朝9時発の新幹線で金沢へ。途中止まるのは長野と富山だけ、あっという間に金沢に到着する予定、、、が途中保安装置の故障とやらで50分遅れで到着。雪でダイヤが乱れるのは国内外で経験済みなので、ま、ちょろいもんです(笑)。
我が一族のポーランドでの雪のハプニングと対策、懐かしく思い出した。
今回の聖霊病院聖堂でポーランドの木造教会を思い出したせいか、前置きが長くなってしまった。金沢、である。1時間遅れの12時少し前に金沢駅に到着。新幹線で移動中にバス乗り放題チケットはデジタルバージョンがあることに気づき、アプリをダウンロードしてチケットを購入しておいた。これがあるので荷物を駅からホテルに運んでもらうサービスは使用せず、まずはホテルに荷物を預けに行って積雪の様子に応じて一番いい手段で兼六園を目指そうということにした。雪はかなり残っていて、いつも使う脱着式アイゼンをを持参しておいて良かったと実感した。
香林坊のバス停はホテルとは道路を挟んでほぼ真向かいで「今日のような日にはありがたいね〜」と向かったら、車寄せで雪を払っていたベルキャプテンが気づいて荷物を持ってくれたり、ロビーにお茶とお水の用意があったり、旅は快調な滑り出し。ホテルで「荷物はお部屋に届けておきますから」と言われて地図をいただき「これなら徒歩で行けそうだ」と兼六園に向かった。
今回の旅、主人には兼六園と武家屋敷や茶屋街の趣のある風景が見たいという希望があり、あたしにはそれに加えていくつか見たい建築物があった。
ともあれ兼六園。一番近い真弓坂口から入ってまず対面するのは、瓢池と翠滝。池には氷が張っているのに滝には水量が多く不思議な感じだった。木々に積もった雪が時折大きな音を立てて落下して、観光客を直撃したりニアミスしたり、なかなかスリリング。
瓢池(ひさごいけ)
夕顔亭
園内に現存する最も古い建物で、1774年に建てられた茶室。茶席の次の間の袖壁に瓢箪(夕顔)の透かしがあるので夕顔亭という名がついたそうだ。雪に埋もれてなかなか風情がありまする。
ことじ灯籠と唐崎松
足の長さが違うことで有名な灯籠、記念写真を撮る行列ができるほど。名前の由来は琴柱同様二股になっているから、とのこと。ここまで登ってくると視界が開けて広さが実感できる。
近くから唐崎松を撮っていたら大きな猛禽類が飛んできた
13代藩主斉泰が琵琶湖湖畔の唐崎からタネを取り寄せて育てた黒松だそうで、枝ぶりが立派。11月1日に雪吊り作業をこの松から始めるのが、冬の訪れを告げる風物詩。この立派な枝ぶりはその丹精の賜物。池に浮かぶ蓬莱島など見ながら霞が池の周りを歩いて、小高い栄螺山に登った。霞が池を掘った時の土を利用した築山で、名前の由来は道がサザエのように渦巻状だからという、意外に安易なネーミングも漢字で書くと奥深そうに感じる(笑)。
遠くまで見晴らしの良いこと、まだあの鳥が木の上に止まってる様子も見える
ぶらぶら歩いて蓮池門口で兼六園を後にして、茶屋が並ぶ道を歩いて石川橋まで歩く。「食べまっし」と書かれた看板が出ていて、和スイーツのお店や昼食休憩にできそうな場所がたくさんあったけど、主人もあたしも大宮駅のエキュートでいつもの通りお弁当を買い、車中でしっかり朝ごはんを食べたのでまだお腹が空かない。とはいえかなり歩いたから金沢城公園はスキップすることにした。
なのでこれはアリバイ写真ざます(旅のお方、顔処理しなくてごめんね〜)
その代わりホテルのGoogleマップ画面では「臨時休業中」と出ていた鈴木大拙館の外観だけでもみたいから、鈴木大拙館で写真を撮ってる間待ってもらい、その後谷口吉郎・吉生記念金沢建築館にタクシーで行こう、ということにした。
鈴木大拙館は、翌日覗いた観光案内所のお姉さんから「理由はわからないのですが閉館中です、以前は館内に入らなくても外観は自由に撮影できたんですけどね」と言われた。フェンスが張られた外からはほとんど見えない状態になっていた。外国人観光客が一生懸命撮影しようとしていたのが気の毒だった。鈴木大拙館は、法隆寺宝物館などあたしが好きな美術館の建物を多く設計している谷口吉生の手による建物で、仏教哲学者の鈴木大拙にはぶっちゃけ興味はないのだが行ってみたかったのじゃ。ま、そういう不届きものの来場が歓迎されなかったということで諦め、タクシーで谷口親子の記念館に向かった。
谷口吉郎の住居跡に立つミュージアム、息子の吉生が設計
常設展示は、吉郎の代表作とされる赤坂の迎賓館の和風別館游心亭の広間と茶室が再現されていて、和だけどかっこいいが実感できる。でも今回夫婦で唸ったのは企画展「谷口吉郎とみんなが作った建築-藤村記念堂と徳田秋声文学碑、そして博物館明治村-」。谷口吉郎が九谷焼の窯元の息子という生い立ちと、美術館建築が多いことだけであたしたちが彼の設計姿勢を勝手にに誤解していたことがわかって、いい意味でのサプライズだった。どうせ日光江戸村みたいなもんでしょ?と思っていた博物館明治村のことも大きな誤解だったこともわかって、来年は必ずいくじょ!と決意した(大袈裟)。谷口吉郎は、あたしが大好きな空間である、建て替え前のホテルオークラのメインロビーを設計した人。東博の東洋館もそうだし、国立近代美術館の本館もそうだ。ホテルオークラのメインロビーは、人との待ち合わせにも使ったし、仕事と仕事の間の時間を潰すのにも活用させてもらった。あそこにいるだけで落ち着けた。設計者の名前を知ったのは建て替えが話題になった頃の話で、谷口作品だったのかぁと後から知った。建て替えには息子の谷口吉生事務所も加わっている。コロナで足が遠のいちゃってるけど、また行ってもいいかも、と思った。
金沢市内には魅力的な建物が多い。谷口記念金沢建築館の帰りに香林坊までバスに乗り、ホテルに戻る前に石川四高記念文化交流館(石川四高記念館と石川近代文学館)に行ってみた。実は兼六園に徒歩で行く途中横を通ったのだけど、やっぱ兼六園が先だよねってことで素通りしていたのだった。
雪深い構内にびびる
こっちは誰も歩いた形跡もない状態で更にびびる
じゃあこのあたりで、チェックインしてホテルで暖まろうってことにした。そうすると「なんかお腹すかない?」「だってもう3時過ぎてるもんね」。夕食は6時の予約。ホテルの向かいにあるアトリオという商業施設の地下でお寿司をちょっとだけ買って部屋で軽く食べ一休みすることにして、初日の観光はここまでで切り上げた。
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