で。
オヤジな私さんが、ご自身のブログで、このときのことを紹介してくださいました。
とっても詳しくて、感激しました。
(なんせ、取引先のデパート内ですから、なかなか堂々と写真が撮れないのです。
 何となく、遠慮してしまいますね。)
題して、「ブクロのしば漬」!
どうぞ、御覧くださいませ。

オヤジな私さん!
ありがとうございました。
頂いた名刺、宝物にします!



先週の話に戻ります。

2007-09-26 05:51:07 | 妻!日記
何度も投稿したことですが・・・
先週の敬老の日の連休は、広島の祖母宅に行ってました。

この帰省の目的は、祖母の見舞いと墓参りだったわけですが。
今回、とても楽しみにしていたことがありました。

それは・・・
同郷(といっても隣町)出身で、現在は京都・西陣にお住まいの華ちゃんのおかんさんの実家にお邪魔することでした。

お約束、するしないにしろ・・・
我が実家は、おかんさんの実家の目の前を通り過ぎていく格好になりますから!
華ちゃんのお母様に御挨拶くらいしていこうかな(油売りに・・・)と思っておりましたが。

私たちの帰省の予定をお伝えしましたら、おかんさんもそれに合わせて帰省されるとおっしゃいました。
これは実に楽しいことです!

連休中日に、華ちゃんのおかんさんの御実家にお邪魔する約束をしました。

広島の祖母宅。
盆・正月には何度となく行ったわけですが・・・
行ったというだけで、特に知り合いや友達がいるわけでもなく。
(親戚が少ないし)
家でうろちょろしてるだけ・・・

だけど。
ひょんなことから・・・
ブログで知り合った、華ちゃんのおかんさんとは、同郷であることがわかり。
しかも、(たぶん)うちの一番近い親戚よりも、御実家のお家が近くということを知って、大いに盛り上がりました。
(これぞ、本当の奇縁です。)

なんだか、急に、親戚のお姉さん!が出来たようで、うれしくなりました。



さて。
おかんさんのご実家は隣町とお伝えしましたが。
どのくらい近いかと申しますと。
大原と八瀬くらい・・・
車で、せいぜい5分から10分のところです。

中国自動車道の東城インターから、名勝・帝釈峡方面に向かい・・・
おかんさんの御実家の東城町(今は、庄原市に編入)を通って、帝釈峡を通り抜け。
その向こう側が、我が実家の神石高原町です。
(高原、という名がつくほどの山奥です。)

ここは、ヒバゴンとかツチノコとか・・・
未確認生物が出るような、田舎です。
(おかんさん、怒らないでね)

良い所なんだけど、とにかく人口が少ない!
そんななかで、京都にお友達が出来るなんて、夢にも思っていませんでした。
不思議です。

(そうそう!
 ちなみに、帰郷してから、お土産の蒟蒻を持って、大原のお友達の家に行くと・・・
 ええ!実家が広島なの?と盛り上がり・・・
 よくよく聞くと、お互いの母の実家が同郷であることが分かりました。
 しかも、こちらも隣の集落くらい近い・・・
 縁が縁を呼びました。
 不思議です。)



話は戻り。
連休中日に、おかんさんの実家にお邪魔しました。
携帯で連絡を取って、場所を教えてもらうつもりが・・・
圏外(まだらになっている)で!なかなかつながりませんでした。 
しょうがないから、久々の公衆電話を使い・・・
(女郎蜘蛛がバッタを食べてる最中でした。)
何とか到着。
(ここと違う?と予想していた、隣のお宅でしたよ。)

若!と子達も同伴していました。
「どっかの親戚にきたの?」くらいの感じで・・・
おうちに上がらせてもらい、おかんさんのお母様にもお会いしました。

とっても上品で、優しいお母様でしたよ!
(おかんさんのブログでは、なんだか三枚目で登場されるお母様)
おかんさんは、お母様似ですね。
ナイスガイのお兄様にもお会いすることが出来て、嬉しかったです。


一番印象に残っているのは、水槽の大きな!金魚。

なぜか、今年に限って、「大きく育った、金魚すくいの金魚」(赤子の足くらいの大きさ)をよく見ます。
今まで、そんなの見たことないのに、今年は三軒目。
奇遇だな~と思って、おかんさんのお母様に金魚のことを尋ねました。

「あれは、(亡くなった)お父さんの金魚でね・・・」
 と淡々と話されまして。
・・・・・・・
お父さんの思い出の金魚であることが分かりました。
 
普通、金魚って、すぐに弱って死にますよね。
(我が家だけ?)
なのに、何の奇遇か、こんなに長生きして・・・
不思議でした。

その間に。
おかんさん家のブルテリア犬の華ちゃんの、お友達!
しど君(男の子)・ママさんとななちゃん(女の子)・ママさんがいらっしゃいました。
(今回、華ちゃんは、京都で留守番だったんですが)

一度に二匹のブルテリアを見るのは初めてでした!
たまたまかな?
やっぱり、男の子と女の子は気質が違うね~。
何となく、女のこの方がおっとりしてるような・・・
二匹はなかなか相性が良かったです!

もっと、ワンちゃん近くで見たかったのですけど。
うちの赤子が、しど君にタッチされて大泣き!

あんまり泣くから、何か痛かったの?と思って、見ると・・・
鼻汁?を額にお見舞いされてました。
すばやい行動(マーキング?)でした
好き好きの合図でしょうか。


時間がおしてきましたので。
場所を移動して、ラーメンを食べに行くことになりました。




その、ラーメン屋さん。
帝釈峡・手前のラーメン屋さんで、おかんさんのお知り合いだそうです。

たしか10年前くらいに出来ましたよね。
こんなところで、大丈夫なの?(失礼!)と思い・・・
帰郷するたびに、まだやってるかどうか確認・・・
この度も、ちゃんとやってらっしゃるから、「へ~」と思っていました。

あとから、父に聞くと。
尾道ラーメン系らしいですね。
(あくまで、父の情報ですが・・・)
そう言われれば、そう。
私、尾道ラーメン好きですから。
あっさりながら、コクのある・・・
たぶん、煮干とかの魚介類のだしを使ってるから、馴染みやすい味なんですよね。

なかなか、田舎では、料理の味には期待できませんけどね・・・
ここは、なかなか美味しかったですよ。
(翌日違う店で食べたのはでした・・・)
これからも通おうと思います。

ラーメン屋さんでは、我々は、子達の餌やりで必死。
おかんさんたちのブルテリア・トークに聞き入ってました。

いつも思うのですが。
ワンちゃんたちのお話、うちの子達のお世話と変わらないから・・・
違和感がないんです。

違和感といえば、医療費のことくらい。
保険がかからないから、高額なんですよね~。
でも、そこそこの(ワンコの)耳垢とりは安かったとか・・・
いろんな情報交換してはりました。
(だから、ワンコ友の結束は固いのですね。)

皆さんのお話を聞いてたら、犬経験ゼロの私でも、飼えそうな気がしてくるから、不思議です。
(ん十年後には、我が家にブルテリアがいるかもしれません。)

短い時間でしたが、とても楽しい時間を過ごせました。
残念なことといえば、記念写真を撮らなかったことですね。
すっかり舞い上がって・・・
ラーメン屋さんでは、あの大雨で、きれいに忘れてしまっていました。

おかんさん、これからもお付き合いよろしくお願いします!
どうもお邪魔しました

バトンを回します!

2007-09-24 20:57:46 | 妻!日記
オヤジな私さんや、ワニさん、東京老人さんのブログ記事を拝見しておりますと、以下の内容のバトン記事が紹介されておりました。



「ムコ多糖症」

  この病気は 人間の中でも小さい子たちに見られる病気です

  しかし この「ムコ多糖症」という病気は あまり世間では知られていない

  (日本では300人位発病) 

  つまり 社会的認知度が低いために 今 厚生省やその他製薬会社が様々な

  理由をつけて 最も安全な投薬治療するための許可をだしてくれません

  ムコ多糖症は日々悪化する病気で 発症すると殆どの人が10~15歳で亡

  くなります 


  8月7日「SCHOOL OF LOCK]というラジオ番組で 湘南乃風

  の若旦那が語ってから 私たちに出来ることを考えました

  それで 思いついたのがこのバトンという方法です

  

  この子達を救うために 私たちが出来ることは この病気を多くの社会人に

  知ってもらって 早く薬が許可されうよう努力することだと思います


            みなさん ご協力をお願いします








記事は以上のとおりです。


私が、この内容のバトンを受け継ぐに当たって。
内容が内容だけに、そう簡単にバトンを回すだけでいいのだろうか、と、(かなり正直なところ)二の足踏んでしまいました。
(お気を悪くなさらないでくださいね。)
まずは、おおもとの発信源が分からない、ただバトンを受け継いで、回すだけ、ということ・・・
それって、一種のチェーンレターと同じ仕組みであります。
・・・

どうしようか、迷いましたが。
現に困っている人たちがいらっしゃるのですから、とりあえず行動に移そうかと。
そして。
この病気に限らず、きっと同じような境遇に置かれている人たちの声に耳を傾けたいと・・・

病気に限らず、どんなことに関しても言えることですが。
自分の観念に凝り固まらず、視野を広げて、様々な意見に耳を傾けて行きたい・・・
それを次のステップに移すか否かは、また別問題ですが。
多くの意見を吸収して、取捨選択し、自分の糧にしていけたらなあと。

今の自分にできること。
とりあえず、「ムコ多糖症」ってなんなんだろう、と思って、ネット検索してみました。
ほしたら、病気の本に載っているような、「あんまり聞かない名前の病気」も気になりだしました。
安直な感想ですが、「自分の身内がそんな未知?の病気になったら、先行きは見えないし、すごく不安だろうな。」と思いました。
「いえ、三大成人病、国民病と言われてる病気であっても・・・とにかく、病気は嫌だ!」と思います。

日本は、比較的「福祉国家」と言えるでしょうが、それでも、不安がつきまといます。
どんな病気にかかっても、家族が「明るい笑顔」で患者を励ましていけるよう・・・政府としては、万全のサポートを行っていただきたい限りです。




(追伸)

先日の里帰り、老健施設に入所している祖母のお見舞いに行きました。
正直、近頃の老人福祉関連の悪い噂(人出不足でお世話が行き届かなくて、うんぬん・・・)を多く聞いてますので。
そんな状況を目にしても、絶対に驚かないように、覚悟して行きました。

遠く離れて自分がお世話するなんて到底無理だし、人様にお世話をお願いしているのだから、文句なんて絶対に言うまい、と。

施設についたとき、ちょうど広場でレクリエーションの時間でした。
その輪の中に祖母が居るらしい・・・
早く見つけたいけど、「やせ細って、変わり果てた」祖母を見つけるのは怖い・・・
そう思って、目を向けるのを躊躇していた・・・
ほしたら。
私より先に、若!が祖母を見つけて、「おばあちゃん居はるで~」と言うてくれました。

数年前に、自宅で骨折、入院してから、徐々に痴呆の症状が出始めた、と聞いてました。
昨年だったか、脳梗塞も起こしたそうで、一時は危なかったと。
どんな姿になっていても、悲しんではいけない、と思っていましたが。

「はあ、どこの人じゃったかねえ。」とやはり記憶のほうはおぼつかないようでしたが。
いつもの優しい祖母。
ちょっと一回りほど小さくなっていましたが、痩せこけているわけでなく、血色が良くて、丸っこい可愛い御婆さん。
赤子を見て、「まあ、可愛いね。」と顔をほころばせ・・・
「まあ、懐かしかったねえ、また来てえね。」(ちょっと、矛盾してるけど)と言ってくれました。

清潔な個室で歓談のひと時、職員さんがお茶を持ってきてくださいました。
私たちには氷の入った冷茶、おばあちゃんには、いつものコップに温かいお茶。

帰るときには、広場の皆さん、おやつの時間で・・・
赤子、「どっから来たんね?」と質問攻め。
皆さんに「可愛いね。」と言ってもらってました。
屈託がない皆さんと、楽しいひと時。
とても安心して帰る事が出来ました。

まだ出来たばかりの施設みたいで、大きな建物のわりに入所者はせいぜい10人ほど、という、お世話の行き届いた施設。
かかる費用もすごいらしいけど、まだまだ日本の福祉も捨てたもんじゃないと思いました。

私、いつも思うんですけど。
御老人と、子達の相性って、良いですよね。
子達、もう分別のついてしまった年頃には照れて出来ないことも、ストレートな気持ちでしてくれる・・・
「老人会・ふれあいタイム」みたいなシャチホコばったことしなくても。
ただ、場所を同じにするだけで、たのしく会話したり、遊んだり・・・
それにつられて、私たちも緊張せずに、溶け込むことができるし。

や~。
公園でいいんですけどね。
子達が遊んでいて、御老人がベンチで休んでおられる・・・
もちろん、御近所のお宅の縁側でもいい・・・
近頃、そういうことさえ出来なくなってしまったのは、どういうことなんでしょうか。

あんまり管理ばかりしすぎて、垣根を作ってしまっては困り者ですね。
幼児とか、老人とか、健常者とか、障害者とか、ひとつの施設に詰め込んで・・・
「ふれあい」という形でしか交流の場がもてないなんて。
世の中便利になりすぎて、昔のような、ごちゃ混ぜで皆がお互い助け合って生活していたような、自然な形が取れなくなってきた・・・

何だか、何が言いたいのかわからなくなりましたが。

うちは、我が夫婦・子・親・祖母の多世代家族。
なかなか煩わしい面もありますが・・・
子達が、祖父母や曾祖母のお世話になりながら、(で、助けてあげたり)暮らしていける、このことこそが最大の幸せであり、財産であると思っています。

私は核家族で育ったので、なかなか異世代の方との付き合いは緊張するのですが、多世代間で育ってきた若!は、そういうことを自然にやっていける・・・
そういうとこは、すごいな~と尊敬します。

津山城 その2 (天守閣跡!編)

2007-09-22 21:33:46 | 中国・四国地方の石垣。
ずいぶん間があいてしまいましたが、投稿(津山城 その1)からの続きです。
表門(冠木門)からの入城、三の丸、二の丸を経て、本丸・備中櫓横の門から、ようやく天守閣に向かうことが出来ました。


(黄色は通った順路、赤色は撮影時の立ち位置をあらわしています。)


(① 本丸・塩櫓跡付近から、備中櫓)

ここから見る本丸石垣は、とても急峻で美しかったです。
で。
ちと怖いかもしれませんね。
かなりの断崖絶壁に違いないのに、そのわりに柵は簡素なものです。
お子様連れは注意したほうがいいでしょう。
(まあ、子連れは少ないかもしれない・・・)


(② 天守閣跡の石垣)

ようやく姿を見せてくれました。
ここまでの完備から比べると、意外とコンパクト!というのが、率直な感想。
津山城の機能として、藩主などの住居は、天守閣だけでなく、幾つかの建物(備中櫓)に分散していたようですから・・・
天守閣の大きさはそれほど重要でなかったのかもしれません。

それにしても、この石垣を拝むまでの道のり、長かった・・・

本丸の、しつこいまでの強固な作り、今までに見たことがない!と思ったが。
確かに特殊な構造で、他に類を見ないとか、備中櫓の中で見た放送で言ってました。
   

(③ 天守閣入り口の階段)

 実はこの階段、本当は南側につける予定だったそうです。
(写真②の右側石垣の面)
 が、建設途中に、何らかの理由で、現在の位置に変えられたそうです。
 
 これが分かったのは、写真②の右側石垣の一部の構造が、他の部分と異なっていたからだそうです。
 難しすぎる説明だったので、把握し切れていないのですが、たしか石積みの方法が異なるか、そんな理由でした。


階段を南方向に上がって、右折すると・・・


(④ 天守閣内部)

天守閣の石垣は、外側だけ組まれていて、外から見えない部分に地下室?がありました。
写真で見えている階段は、ちょうど地下室から一階に上がるようになっていますが。
この階段は、天守閣の建物の解体後に、便宜上作られたものであって、もとは木造の階段が掛けられていたそうです。

 

(⑤ 天守閣石垣角より、備中櫓・五番門南石垣土塀を眺める)

この、備中櫓手前にある塀は、備中櫓が400年記念事業で復元された後の、次の事業として復元されました。
この塀は、挟間と呼ばれる小窓があるから、おそらく鉄砲をそこに入れて、敵を攻撃するためのものだったのでしょう。
この壁面を、より強固なものとするために、壁は、表と裏の二重構造にしてあります。
内部を空洞にすることから(石を詰めるのだったかな?)太鼓塀と呼ばれるものでした。
史実に基づいた、忠実な復元がなされたそうです。
 


恐るべし!津山城。

詳しくは、津山城百聞録を読んでみてね。
(でも、100話まではない。)
当時の建築技術についても、かなり詳しく書いてあり、大変興味深いです。



見るもの見たら、あわてて下に帰りました。
観光センターのお土産やさんで待ち合わせ。

名産品の「津山ねり天神」さんを買ってかえりました。

また、渋皮煮作りが始まりました。

2007-09-22 21:15:40 | 妻!のシャトルシェフ
先日の広島・神石高原町・・・
京都に帰る日、家の栗を拾ったやつを貰って帰りました。

大原の自宅に帰ってから、とりあえずバケツに水を張って、漬けておき。
何かしようと思いながらも、忙しい毎日で・・・
とりあえず、木曜日は栗ご飯にしたが。
それでも、まだまだ余っていたので。
渋皮煮をやってみることにしました。

でも。
今週は、茄子の様子を見に畑へ行くのも出来ないほど、忙しくて・・・
はっきり言って、のんびり渋皮煮を作っている暇は無い・・・

んで。
魔法鍋「シャトルシェフ」のレシピ本に載っていた、簡単!渋皮煮の作り方でやってみることにしました。

でも。
これが、恐ろしく簡単で、本当にこれで渋皮の渋が抜けるの?と半信半疑。

(作り方)
1・最初に、渋皮を傷つけないように、鬼皮をむく。
2・シャトルシェフの内鍋に、栗とひたひたの水・重曹(スプーン一杯・適量)を入れ、中火にかける。
3・沸騰してから一分煮る。
4・火から下ろし、シャトルシェフ保温鍋に入れて、4分ほど保温。
5・お湯を捨て、よく水洗いする。
6・2~5の行程を、2,3回ほど繰り返す。
7・内鍋に水洗いした栗を鍋に入れ、ひたひたの水と塩・砂糖(だいたい煮豆を作る時の分量)を加えて、火にかける。4分ほど沸騰させる。
8・保温鍋に移し、8時間ほど保温、完成。

簡単でしょう。
(というか、通常の作り方が、恐ろしく手間暇・ガス代がかかります。)

絶対できるはずが無い!
と思っていましたが・・・

出来ちゃいました。



もともと、やる気の無い渋皮煮でしたので・・・
最初の鬼皮むきの時点で、たくさん渋皮に傷をつけてしまい。
型崩れが多く、仕上がりが悪くなってしまったのですが。

それでも、ガス調理が少ない分、素材への負担が少なく・・・
なんだか、いい感じの仕上がりになりましたよ。

味付けも適当で。
(失敗してもいいや、自分家の栗だし、と思って、開き直ってました。)
ちょっと塩味が濃くなってしまったけど。
そのぶん、砂糖も多めにして、保存を効かしました。

せっかくだから、と、今回は煮沸消毒もしっかりして、長期保存に努めることにしました。



普段は、容器の煮沸消毒をするほどの労力は残っていません。
渋皮煮作りだけで精一杯でした。
(それほど大変なんです。)



ちょちょいのちょいで出来てしまったから、本当に不思議です。
これこそ、シャトルシェフの底力と言えるでしょう!

すぐきの間引き。

2007-09-20 20:48:00 | 大原の風景
今日は、呂川沿いの畑で、すぐきの間引きをしてはったので、ついて行きました。
かれこれ、三日続き(天気良いからね)なので、もう、しんどい!そうです。


(手前と奥の二枚が、すぐき畑です。)

ここは、三千院のすぐ近くなので、妻!と赤子は、ここから歩いて、門前に用事(らりぃまっぷを配りに・・・)をしに行きました。
いつもなら、観光参道に戻って行くのですが・・・
このあぜ道を上がっていくと、門前に出られるそうなので、そうすることにしました。

作業をしてはる皆さんの前を通り・・・


(さっきの反対側から、畑をパチリ!)

小さな溝に沿って、上に上がっていく道がありました。
絶好のポイントです。



ここは棚田になっていて、石垣が美しかったです。



この石垣の先端部に、見晴らし台のような場所が出来ているようでした。
(たぶん、里づくり協会さんのかな。)

振り返ると、景色が・・・



大原集落が一望できました。
山の手前、左の集落が大原野村町、右が草生町です。
草生の谷あいの一番奥が、寂光院となっています。

さあ、門前の用事を済まして、もとの畑に帰ってきました。



若!です。
畑仕事をすると、「普段のイライラ」が解消するそうです。

すこし、間引きのすぐきの若菜をもらって、帰途につきました。
(手伝いはしなかったな~)

帰ってから、急いで昼食用意。
さっきの間引き菜で油いためしました。

ベーコンと油揚げ、山中油店のごま油をたっぷり目に使い・・・



若菜は、柔らかくて美味しかったです。
見た目は、小松菜によく似ていますが、苦味やクセがないので食べやすいです。

それにしても、このごま油は美味しいです。(宣伝)

我が田舎。

2007-09-20 06:24:22 | 妻!日記
連休中帰省したおばあちゃん家の写真です。



一番右端が現在使用中の家。
真ん中が、半世紀前(もっと前か・・・)に使っていた家。
左端は、どうだったのだろう・・・今にも崩れそうな感じです。
(物置にしてありますが、崩れそうなので、入るのも怖いです。)

田舎に帰ると、探検をするのが楽しみです。
特に、真ん中の家。


(簡素ながら、懐かしい設えが好きです)

戦中戦後に住居して、特に整理されないまま、右端の家に居を移した、という感じなので、当時のものが、そっくりそのまま残されています。

戦時中のアルバムや、古いタンス、本棚、人形・・・
売るような価値のあるものはありませんが。
ガラクタ市のようで?(怒られそうだ)面白いです。

今回、ここに帰省するのは数年ぶりだったので、明らかに朽ちてきている・・・と思いました。
ここ、真ん中の家も、二階の窓が割れており、朽ち加減の酷さは想像できました。
(何年か前、鳥取西部地震や、芸予地震など立て続けに起こりました。
 しょうがないかもしれません。
 もう一回起きたら、本当に崩れるかも・・・)

先ほどの画像の階段を恐る恐る登ると、二階の部屋は想像以上の荒れぶりとなっていました。
まあ、管理の主が入院していてはどうしようもない・・・

撮りたいものはいろいろありましたが、データ容量が少ないので、この一枚だけ。



田舎の土人形、だと思います。
もう塗料が剥がれてきてました。
怖いけど、色がきれいなせいか、お宝感があり、子供心にトキメイたものでした。

時の経過を思い知らされ・・・しみじみしました。



お気に入りの納屋。
田舎なので、小屋だけは無駄に乱立しています。
ここは、右端扉二つがトイレになっていて便利かも。
(汲み取りは自分でしないといけません。)

津山城 その1 (天守閣は遠い!)

2007-09-19 06:31:57 | 中国・四国地方の石垣。
 津山市内の遠景に入る津山城を見て・・・
 噂どおりの石垣の強固な城だと思いました。

 入りやすい城というものは、ないでしょうが。
 それにしても強固だと。
 歩いていて思い知らされた・・・

 なぜなら、この投稿、一つでおさまり切らなかったから。

 この投稿では、天守閣の石垣、まったく見えてません。
 ま~とにかく!用心深いお城でした。

 だけどね。
 何が一番用心深いかって・・・
 他藩のものは、城内に入ることが出来ませんでしたから。
 他所からのお客様は、すぐ横の衆楽園で接待され、城内に入ることは許されなかったそうです。

 津山藩、基本的には郊外?ののんびりとした藩だったようですが。
 1697年、藩主の森家の後継が続かなかったため、森家は領国没収となり。
 その後、松平宣富が城主として入ってきたことで、趣が変わってきたようです。

 松平宣富は、徳川家康の第二子の松平秀康の曽孫で、越前家と言われ、徳川一門の中でも権威ある家筋であったそうです。
 このことで、津山城の立場は大いに変わり、幕政を支える大切な要となりました。
 (パンフレットより。)


(冠木門手前、三の丸の石垣前・・・一代目藩主・森忠政公の銅像です。)

 この森忠政公について。
 特筆すべきは、彼の兄貴が、織田信長に従っていた森蘭丸・坊丸・力丸三兄弟であるということです。
 (つまりは、信長のお小姓・森蘭丸の弟!)
 彼は、森家の六男であったが、どういうわけか、跡継ぎであった兄に代わり、森家を継承したようです。
 (この辺、調べていったら、面白そうですね。)
 初めは豊臣秀吉に用いられ、のちに徳川家康に仕え・・・
 功をもって、信濃川中島13万石強の大名となっていました。
 
 で。
 1603年美作18万6500石に封ぜられて、入国しました。


(三の丸石垣の端っこ、石垣奥・左側に上がっていくと三の丸に出ます。)

 この急峻な石垣が、妻!のお気に入りとなりました。


(三の丸から二の丸へと上がっていく大階段
 真っ直ぐではなく、緩やかな螺旋状になってます。
 変装とかしていても、ここらで挙動不審を見抜かれそうです。
 完璧な警備というのか・・・)

 この城、かなりシツコイぞ!
 ここらで、階段ダッシュするのは止めて、歩くことにしました。

 お城の解体後、せいぜい150年。
 これだけ遺構が当時のまま残り、きれいに公園整備されているので、「山」という感覚はないのですが。
 よ~考えると、もともとは山を利用した「平山城」。
 (彦根も安土も八幡山もそうだ!)
 
 はっきりいって、ハイキングです。
 にわかに見学できる輩ではありません・・・


(二の丸から見上げたる天守閣!と言いたいところですが。
 こちらは、備中櫓です。
 天守閣に次ぐ第二のシンボル的存在だったようです。)
 
 ところで。
 ここらで見えてる木は、たぶん全部桜の木。
 春は、風光明媚な桜の名所となっているそうです。
 いいなあ~。
 (いまだ、花見というものを、ちゃんとしたことがない・・・)


(二の丸から本丸へ続く階段。
 手前の白いのには、切手門跡と書かれてあります。
 奥のは、弓櫓跡かな。
 辰己櫓、表鉄門、使者櫓を経て、本丸へたどり着きます。)


(先ほど見えてた備中櫓に入ってみました。
 この建物は、2004年、築城400年目の整備事業で復元されたそうです。
 ここは、藩主あるいはその家族という限られた人物のための空間であったと推定されています。)

 ここの壁紙?は、森氏の家紋の鶴印でした。
 

 
 備中櫓を出て、櫓の横の門を通って、ようやく天守閣に向かいます。
 

(右手の石垣は、まだ天守閣ではありません!
 ようやく、天守閣を取り囲む石垣までやってきました。)

 この石垣の切れ目から、ようやく天守閣跡の石垣がのぞめるのです。
 なかなか大変なお城でした。
 (続きはまた後で・・・)
  

帰省途中、津山に寄りました。

2007-09-18 14:17:57 | 中国・四国地方の石垣。
 岡山県東部の津山には、明治の廃藩置県まで立派な城があったそうな。



 天守閣などの主な建物は、廃藩によりお取り壊し・・・政府に払い下げられたのですが。
 石垣はほぼ当時のまま残されてます。

 これは、通り抜けできない!ということで。
 中国自動車道で広島までの帰省途中、あくまで運転手の「休憩」という名目で、津山に立ち寄ることにしました。

 お昼ごはんは、駐車場横の、市の観光センターのお食事処でとろうとしたのですが・・・
 お休み!
 3連休初日だというのに、びっくりです。
 (いえ、皮肉ではなく、どうしてこんな儲け時にお休みしはるのか分からない。)

 ということで。
 観光センターのお姉さんに教えてもらって、すぐ近くの津山国際ホテルの和食のお店に行きました。
 
 津山での食事にはこれといった期待をしていませんでしたので。
 高級そうなお店での、美味いかどうか評判の分からない料理に、高い金を払うのには躊躇しましたが・・・



 通された座敷で(この時点で、すごくビビってしまいましたが)出された料理。

 これがね。
 とっても安くて、美味しかったんです!

 ホテルのお食事ですから、一番安いので、1500円・・・
 正直、一人アタマ500円くらいの食事を考えてましたから、予定外の出費だったのですが。
 1500円のお通御膳(確かそんな名前)で、こんな良い料理が食べれました。
 つきだし系の料理もきちんと作ってあるようで、好感もてました。

 津山は、良い街だ!

 思いがけず、リッチな気分を味わえました。



 (ここは、観光センターと国際ホテルの間にある、津山科学教育博物館の建物です。
 昔はなんの建物だったのでしょうね。)



 で、前述の建物と観光センターの間から、津山城のある鶴山(かくざん)公園に登って行きました。

 ここまで。
 もちろん、子達も連れて入場する予定だったのですが。

 おそらく30度を越してる真夏日でしたし、子達は長時間ドライブで退屈してるし、若!は疲れてるだろうし、ベビーカー押してたし・・・
 (しかも、ベビーカーには、車中に残しておけない茄子を積んでいました。)
 お城の中で苦戦するのは、目に見えていましたから・・・

 お父さんと子達は、この右手の建物の・・・
 「津山科学教育博物館(つやま自然のふしぎ館)」に入ることになりました。
 (というわけで、悠々自適、妻!は一人で入城しました。)

 「子達が博物館を見終わったら、電話してね!」と言い残し、妻!はダッシュでお城に出かけました。
 (つづく)


 *今気がつきました。

 何で、今日は膝関節が痛いんだろう?と不思議に思っていたのですが。
 ずばり、津山城疲れだったんですね。
 まじで、走って天守閣跡まで、上がってきました。
 だって、途中でお呼びがかかったら、嫌じゃないですか。
 
 お城レポート、お楽しみに・・・