ご無沙汰しております。
妻!です。
夏休暇!
メインイベントとして・・・
広島・瀬戸内海の休暇村、大久野島のキャンプに行ってきました。
お盆は、広島の実家でゆ~っくり過ごす予定だったのですがね、
なんと!13日に次男のサッカーの公式試合が入ってしまったので、
早々引き上げることになりました。
8日に広島着
9・10日実家滞在
11日から大久野島キャンプ一泊
12日に帰京、という、涙出そうなハードスケジュールになってしまいました。
キャンプ日、変更出来れば良かったのですが、
同行の姉の休暇が11日~だったのと、
14日~の予約はいっぱいで変更が効かないし・・・
キャンセルも考えたけど、一度は行ってみたいとこだったので、
やっぱり行くことに。
で、この強行軍。
実家からは、JR呉線で約2時間。
時間はかかるけど、乗り換えなしで行けるので、便利です。
(理由はそれだけ、行ってみたかったのです)
難を言えば、JR到着駅・忠海駅から、港が結構遠いこと・・・
徒歩7分、と書いてあったけど、
キャンプの荷物 + 真夏の暑さ
かなりハードです。
フェリーで10分程で到着
大久野島は、瀬戸内海の連なる島々の一つで
なかなか風光明媚
しまなみ海道の西側にあって、大きな橋も奥に見えています。
現在は、いたってのんびりした島ですが、
戦時中は、ここで毒ガス製造が行われていて、
軍事機密として、島の存在は、地図から消されていたそうです。
島のあちこちに、毒ガス関連の遺跡が残っています。
到着して、先ずは、休暇村横の毒ガス資料館で、島の歴史を教えてもらいました。
製造作業は、防毒マスクなど着用していたが、
防毒と言っても簡易的なものだったので、隙間から有毒ガスが入り込むらしく
(おいおい、防毒になってないぞ、とツッコミ)
被害を受けて亡くなったり、
戦後も後遺症が残って苦しむ人がいるそうです。
動員された学生さんは、荷物運び(中身は毒薬)もしていたそうですが、
防毒でなく普通の服で・・・これまた被害の要因になったらしい・・・
憤りを感じます。
広島や呉は、軍事的に重要な地だったので、
日常的な場所にも、戦争遺跡があることが多いです。
現在・リゾート地、というのも、皮肉っぽくもありますが、
子達も、うっすらで良いから、少しずつ、
昔、戦争で起こったことを理解していってほしいなあと思います。
海水浴場。
休暇村本館から徒歩5分ほど。
長女は、やっと浮輪で遊ぶようになりました。
前には進まないのですが。
怖がりさんの慎重派
これでも、ずいぶんの進歩です。
奥の灯台は、戦時中に使われていたもの。
海水浴場は、思ったより簡素で、
遊泳区域は区切られているけど、ライフセーバーはいないので、自己管理。
コインロッカー・トイレ・シャワーはあるので安心でした。
夕方からキャンプ。
手ぶらでキャンプ、という企画のやつで、
テント・キャンプ用品・バーベキューの道具と食材
それで、夜の温泉と、朝・休暇村本館のバイキングが付いてます。
学生時代をちょっと懐かしむのには、ちょうど良いです。
キャンプサイトは、かなりゆったり仕切られていて、プライベートが確保されており、
ポイント高いです。
学校のグランド位の広さで、サイトが8つに区切られているだけです。
広い!
夕飯はバーベキューで・・・
ご飯は、タコ飯を炊きました。
長男・次男の好物だったので、テンション高い!
しっかり食べてもらえると、うれしいですよね。
*火の番は、いつもは、若!の役目
私はしたことないので、大変でした。
見よう見まねでやってみましたが、これがなかなか・・・
結局、お隣さんの燃え残った炭を使わせてもらって、何とかなりました
バーベキューで余ったキャベツは、ウサギのえさに・・・
そうそう、こちら大久野島は、「ウサギの島」というのが売りなんです。
自然繁殖したウサギがあちこちいます。
と言っても、昼間は暑いので、夕方~朝にかけてが、行動活発でしたね。
夜中、トイレに行く時、あちこちにウサギのシルエットがあって・・・
結構怖いです。
トイレは水洗で清潔なんやけど、サイトからかなり離れていて、
夜中はちょっとねえ
休暇村の人が、ある程度餌を与えているようでしたが、
基本的には、自給自足のようで・・・
餌に集まるウサギは、迫力ありました。
餌を巡っての生存競争、多々あり・・・
長女、かなり引き気味。
追いかけられてるし・・・
囲まれてるし。
でも、かなりご満悦の表情でした。
「次行く時はね・・・」なんて話してましたから、
楽しかったのでしょう。
また行きたいけど・・・
(次は車が良い)
即、京都帰りはきつかったなあ
あとから、筋肉痛?
どさっと疲れが出ました
帰路は、港から、JR三原駅経由で、新幹線乗って、京都に帰ったんですけど、
水吸った水着の重たかったこと!
楽しかったけど、疲れました