昨日の・・・
行楽日和で賑わう大原
三千院の門前です
その門前から
勝林院方面をのぞむ・・・
律川を渡る手前の大木
その木の根元に、うら寂しく
あまり人に気付かれない石柱があります。
熊谷直実・鉈捨藪(なたすてやぶ)跡。
熊谷直実とは・・・
平家物語で有名な
一の谷の戦いで、貴公子・平敦盛を打ち取った
元武将
我が子ほどの敦盛を殺めたこと
武士として、ながら
殺りくを繰り返す日々に
世の無常をつのらせ
仏門に入ったと言われています。
法然に初めて出会ったとき・・・
彼は、己の過ちの責任をとって
決死の覚悟をしていたそうです。
しかし
法然に、念仏を唱えることで、罪が報われ、極楽浄土に行けると諭され
感銘を受けた直実は、法然の弟子になりました。
彼は、非常に実直・激情家であったそうで
裏を返せば、融通が効かない?
法然の叱りを受けることも多々あったそうですが
それすら喜びであったと言います。
そんな彼の実直さを表すかのような
鉈捨藪のエピソード
大原勝林院で、かねてから対立姿勢にあった
旧来からの仏教勢力の高僧と、
新興派である法然が、仏教のあるべき姿について話し合う
「大原問答」が執り行われました。
そこで、対立派が法然を襲来するかもしれない、と
噂を聞いた直実は、袖のうちに鉈を持って
師の法然を守ろうとします。
勝林院に向かう途中
手前にかかる場所で、法然一行が休息をとった時
師に、鉈を隠しているところを見咎められました。
「それは仏門にある者のとるべき姿ではない」
法然にそう言われた直実は、近くの藪に
持っていた鉈を投げ捨てました。
彼のその後の人生もすさまじいもの
後年
京の都から、出自の地・埼玉県熊谷に帰るとき
お釈迦様のおられる西方浄土に背を向けては失礼にあたる、として
(日本の西から東方に向かうと、当然、西に背を向けることになります)
馬の鞍を反対に向けて、逆さ向きになって、馬を走らせて帰った
という、強烈な逸話が残ってます
さらに詳しくは
コチラ
さて
昨日、配達に行って、三千院前で写真を撮り
帰ってから、この鉈捨藪と熊谷直実について調べていたのですが
夜になって
久々に、人様のブログを拝見してましたら
驚くべき記事を発見
you_saiさんのブログ
簡単に説明しますと
京都七条の耳塚の前にある烏寺のお話。
お寺の由来についての説明書きがあり
旅の僧が、この地で休んでいると
カラスが木に止まって話をしていました。
それを聞いてみると・・・
「今日は、蓮生坊(熊谷直実)が極楽往生を遂げる日だそうな
私たちも見に行ってみようか」
そういって、カラスは飛び立って行ったそうです。
その後、蓮生坊がその日の同時刻に亡くなっていたことを知り
何かただならぬ縁を感じた僧は
この地に、お寺を建立しました
とのこと。
ブログで拝見して、とても驚きました。
なかなかマニアックな直実ネタ
ブログにお邪魔するの、半月ぶりくらいだったのに・・・
時々こんな偶然てありますよね。
それから、もう一つ
偶然が・・・・
熊谷直実に関連して
私は、別件で、漫画「風雲児たち」で
最上徳内(江戸時代の探検家)のことを調べていましたら
徳内が、即興で幸若舞の敦盛を舞うシーンが
バ・バ~ンと出てきたではありませんか!
歌詞はどんなんか忘れたけど
「熊谷直実の~~」とか言って舞うシーンでした
ま、そんな偶然
取るに足らないことですが
ちょっとだけ、因縁めいたものを感じた妻!でした。
さて
今回、熊谷直実の鉈捨藪を取り上げた
そもそもの理由
熊谷氏
熊谷直実の子か孫の代で
安芸(今の広島西部)の地頭職を任じられて
本拠地を移します。
その後、戦国の世
西の大内・東の尼子に挟まれて
安芸国人の各勢力の、実力ひしめく時代・・・
安芸熊谷氏は
当初、安芸守護の武田氏に仕えており、
姻戚関係も結んでおりましたが
毛利元就の初陣となった
北広島・有田の戦いにおいて
熊谷氏の主将・熊谷元直は
武田の有力武将ともども討死してしまいます。
この「西の桶狭間」と言われた戦いの敗戦を契機に
武田氏の守護職としての権威も急速に弱まりました。
そんな中
毛利氏と熊谷氏は、対尼子姿勢を強化するために、同盟を結ぶこととなり・・・
熊谷元直の息子、信直の娘が
元就の息子・吉川元春に嫁ぐこととなりました。
信直の娘は、世に知られる不器量であって
その娘を嫁にしたいと申し出た元春に、
信直はとても感謝して、
息子ともども、すぐれた忠臣として
毛利・吉川に仕えたといいます。
吉川元春の居館跡
吉川元春の奥さんの墓所・岩国
というわけで
な~んと
鉈捨藪跡から・・・
私の大好きな
吉川元春がつながってしまうという
大スペクタクル
(ちょっと強引
)
で、結構感動したのでした~
ただ今ね
私のマイブームは、
昔の大河ドラマ「毛利元就」DVD借りてきて
見ること
松重豊さんの吉川元春が超ハマリ役で
かっこいいんです
徹夜で見ているのですが
一つだけ腑に落ちないシーンがあります
それは・・・
毛利元就が、客人として招かれた先で
大好物の餅に毒を盛られて死にかける、というシーン
なのですが
戦国の時代
いつ命を落とすかわからぬ、誰に狙われるか分からぬという状況で
元就ほどの策略家が
そうやすやすと相手の術中に陥るとは思えないのですが・・・
大好物、ということで、あまりに無防備な食べ方をしていたので
気になってしまいました
(ま、ドラマだから良いけど)
で、ここで、このシーンの引き合いに
先ほどの、「風雲児たち」の最上徳内が出てくるのですが
彼は、蝦夷地開発をめぐって対立していた松前藩に
常に命を狙われていて
出先で出てくる食事には、嘘かまことか?
すべて毒が盛られていたそうです。
(でもって、即座に雪隠に行って吐き戻し、難を逃れていたそうです、強烈
)
もっと詳しく最上徳内
トホホなお話ですが
そう考えると、元就の毒殺未遂シーンはやっぱりおかしい!
もうちょっと警戒しろよ~と
突っ込みを入れてしまう妻!なのでした