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暑い那覇から帰ってきて、ユニットバスの出来を確認して2泊した後、「夏休みは遊び倒す」という主人の希望でまたまた京都へ。今年3度目である、京都に行った時には必ず立ち寄る居酒屋の大将に呆れられる始末。予約の電話を入れた時には、怪訝そうな声だった(苦笑)。
今回のこじつけテーマは幕末(笑)。だから、それなのに(?)最初に訪れたのは、伊藤若冲が眠る伏見の石峰寺(せきほうじ)。京都駅到着後、いつものように荷物をホテルに送る手続きをした後、JRで稲荷駅、そこから伏見稲荷を背にして徒歩で向かう。
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若冲のお墓と筆塚
斗米庵若冲居士墓、とは門前に住んでいた若冲が生活のために米一斗で絵を描いていて、そのため自らを斗米翁と名乗っていたところから。
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黄檗宗のお寺、中国っぽい
スケッチや写真撮影禁止なので、なにもない。天明の大火で焼け出された晩年の若冲、大阪など何ヶ所かの滞在の後、1789-1801年石峰寺の門前に草庵を結び、ここで亡くなった。今でも若冲忌の法要の前後に、石峰寺所蔵の若冲の作品が公開されている。今回は残念ながらそのタイミングではいけないけど、相国寺はお墓にはいけないので、こちらでお参りか〜と言いつつ来てみた。
お目当ては、本堂の裏の竹林に残る五百羅漢の石像。若冲の下絵をもとに石工が10年がかりで完成させた。当時は1,000体以上あったと言われる。説法場や涅槃場など8場面で構成されている。若冲の五百羅漢は近所の椿山荘のお庭にもあり、初めて見たわけではない。でも他に誰もいない竹林の中で見る五百羅漢は、なんとも言えない神秘的な雰囲気で、二人そろって感動した。
よかったね〜、想像を超えてた〜と言いながら、歩いて京阪龍谷大学深草駅へ。中書島駅まで電車に乗る。到着した中書島駅は、龍馬推しのディスプレイがたくさんあった。と言うわけでまずは寺田屋へ。
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伏見京橋に1597年に作られた船宿で、大阪と京都を結ぶ三十石船を運行し、薩摩藩の定宿として指定を受けていた。幕末期には、女将のお登勢が多くの志士たちを助けたことで有名。1862年の薩摩藩の内紛の寺田屋騒動と、1866年の伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件の寺田屋事件の舞台。寺田屋事件では、のちの妻となるお龍の起点で坂本龍馬は命からがら脱出した。
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色々と物騒(苦笑)
ここで、そろそろお腹空いてきたねってことで、龍馬通り商店街で見つけた蕎麦屋さんに入った。鱧の天ぷらのお蕎麦と、きすの天ぷらのお蕎麦、どちらも美味しかった。そこから月桂冠大倉記念館へ。少し待って、酒造りの今昔をまとめたビデオを見た後、敷地内の見学可能な場所を見せていただき、最後に3杯ほどお酒を試飲させてもらえる。あたしたちと一緒にビデオを見たのは、半分以上が外国人の見学者だった。
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酒用のお米もこんなに種類があるんだね
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直径150センチはあろうかという大きな樽
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ここから先は見学不可
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伏見の名水の一つ さかみづ
日本酒は全然わからないのだけど、辛口か甘口、芳醇か淡麗、の組み合でタイプが示された9種類から、3種類のお酒を選んでおちょこでいただく。標準的な月桂冠を比較基準として最初に飲み、そこからは辛口で芳醇という組み合わせにトライ。辛口度合いが高く、芳醇度が高い組み合わせが美味しいなと感じた。が、その組み合わせは2種類しかない。辛口だと淡麗により、甘口だと芳醇と表現される味になるみたいだった。ふ〜ん
ここから、船に乗る。十石舟は4時前に予約してたけど、ネットで見るとどの時間帯でもまだ定員に達していないようだった(このあたりは琵琶湖疏水船とはかなり違う(苦笑))ので、時間より小一時間は早めて乗り場に行ってみた。
伏見は、豊臣秀吉がその基礎を作った。伏見城築城によって開かれた伏見は、日本で唯一海に面していない「港町」だそうで、京都と大阪をつなぎ、都の繁栄を支えた水運のまち。御朱印船貿易で活躍していた角倉了以が、家康に高瀬川運河の開削を願い出て、いよいよ京都と大阪がつながり、伏見がさらに発展するきっかけとなる。その後鉄道や陸路の整備がすすんで、港町ではなくなったけれど、当時活躍した十石舟と三十石船が観光船として復活した。
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船着場近く
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三栖閘門の中に折り返し地点がある
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右の建物が資料館
資料館は冷房が入っているので、折り返しの舟が出発する15分後まで、資料を見ながら涼んだりして過ごせる。復路は同じ運河(宇治川派流;伏見城の外堀だった濠川も合流する)を戻るときに、高瀬川との合流地点や、龍馬お龍ブロンズ像を改めてみながら乗船。
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蔵と柳、水面にも
なかなかよかったじゃないか〜、曇ってきたしそろそろチェックインしようかと、中書島駅から東福寺駅まで京阪で、そこからJRで京都駅まで移動。ホテルのシャトルバスが1時間に二本ある。ちょうどいい時間に京都駅に到着したので、乗り場のある八条口側へ移動。待っている短い間に空がだんだん暗くなって、バスに乗り込む直前に怪しい風が吹き始め、雷が鳴り土砂降りに。傘なんてなんの役に立たないような降り方。ゲリラ雷雨ってこのこと?!という状況をバスの中から見つつホテル到着。
到着していた荷物と共に部屋に入り、汗をかいてドロドロ(苦笑)になってたので早速シャワーを浴びて、予約していたいつもの居酒屋へ。せっかく伏見に行ってきたので日本酒をと、辛口だけど芳醇なお酒をとお願いして選んでもらった。ら、なんと、我が家が大好きな奈良の春鹿を出されて驚いた。
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お酒の3倍くらいの量のチェイサーと共に出される
大将は祇園祭の神幸祭と還幸祭で担ぎ手をしているし、氏子がやるいろんなお勤めをしている。お金を集めるお勤めも伴うので大変だ。その時の話やら裏話やら、色々と聞かせてくれた。あたしたちは祇園祭りといえば山鉾巡行くらいしか知らないのだけど、主役は信仰の中核である神輿の神事。3基の神輿が氏子の各町内を練り歩き、四条寺町の御旅所まで行く神幸祭が17日に執り行われ、24日にはそれと逆ルートで市場寺町から祇園八坂神社に神輿が帰っていく還幸祭が行われる。中御座はスサノヲノミコト(三若神輿会がご奉仕)、東御座はクシイナダヒメノミコト(四若神輿会がご奉仕)、西御座はヤハシラノミコガミ(錦神輿会がご奉仕)という祭神の来訪のためのお清めが、山鉾巡行ってことだそう。
あたしたちが「ほ〜」とか「そうなんですね〜」と聞いているのと同様、大将もお客さんが行ったことがある場所、お客さんが勤めている場所の話から刺激を受けて、いろんな場所に出かけるよう意識しているとおっしゃっていた。あたしたちが「今日は伏見で十石船に乗りました」と言ったら「あ、行ったことあります、コロナの時に。(暇だった)今こそいろんなところに行ってみなきゃと思って」。「橋本関雪って、いい作品残してますよね」と、食べ歩きの時偶然入った白沙山荘で、「あの人は絶対子孫だなというおじさんに長い説明を聞いた」そうで、あたしたちが「春に行った時に夏の蓮もいいですよと言われたので、明日行こうと思って来たんですよ」という話で盛り上がったり。この日はゲリラ豪雨のおかげ(?)でお客さんの出足が遅かったため、大将との会話が弾んだ。
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