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ホテルでたっぷり朝食をとった後、チェックアウト。荷物を預けて、まずはホテルの裏手にある長町武家屋敷跡周辺へ。最初の写真は、鞍月用水に架かる橋。
鞍月用水はその昔水車を回して菜種油をとったり、農業用水として活躍した用水。ほとりはせせらぎ通りと呼ばれ、町屋を使った個性的なショップが並ぶ。せせらぎ通りをちょっとだけ北上して左に曲がると、土塀の家並みが美しい小径になる。
長町武家屋敷跡
雰囲気のある家並みと、冬の風物詩のこもがけされた壁が続く
「ごっぽ石」で下駄に挟まった雪を落としていたらしい
道なりに進むと、今度は大野庄用水が現れる
農業用水だった鞍月用水と違い、こちらは藩の中心部を外敵や火災から守るために400年前に作られた、最も古い用水だという。金沢城築城の際には木材を運んだ船が往来したので、御荷川と呼ばれていたらしい。水は犀川から取水。
更に進むと武家屋敷跡 野村家
前田家の直臣として御馬廻組(おうままわりぐみ)の組頭を代々務めた奉行職野村家の屋敷、家督は明治4年の廃藩まで続いた由緒ある家柄。明治維新で武家制度が解体され、さすがの野村家も困窮。土地も分割して売却せざるをえなくなった。何度か住人が変わったらしいけれど、現在の屋敷は加賀の豪商の久保彦兵衛が、昭和初期に屋敷の一部である上段と謁見の間を移築して現在に至っていると記されていた。
庭園には大野庄用水の水を引き入れた曲水
決して広くはない庭なのに樹木がたくさん植えられ、庭も灯籠も橋も配置されていて、京都で見る寺院のお庭とは異なる趣があり、冬はこんなコモを被った灯籠が怪しいお侍さんみたいになってるけど、春になったらどんな様子だろうとか、秋は紅葉するのだろうか?と想像を巡らせるだけでも楽しいお庭だった。襖は狩野派の佐々木泉景筆。
立派な仏壇があり、しばし正座して眺めてしまった、釘隠しが扇とは雅である
斜向かいに旧加賀藩士高田家跡もあった。入場無料で、中級武士の高田家の邸跡として庭園が残され長屋門(中級武士以上には許されていたらしい)が復元されているようだった。長屋門とは文字通り門の両側が長屋状に奉公人の部屋と厩が配置されていたらしい。立派な門構えに心が動いたのだけど、今回なんと厚手の靴下を持参するのをすっかり忘れてるという失態。ブーツを脱いで冷たい畳や板の間を歩くのがややつらくて、パス(苦笑)。先の金沢聖霊総合病院方面へ。
金沢聖霊病院聖堂
木造平屋一部二階建て銅板葺。1931年にスイス人のマックス・ヒンデルの設計で建築。鐘楼の屋根上部に十字架、白壁、ロマネスク様式のデザインは雪の日にありがたさが増して見えた。実はここどうやっていくのだろう、まさか病院の敷地を突っ切って行くわけにはいかないしと地図を見ていたら、雪かきをしていたおじさまが「どこにいくの?」と声をかけてくださって、聖堂へ行きたいのだと伝えると「ついてきなさい」とおっしゃって「ここの突き当たりのボイラー室(病院の)を右に行くとフェンスがあるからその先が教会の敷地だよ」と作業の手を止めて教えてくださった。くわええタバコで作業をしていらっしゃったので、コワモテの方だったらどうしようと声をかけられずにいたので、見かけで判断してごめんなさいって心の中で謝っておいた。
ヴォールトとブルーのアーチをうける柱頭には金、柱身は黒漆
マックス・ヒンデルは大正末期から昭和初期に多くのカトリック教会堂建築手がけた。ここ金沢では柱を黒漆で塗り、アーチが群青色と金、ヴォールトにも金、と至る所に伝統を取り入れた箇所が見られる。ステンドグラスが美しく、白と黒の空間がさらに清らかな空気を湛えているように思えた。もともとは全てが畳敷きだった聖堂、今は中央に残るだけに縮小されていたけれど、今尚祈りの場として使われているこの場所の、クリスマスのお祈りを控えて美しく整えられた様子を信者さんより先にありがたく経験させていただいた。
清々しく優しい気持ちになって、再び大野庄用水まで戻ってきた。次なる目的地は足軽資料館。ここでもこの立て看板を見てたら「どこにいくの?」とおばさまに声をかけられた。足軽資料館を見たいと言ったら「あっちよ」と持ってた箒で示してくださった。みんな雪かきするために出てこられたのだけど、観光客がウロウロしてるから邪魔だし気になるからとりあえず道でも教えとくかって感じなのかな、すっごく自然体でよかった。
近年まで住居として使用された2棟の足軽屋敷を移築
足軽、お酒飲んでたんだ〜、などと言いながら見学
足軽って下級武士だけど、庭もあれば4部屋以上ある堅牢な作りのお家に住んでいたようだ。下級武士だけど読み書きそろばんはマストで、飛脚で江戸まで行かされるなど(通常で10日とか書いてあった!)、体力も必須。平和な時代にあっても、藩の総務的な作業のみならずスパイ活動にも携わっていたらしい。足軽業は楽ではなさそうだ。
そろそろ武家屋敷跡通りもおしまい、メインストリートの百万石通りに戻ろうと右折。と、なんか変な建物がある。。。
オヨヨ書林って、ぷぷぷ
壁一面の本棚には文芸・思想・社会学系の本を中心に金沢ゆかりの室生犀星や明治から昭和中期に活躍した作家の小説が並ぶ、と観光ガイドにある、現役の本屋さんだそう。灯りも店名の字体もレトロで思わず写真を撮ってしまう。開店時間がもうちょっと後だったんで残念、店内は見られず。
その隣というかくっついてんのかな?は、ビストロひらみぱん
大正時代の鉄工所を改装したビストロで、あたしたちが行ったときは「本日のモーニングの受付は終了しました」の張り紙があった。外から見たら小さいパン屋さんなのかしら?だけど、実はお店はフレンチベースの料理とワインを出すビストロ。知っていたらここに朝ごはんを食べにくるのも一興だったかもしれない。月曜日の朝のパンにしようといくつか買った。
交差点の斜向かいにパン工房があった
いろんな建物があるね〜、いろんなお店があるもんだ〜と、百万石通りの観光案内所に入った。ここからひがし茶屋街に乗り換えなしで行けるバスがあるのか?とか鈴木大拙記念館はどうして臨時閉館しちゃってるのか?などピンポイントで質問して、トイレを貸してもらった。バスはあるといわれたのだけど、しばらくバス停で待っていてもなかなかこない。どのバスもバス停2個くらいの先の近江町市場のある交差点までは行くので、まず近江町市場に行ってみようということにした。
12時半ごろでどこも混んでいた
観光してからここに戻ってきてお昼にすることにしたのではあるが、見てしまうと欲しくなるもんで、八百屋さんの店先で立ち止まった。おばさまに「いらっしゃい」と声をかけられたので「考えてるからちょっと待ってね」と応じたら「いいわよ、あたしこれからお昼食べに行くから帰ってくるまで考えてていいよ」と返ってきた。「大丈夫、そこまでは時間いらないから」と答えて、いくつか加賀野菜を選び、なぜだか静岡産のわさびまで(これから歩くというのに)購入。おばさまは「わさびはね〜、クッキングペーパーに包んで〜、霧吹きして〜、ビニール袋をきっちり閉めると〜」と実演しながら説明してくれて「1ヶ月は冷蔵庫の野菜室で持つからね」と。買った野菜をバックパックにしまい、ここからひがし茶屋街までバスに乗ることにした。
総じて年齢の高い男性はつっけんどんで、女性は面倒見がいいという印象。この八百屋のおばさまなんてその最高峰に君臨だな。前日のタクシーの運転手さんは、感じが悪いと評しても誰も文句はいうまい、って感じだったし、バスの運転手さんも年齢が高い人は、あたし前世であなたに何か悪いことしましたか?って聞きたい感じだった。一方で若い運転手さんたちはふつ〜に感じ良くて、外国人がバス停のことを聞いてきた時に手伝ってあげたバスを降りる時には、照れたように笑って「ありがとうございました」と言ってくれたりしたから、そういうのは土地柄じゃないんだろうと思う、一般化はよくないね。
ともあれ、バスに乗る。バス自体は混んでたけど、比較的すぐにひがし茶屋街最寄りのバス停に到着。どっちに行くかよくわかってないあたしたち、みんなが行く方向について行く(笑)。足元がおぼつかないので、どっちに行っていいかなんて考えてる暇はない。川を渡るはずだからあっちの方が自然堤防でやや高くなってる、みんなが向かってる方向が正解に違いない、っていうなんとも怪しい判断。
途中、金物屋をリノベーションして作られたショップ発見
金澤町家の家並みが美しい、ひがし茶屋街に無事到着
重要文化財の志摩は1820年に建てられたお茶屋
一階の表の桟の幅や隙間が細かい格子を木虫籠(きむすこ)といい、外からは見えにくく中からは見通せる工夫がされている。ちょとならまちに似てるなぁ、まあどこも考えは一緒、材料もほぼ似たようなもんだろうし、などと勝手に想像して中にはいる。
紅殻の壁のお座敷
志摩は、一見さんお断りの現役のお茶屋さんと異なり、一般公開している。細部にまで凝ったデザインのある建物の内部だけでなく、使われていた酒器や台所用具なども含めて公開されていて、表からは見えない中庭など、町家造りの構造を見られて面白かった。ちなみに中庭は、座敷と土塀に囲まれた広がりを持たせるための外の空間としてだけではなく、屋根の雪を下ろす場所としての実用性も備えていたようだ。それは二階の両側に出っ張った「袖卯辰(そでうだつ)」と呼ばれる壁が延焼防止や隣家との区切りをしめしていた、単なるデザインに終わらない工夫とアプローチは同じだと思った。
突き当たりに不室屋さん発見
生麩を買って満足し、あとはぶらぶらして近江町市場で遅いお昼を食べることにしよっか?などと歩き出した。
軒先にイカみたいなのがヒラヒラしている建物があった
長谷山観音院という高野山真言宗北陸観音霊場代14番札所のもののようだった。このイカみたいなのはとうもろこしで、ひがし茶屋街の東にある卯辰山の麓の観音院で祈祷を受けた物だとあった。「なんでとうもろこしなんだろう?」「豊穣祈願かな?」なんていう話をしながらバス停に向かう。ほどなく金沢駅行きのバスが来たので乗り込んで近江町市場でおりた。さっき来た時に「あたし丼物より握り寿司の方がいいよぅ」などと言いながら見つけたお寿司屋さん、並んでいる人がほとんどいなくなっていたのでラッキ〜と列に加わる。大して待つことなく席につき、ノドグロ寿司2貫入り7貫を頼んで、追加で漁が解禁されたばかりだというガスエビ、おすすめだというサワラのそで(カジキマグロの腹側の薄い部分)とトロ生鯖を2貫ずつ頼んだ。どれも甘くて本当に美味しかった。
あ〜、食べたねぇ〜、やっぱり冬の日本海のお魚は格別だねぇ〜などと言いながら、バス停に向かって歩きつつ近江町市場を突っ切っていたら乾物屋さん発見。朝食のあおさいりのお味噌汁が香りが良くて美味しかったので、買いたくなって立ち止まったら「お姉さん、どれに興味もっててくれましたか?」と今まで聞かれたことのないような質問をされた。ついつい「あおさが欲しいのよ」と答えてしまい、そこからほとんどアメ横か?っていうノリで3袋買ったら1袋おまけする的やりとりが始まり、結局あおさを4袋(1袋はおまけ)、試食させてくれためかぶ茶が美味しかったので大きい袋2袋(1袋は「あと400円でキリがいいのでお釣りなしにしてくれたらもう一袋おまけする」という形でゲット)、干したシジミ1袋を購入し、「サンプルでちょっとしか入ってないけど、今日中に食べてくださいね」と、ホタルイカの沖漬けをもらった。主人は様子を一言も口を挟まず見ていて、市場を後にした頃に「最初にあおさは大袋と小袋どっちにしますか?って聞かれた時に、迷わず大袋って答えたから、彼女のスイッチが入っちゃったんだね。俺も小袋程度しか買わないもんだと思ってたからアレ?って思ったけどさ」と笑ってた。ま、どれもスイッチが入らないと買わない物ではあるけど、翌日から毎日飲んでるあおさのお味噌汁はすぐにでも一袋無くなりそうな勢いだから4袋は間違ってなかった(と思う、多分)。
なんていう話をしながらバスでホテルに戻り、預けてた荷物をピックアップして買ったものをスーツケースに入れたりして荷物をまとめ、「ちょっと早いけど駅で時間は潰せるよね」と再びバスに乗って駅まで。金沢駅でもお店で色々物色し、お酒を飲んで、「今回はお土産買わないよね」ってどの口が言ったんだっけな〜、なんて言いながら新幹線に乗り込んだ。金沢は見たいものがコンパクトにまとまっていて、徒歩とバスで安価に移動でき、美味しいものが溢れていた。ちなみに初日はバスに乗ったのは2回だけだったので、パス保有者の優待(50円くらい入館料が安くなる場所がたくさんある)を含めてもパスの料金単体でみると元は取れていない。でも、もともと1個あたり700円の宿への当日荷物配達サービスで2個の荷物をホテルに送って手ぶらで観光しようと思っていたので、1,400円分が浮いたことになるので、1日800円のパスは完璧お得だった。2日目はバス乗車回数と行った先の優待で完璧元を取った。仮に元が取れなかったとしても、金沢のバスは未だICカード対応じゃないので毎回現金が必要(あるいは回数券かな?)。その面倒さを考えたらこのデジタル一日乗車券は、極めて利用価値が高いディールであった。
この週末、土曜日は約13,000歩、日曜日は約15,000歩歩いて、見て、唸って、食べて、飲んで、しゃべって、爆睡した。楽しかった〜
食べたもの編はまた明日ね。
ありがとうございます
3年間住んでいたのは
玉川図書館の近くで
長町、せせらぎ通り、香林坊交差点は
朝夕通勤の通り道でした
金沢聖霊総合病院では、胃痛を訴えて
胃カメラを飲んだことがありますが
こんな聖堂が、あるとは
気がつきませんでした
観光のほうが、気がつくことも
多いんですね
金沢を離れてから
両親の介護などで帰るので
ゆっくりすることもありませんでした
来年は、思い出の地を
観光客の目で巡ってみようかな
懐かしいと思っていただけて嬉しいです。
金沢はいいところですね〜
コンパクトな街に伝統と今がいい感じでマッチしていて、食べ物は美味しくて。
実は岩城宏之さんがオーケストラアンサンブル金沢をお作りになった時から
金沢という街に興味を持ってました東京でもコンサーを開き、レジデントオーケストラとして音楽堂で邦楽とも共演する
金沢って土地柄は面白いなぁと注目してました。
そういうのもひょっとしたら観光客の目線の方が色々見えちゃう部分かもしれませんね。
是非訪れて旅行記を紹介してください〜
名前書き忘れ
オーケストラアンサンブル懐かしい
コンサートホールや劇場、能楽堂など
あっちこっちにあって
すべて徒歩で行けた
特に能は盛んで
夏休みの時期は
毎週末能楽堂に通い
一時は市民のための謡曲教室にも
通ったりしてました
人生の中で一番文化的な生活を
した時代でした
本当にコンパクトで充実した町ですよ
兼六園は、入場料無料の早朝に
朝の散歩で行ったりしていました
そういう文化的な豊かな雰囲気、
文化や伝統が日常生活に近いっていう印象を受けました、一泊二日の駆け足旅でしたけど。
いいですね〜
老後2拠点生活するとしたら、金沢も選択肢かも。