大原体育振興会の役で、路上のスタッフとして行ってまいりました。
行ってみて後悔したのですが、「カメラ忘れた…」
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格好のブログネタなのに、何をしているんだろう
7時45分大原ファミマ発、
京大農学部前に9時集合。
配布された帽子と上着・軍手を着用。
で、何をするというわけでもないんですが、
着衣の乱れや、スタッフ着のままの飲食や喫煙は禁止など、一応のルールとマニュアルがあり、緊張
役割としては、沿道保護というのか、観客とランナーが接触しないように見守る、て感じだったのですが、
基本的には、応援と拍手、観客の人への道案内など、でした。
(給水所や人の多い所は大変そうでしたがね、私たちは静かな場所
)
う~ん、こんなにスタッフがいるのか、というほどの人数でしたが、必要なのでしょうね。
(私なんて、何の役にも立たない)
しいて言えば、ずっと立ちっぱなしだし、寒いし、腰痛いし、二交代制にしてくれればいいのになあ、
なんて軟弱なことを考えたりしておりました。
しっかし、ワタクシ、フルマラソンを生で見るのは初めて
私たちの場所は39キロ地点だったのですが、
そんなに走れる人たちが沢山いることに衝撃を受けました。
なんというのか、39キロも走り続けた人のオーラが伝わってきて、すごいです!
みなさん、日々の練習に鍛え抜かれた肉体で、
昔の飛脚や旅人など、こんな感じだったのだろうか、なんて思いながら、応援してました。
京都マラソンのコースは、とにかく高低差が激しい!
京大農学部前も、大文字山に向かって、なだらかな坂道になっていて、すごくしんどそう
コースの最北、狐坂から国際会館に向かう道なんて強烈だったことでしょう
みな、「狐坂のところで、半分脱落してるんちゃうか~」なんて話してましたけど、
最終的な、マラソン完走率は95パーセントを越えるそうで、あらま~
すごすぎる
皆様、本当にお疲れ様でした。
私たちの撤収は、最終ランナーを見届けて、交通規制が解除されてから、でしたが・・・
最後のランナーの女の子、足を引きづりながら休み休み走ってはりました。
その子がUターンして戻ってくるまで、もう一息頑張ろうと思って、最後の応援をしていました。
終盤になると、足を痛めてか、ストレッチをして休み休み行かれる方が増えてきたのですが、
前を見据えて、「最後まで頑張るわ」と言って行かれたお兄さんのまなざしが印象的でした。
撤収後に、みんなでうどん屋さんに寄って・・・
食べているときに、テレビでは、震災関連の番組が流れていました。
最後になりましたが、ちょうど一年がたちました。
被害に遭われた方々のことを思うと、言葉が出ません。
それに加え、原発事故の影響で、思うようにがれき処理が出来ないこと。
今までになかった被害の大きさ、これからも何が出てくるか分からない怖さ・・・
今こそ、日本中、世界中の英知が集結して、日本の未来を守ってほしいなと思います。