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『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』ポスターの原点=生賴範義画『破壊される人間』


青木幸雄(宮崎市)

ずっと気になっていた絵がある。映画『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』や『ゴジラ』などのポスターでよく知られる生賴範義さんの油絵だ。最初目にしたのはいつだったのか思い出せないが、薩摩川内市が東郷町などと合併する前の川内市だった頃だ。薩摩川内市には九州電力の川内原発がある。1号機、2号機の2基が川内川河口南側に建っている。原発が動き始めたのは1号機が1984年7月、2号機が1985年11月だ。その頃、私は川内原発を強く意識することはなかったが、2号機が出来た翌年の1986年4月に旧ソ連チェルノブイリ原発で核暴走爆発が起き、その放射能を実家(宮崎市)の畑でできた生姜から検出したことで、川内原発は私の足もとの原発と意識するようになった。なにせ、チェルノブイリ原発から日本までは約8,000km、川内原発から私の住む宮崎市までは約120kmしか離れていないのである。なので、川内原発で重大事故が起きた時、私たちはどうなるのだろうと思い始めた。そのため、川内市にたびたび通うことになった。そしてある時、川内歴史資料館で同館所蔵の生賴範義さんの『破壊される人間』を目にすることになった。

生賴範義さんの名前を耳にしたのは、生賴さんが宮崎で仕事を始められてすぐの頃だから、ずっと以前のことだ。私と同姓の青木画廊の故・青木修さんが「こういう人が宮崎にいるよ」と教えてくれた。すごい人がいるものだと思ったが、そのまま時は過ぎた。私も似たような仕事をしていたとはいえ、こちらは街の印刷屋さん相手のデザイン業。あちらは、世界を相手のイラストレーターだ。天と地、いや、それ以上の差だ。そんなに名が知れた方のポスターや本の表紙などを時折り目にしても、映画や本を飾る以上のものではないように感じていた。そのようなことで、宮崎市や延岡市で氏の仕事を網羅するような展示会が開催されても足を運ぶことはなかった。そんな私だったが、『破壊される人間』だけは、もう一度しっかり向き合ってみたかった。写真も撮りたかった。なので、川内原発1号機が40年を迎えた7月4日、川内歴史資料館に足を運んだ。川内原発北ゲート前で開かれた反対集会に参加した帰りだ。記憶の中の絵と比べると、照明が暗く、真ん中は明るかったが左右はとても暗かった。そして、残念なことに撮影不可。しかし、どうしてももう一度、しっかり向かい合わなければならない気持ちが背中を押した。なので、ブログに書きたい旨を伝え、画像提供をお願いした。なので、掲載している写真は、館から提供して頂いたものだ。ただ、画素数はブログの制約のため荒くなっている。

この絵を見る時、思いおこす絵があった。 藤田嗣治の『アッツ島玉砕』や、丸木位里・俊夫妻の『原爆の図』である。どちらも戦争の地獄が描かれている。『アッツ島玉砕』は、敵味方が入り混じり殺し合っている絵だが、人間の極限の狂気を描いているようだ。兵士は銃剣を今にも振りおろそうとし、あるいは突き刺そうとし、またあるいは日本刀で斬りかかろうとしている。そのような狂気の中で人は殺戮されていく。この絵を描いた藤田嗣治にはいろいろ批判もあるようだが、私には戦争というものを描ききった一枚のように思える。そして『原爆の図』には、原爆で焼かれ苦しむ人々の姿がたくさん描かれている。大人も子供も、男も女も、たった1発の原子爆弾で一瞬の内に蒸発し、あるいは黒焦げになり、あるいは布切れのようになり苦しみ死んでいく。生賴範義さんの『破壊される人間』を見る時、これらの絵と同質のものをどこか感じる。最も目に付く真ん中より少し左には、ぼろぼろに引き裂かれていく女性の姿が描かれている。下腹部からはどろどろになった内臓がぼろ布のように垂れ下がり、右側の肉塊とつながっている。その間に描かれている髑髏は別人なのだろうか、肉を掻きむしる手のようなものが描かれている。さらに右側には、お尻を思わせるものも描かれている。まるで凌辱されているようだ。しかし、髑髏の後ろの背景は水の中の出来事のようにも見える。最も左側に、自動小銃を持った兵士と見える人物が描かれているのが見えるだろうか。そうすると、やはりぼろ布のようになっている女性などは、この兵士の仕業なのだろうか。そして、兵士のすぐ右と画面最右側の青黒く描かれているのは、死体の山にも見える。いずれにしても、この絵は生賴範義さんの内面にうずめくものが描かれているように思う。そして、この絵が下敷きとなり、映画のポスターや本の表紙などが描かれていったように感じる。そう意味では、『破壊される人間』は、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』や『ゴジラ』などのイラストの原点だ。

もうひとつ、絵ではないが、かつてNHKで放映されたドキュメンタリー『東海村JCO臨海事故』もあげておきたい。ここでは、放射線によって破壊されていく人間の姿が映し出されていた。1999年9月、茨城県東海村にある核燃料加工施設(株)ジェー・シー・オーで臨界事故が起きた。事故ではウラン溶液が臨海に達し至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうち2名が死亡、1名が重症となったほか、600名を超える被曝者を出した。亡くなった2人は、染色体が傷付き、新しい細胞が作れないまま細胞が次々に失われていった。そして内蔵の粘膜も剥がれていった。『破壊される人間』を見る時、これらのことも脳裏に浮かぶ。薩摩川内市には川内原発があり、運転を続ける限りふる里を失うかもしれない事故リスクが厳然としてあり、行き場のない使用済み核燃料(死の灰)は確実に増えていく・・・。
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現代のダ・ヴィンチ=テオ・ヤンセン










風を受けて動く造形作品を作りたい。ずっと以前からの想いだ。なのに形にしたのは立体凧ぐらい。それもずーっと以前のこと。空に浮かんだ立体凧と糸を引っ張る力の強さはよく覚えている。

ところで、宮崎県立美術館で開催中の「テオ・ヤンセン展(2024.7.20〜9.8)」だ。以前から一度目にしたいと思っていたので出かけた。稲刈り前の7月末だ。大学時代に物理学を専攻し、その後画家に転向したというテオ・ヤンセンは、1990年から風の力で動く「ストランドビースト」を作り始める。まるで、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でタイムマシンを造ったドクのようだ。
「ストランドビースト」と言われる作品群は、オランダ語で砂浜を意味する「ストランド」と生命体「ビースト」を合わせて名付けられた造形作品だ。風を動力源として砂浜を歩き回るのだが、風を受けて海上を走るヨットのようなものでなく、生き物のように歩き回るのだ。骨格は主に細いプラスチックチューブの集合体だ。作品の中には、水たまりを感知する能力を持つものさえある。感知した刺激を受けて動き出す動力源は、沢山のペットボトルに蓄えた圧縮空気だ。やはり、ヤンセンはただ者ではない。なので、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチとも称される。
「ストランドビースト」の本来の姿は、風を動力源として砂浜を歩き回る姿だ。けっして美術館の中で静止している姿ではない。だが、それでも係員の手で大きな作品が数歩動いた時、観客からは「オッ!」という声が上がった。いつの日か、砂浜を歩き回る本来の姿を見てみたい。
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見応えがあった『福岡アジア美術館ベストコレクション』


もう1ヶ月以上前になるが、所用で福岡市に行く機会があったので、『福岡アジア美術館ベストコレクション』展に足を運んだ。美術館開館25周年スペシャル企画というだけあって、見応えがあった。その中から、FBに書いていたものを掲載しておきたい。

この人の作品は、やはり空間を感じさせる。これは1977年の『線より』と題された作品。『From Line』は、東京都現代美術館など各地の美術館が所蔵しているが、自分的にはここの作品が一番好きだ。こことは、福岡アジア美術館。この人とは、李 禹煥(リ・ウファン)。




『略奪された岸辺』。インドの歴史を知らないながら、スケールの大きさに圧倒されそうだった。物語は左から右へと展開する。一番左がインドに着いたイギリス人。植民地の始まりだ。続く3枚がギリシャ神話の王女メディアを基にした男と女のドラマ。そして西洋文明の自然破壊。最後の2枚は1992年のムンバイ暴動とあった。植民地、男性に翻弄される女性。女性の男性への復讐。環境問題。そして宗教対立。福岡アジア美術館がコレクションするインドの女性アーティスト「ナリニ・マラニ」の作品だ。
この絵を見ながら、サタジット・レイの映画『大地のうた』を思い出した。インドすごい!









『卵 #3』、観ておきたかった作品だ。福岡アジア美術館がコレクションする中国生まれ北京在住というリン・ティエンミャオ(林天苗)の2001年の作品。
自身の大伸ばしにされた出産直後の写真には白い玉がいくつも貼り付き、そしてそこから伸びる糸の先には白い糸玉が床一面に転がっている。それらは、女性が一生のうちに排卵する卵子なのだそうだ。女性が生きる生を生む性と同時に、生む性として社会的に拘束される姿をも感じさせた。






色々と考えさせる絵だ。どこか遠くを見ているような人民服の女性。そしてカッと見開いた目の黄色い顔の男性。両者を結ぶ赤い糸の先には天安門が映るテレビやバラの花、そして何が入っているのか木箱。ちょっと不穏な空気が漂っているようにも感じる。人民服の女性は若い頃の母。黄色い顔の男性は画家自身。文化大革命や天安門事件など波乱の歴史に翻弄されてきた中国人民の姿なのだろうか・・・。1958年生まれの画家は確実に社会を表現しているようだ。
『若い娘としての母と画家』1993年:ジャン・シャオガン(張暁剛)






次々に海面に墜落する軍用ヘリ。右から墜落するかと思えば、左から、あるいは頭上から様々な格好で墜落する。ベトナム戦争に大量投入された軍用ヘリの姿が脳裏を横切る。コッポラの映画『地獄の黙示録』に冒頭から出てきたあの軍用ヘリだ。
1975年4月30日、サイゴン(現ホーチミン市)陥落。幾多の米軍人・高官はヘリコプターで脱出を試みる。だが、航空母艦にたどり着く前に墜落したり、着いたとしても次のヘリ着艦のために海上に投棄されたのだという。
『南シナ海ピシュクン』と題された6分30秒のアニメだ。作者はディン・Q・レ、2009年作。
大きなスクリーンに写し出される軍用ヘリの墜落する姿は、どういうわけか観ていて飽きることはなかった。動画としては撮影禁止だったので、写真のみ。






個人に対する誹謗中傷をはじめ、国家間や民族間、あるいは宗派間や人種間などで繰り返される暴力と殺戮。世界がそのような不条理から解放される手立てはないのか・・・。
一人裸でたたずむ人間に向けられたたくさんの剣先。目を閉じた顔は穏やかな崇高さを感じさせ、剣の側に語りかける。剣なしでいこうよ・・・。
男性の姿は、非暴力・不殺生を説くインドのジャイナ教の聖者像に原型があるという。
『内なる声』N.N.リムゾン(1992年・インド)


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バンクシーの『ブレッド・ホール・バスト』







『ブレッド・ホール・バスト』

これが見ておきたかったので、先日、大分市美術館に出かけた。これがというのは、バンクシーの『ブレッド・ホール・バスト』と名が付いた作品だ。胸像の額真ん中に撃ち込まれた弾痕からは血も飛び散っていた。胸像は、高校の美術室でよく見かけたヘルメス像だ。ヘルメスは、旅人や商売人、泥棒の守護神であるとともに、自らも、泥棒・嘘つきだったようだから、バンクシーの意図は、なんとなく分かる気がする。しかし、こういう発想は、私にはない。解説には「古典的な彫刻胸像の額中央に弾痕を埋めこむ事で、伝統芸術に風穴を開ける意味が込められている。」とあった。たえず戦争や紛争のなかにある欧米のにおいも強く感じたが、強欲資本主義が闊歩する現代社会への一矢でもあるのだろう。


『ガール・ウィズ・バルーン』/赤い風船と少女


『ラブ・イズ・イン・ジ・エア(b/w)』/花束を投げる男

『赤い風船と少女』や『花束を投げる男』の絵は、バンクシーという名を知らなくても、「これ見たことある」と言う人が多いはずだ。但し、両方とも多くのバリエーションがある。街頭の壁に描かれたものの方が断然いいが、展示されていたのは小品だった。
(MUCA展〜バンクシーからカウズまで〜:2023年10月9日まで/大分市美術館)
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「加藤正回顧展 発光と残像」






先日、『加藤正 回顧展 発光と残像』へ出かけた。会場は、わが家から車で20分ほどの高鍋町美術館(宮崎県)だ。こういう美術展は少ないだろうと思って出かけたが、全くその通り。駐車場には職員のものらしき車以外は、たった1台。こういうと書いたのは、一般に前衛美術と称される作家の展覧会だからだ。加藤正という人は、戦後日本の前衛美術の先駆者とも言われる瑛九(えいきゅう)らと1952年、「デモクラート美術家協会」を結成した人だ。瑛九は宮崎市出身であり、加藤正は宮崎県串間市出身だ。
回顧展は、写真撮影OKだった。だが、出がけに急いでいたのでカメラを忘れた。途中で思い出したが、「まぁ、いいか」と、会場へ急いだ。なので、写真はポケットに入れていた古いスマホで撮ったものだ。
最初の部屋に入ると、高校生と思える男性が椅子にポツリ。ちょっと窮屈そうに座っていた。他の部屋にも高校生と思しき女性が座っていた。あとで聞けば、佐土原高校生の体験だったようだ。ところで、見初めてすぐに、録っておくべきものだと感じ、受付に取って返し、図録の有無を尋ねた。「いいえ、詩集みたいなのはありますが・・・」という応え。あぁ残念。ということで、気になったものだけでも写真におさめることにした。初期作品は、強い色調でインパクトが強く、どこか岡本太郎を感じさせた。それもそのはず、案内チラシには、「当時革新的存在であった瑛九や岡本太郎と出会い、その姿勢に共鳴する。」とあった。だが、時を経て独自の作品へと変化していく。
地元民放の紹介では、加藤正のことを「反骨の画家」というフレーズで紹介していた。「反骨」とは、辞書には「権威・権力・時代風潮などに逆らう気骨。」とある。東京藝大在学中の作品から晩年の作品まで見ると、「うむ!」とうなずかざるをえない。展示総数は約80点だ。


とむらいの朝

「いいな〜!」と感じた作品は、多数あったが、チラシに掲載されていた『とむらいの朝』に感じたことを、書いておきたい。左側にチェック柄をまとった馬の頭部、その後ろには馬の胴体なのだろうか包帯をぐるぐる巻きにされた黒い物体。会場には、たしかこの絵の解説もあったはずだが、それには目を通さなかった。馬の眼は白っぽい灰色で、その左斜め上に少し濃い灰色の目が浮かんでいた。少し死臭も感じる絵だが、見ているうちに、ブニュエルとダリが作った映画『アンダルシアの犬』を思い出した。冒頭、女性が目玉を剃刀で切られるあの映画だ。ピカソやブルトン、マグリッドなどが拍手喝采で迎えたというシュールレアリズム初めての映画だ。もちろん、剃刀で切られた目玉は、実際は死んだ子牛の目だったようだが、映画には脈絡もなく、アリや蛾などが出てきた。一人の男が死んだロバが乗せられたグランドピアノや修道士を引きずり、女に近づく場面がこの絵と重なった。『とむらいの朝』の馬の頭や目が、ピアノの上の死んだロバの頭や目と同じように見えたのだ。単なる偶然だろうか・・・。

こういう絵に対して、エロスを主題にしたものや、「敗戦・ヒロシマ」、「汚染・沈黙の春シリーズ」、「原爆地下実験場」、「核・その静かなる影」、「ムルロア実験場」など現代社会が抱える巨大な矛盾に焦点を当てている作品群もあった。繁栄を競うように、高層ビルが立ち並び、多数の車が行き交い、インターネットという仮想空間が駆け巡る現代社会を、やはりこの人は「バベルの塔」として射抜こうとしていたのではないだろうか。
「生と死」を根底から見つめながら格闘した郷土の先人に敬意を払いたい。高鍋美術館には、良い企画をしてもらった。感謝したい。

◎企画展「加藤正回顧展 発光と残像」
令和4年10月15日(土曜日)~11月13日(日曜日)




核・その静かなる影


ムルロア実験場



尚、常設展示室で開催されていた『坂本正直 玄奘三蔵法師の旅』も実に見ごたえのある展示会だった。
◎『坂本正直 玄奘三蔵法師の旅』
令和4年9月23日(金曜日・祝日)~令和5年3月26日(日曜日)

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『アート&工芸散歩』








10月8日〜10日の3日間、わが集落5会場を使って『アート&工芸散歩』を開催した。わが集落は、宮崎平野にある農村集落。周りは田んぼやビニールハウスがほとんど。それに繁殖牛を営む2軒の牛舎がある。遠くには、九州山地の山々を望むことができる。そいう農村集落で催した展示会だ。会場は、学習館や神社など5会場。参加したアーチスト・工芸家は、ちょうど20人。内容は、日曜雑器・竹のオブジェ・家具&クラフト・写真・押し花・土人形・和紙絵・染め物・ダンボールアート・絵画・アクセサリー・和紙アート・洋服など多彩。なので、色とりどり。
心配していた天気も、中日に小雨が降ったくらいでまずまず。人出は、地元紙の取材・報道などもあり、3日間とも続々。初日と2日目は年配者が多いように感じたが、3日目は子供連れの若い家族も多かった。
私のメインは、神社拝殿と境内を使ったデザインタペストリー。陶芸家のカメレオンオブジェとのコラボだ。但し、カメレオンオブジェは陶器でなくアルミホイル。このコラボは、意外性もありとても面白かったらしい。いただいた感想やメッセージには、こうある。

「タペストリーにまずびっくり!! 岡本太郎かと思いました。本殿内の立体的なタペストリーの色あいがすてきです。帰ろうとしたら木々にかわいいカメレオンや小鳥がいて、これまたびっくり!! 自然にすっかりとけこんでいるアートに大拍手でした。準備は大変だったことでしょう、ありがとうございました。」

「カメレオン!! 外の木や枝で遊んでいる姿が最高!! とても素敵でしたよ。」「アルミホイルでカメレオンなどを作るとか、『天才』すぎ。」「楽しい空間『実におもしろい』ご縁に感謝です」


等々、ありがたいお言葉。まずは大成功だったとしておきたい。さて、次は・・・。










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インカ・ショニバレCBEの《桜を放つ女性》










インカ・ショニバレCBEの《桜を放つ女性》(2019年)を観たくて、福岡市美術館へ出かけた。大濠公園のすぐ近くにある美術館だ。福岡アジア美術館の方には、何度も出かけたことがあるのに、市美術館の方は、何となくスルーしていた。勝手にちょっと過去的と思い込んでいたのだ。
出かけてみるとこれが大正解。コレクションが素晴らしかった。観たことがあるものや、知っているものが幾つもあった。写真不可なので画像で紹介できないが、印象に残ったものは、イヴ・クラインの《人体測定(ANT 157)》や、アンディ・ウォーホルの《エルヴィス》、マーク・ロスコの《無題》、マグダレナ・アバカノヴィッチの《Androgyn on Trapezoid (White)》、サルバドール・ダリの《ポルト・リガトの聖母》、アニッシュ・カプーアの《虚ろなる母》、藤田嗣治の《仰臥裸婦》、白髪一雄の《単赤》、草間彌生の《夏(1)》などなど・・・。
もっと早く出かけておくべき美術館だった。野外には、インカ・ショニバレCBEの《ウィンド・スカルプチャー(SG)II》や草間彌生の《南蛮》も。それにしても凄いコレクションの数々だ。「福岡の力」ここにありということか。
インカ・ショニバレCBEの《桜を放つ女性》は、目的に違わず良かった。地球儀の頭を持つ女性がライフルを構え、引き金を引くと、銃口の先に広がるのは満開の桜。解説には、「銃口から発されるエネルギーの塊のような桜は、破壊ではなく創造/想像の力そのものといえるでしょう。」とあった。作家の世界を見る力、構想力、造形力を大いに感じさせた。





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輝いていた児島虎次郎の絵

コウゾ等とともに、和紙の原料となるミツマタに出会った。優しげにあった。場所は、かつて石井十次とその仲間が祈りを捧げたという古い教会近く。教会は現在は改装され、「祈りの丘空想ギャラリー」となっている。

オミクロン株がじわりと増え始めた先日、ストレス解消も兼ねて西都原公園を目指した。西都原公園は、国の特別史跡に指定されている古墳群で名が知られる。円形墳・方形墳・前方後円墳・地下式古墳など約300あまりの古墳が、西都市街地の台地の上にある。その広々した空間の中を散歩したいと思ったのだが、途中で空想ギャラリーのことを思い出し、そちらにハンドルを切った。かねてからの友人が、近くに住んでいるはずだ。ギャラリーそばに車を止めて電話してみた。「久しぶり・・・」等と電話・・・。「今ギャラリーのそば」と言うと、友人は、車を止めたすぐそばの家からスマホ片手に出てきた。
ということで、周辺案内をかねて散歩となった。歩き出してすぐに見つけたのが、道路脇のミツマタだった。冬のミツマタは格別に優しげだった。そして有楽椿。少し盛りを過ぎているようだったが、これも優しげに迎えてくれた。木立の道を通ると、大きなクスノキ。その下にはいつかみたような家もあった。そこを抜けると、牛舎や田んぼがあった。農道脇には芙蓉らしき木が種を付けていた。






そして、石井友愛社へと案内された。いくつかの建物を見て歩いた。昼間に歩くのは初めてだった。実はずっと以前、夜に案内されたことがあったが、夜なので皆目分からずじまい。なので、たくさんの建物を目にするのは初めてだった。その中に静養館(せいようかん)という建物があった。元々は岡山にあったそうだ。1979年(明治12)に建てられ、1913年(大正2)に移築されたという古い木造の建物だ。すぐそばの方舟館(はこぶねかん)とともに、2017年に国の有形文化財に登録されている。靴を脱ぎ中に入ると、冬の日差しを浴びた畳の部屋には座卓が並び、澄んだ空気があった。その空気感とともに、窓ガラスがよかった。窓越しに見える木々は揺らいで見え、それがなんとなく温かく感じた。明治のガラスだという。割れれば、もうだめだ。ガラスに限らないが、工業化に伴う均質化はすっきりスマートにもなるが、一方では人肌のような温かみは失われていくのかもしれない。縁側に出て見上げると、天井もなかなか面白かった。







そこを後にした時、「絵は好き?」と友人が私に尋ねた。「うん!」と私。案内所で許しを請い、講堂みたいな所に案内された。驚いた。児島虎次郎の絵がそこにあったのだ。何点あったのかは覚えていない。多分10数点だったように思う。写真は控えた。そういうつもりで来ていないし、カメラもポケットサイズの小さなものとスマホだけだった。どれも見応えのある作品ばかりだった。その中に2点ほど、かつて見たことがあると思うものがあった。だが初めてだったかもしれない。思うものとはいえ、もう約50年ほども前のことだ。場所は、あの倉敷にある大原美術館でだ。
その大原美術館と虎次郎はとても関係が深い。というより、虎次郎無くして大原美術館はできなかったと言ったほうがいいかもしれない。虎次郎は大原奨学会から支援を得て、フランスやベルギーに留学している。良き師に恵まれたようでベルギーの美術アカデミーを首席での卒業だ。帰国後、大原孫三郎らの勧めで石井十次の長女・友と結婚、倉敷に新居とアトリエを構えている。この良き巡り合いは、優れた作品をたくさん生んだようだ。その後、第一次世界大戦後のヨーロッパへ再び留学。その時、虎次郎は日本芸術会のためとして、美術作品の収集を孫三郎に願い出ている。そして収集されたのが、モネの『睡蓮』やマティスの『マティス嬢の肖像』などだ。帰国後、倉敷市内の小学校での作品公開では、倉敷駅から会場まで長蛇の列が絶えなかったという。
そして今度は、孫三郎が作品収集のために、虎次郎をヨーロッパへと旅立たせ、エル・グレコやゴーギャンなどの作品が収集された。これらが、大原美術館の大元になったようだ。そういうことを成しとげている人の作品を、こんな身近なところで見れるとは、思いもしなかった。ただ、そういうことを知らずとも、児島虎次郎の絵はどれも素晴らしく、モネなど印象派の作品のように輝いて見えた。

モネやゴッホ、ピカソなどを次々に書いてきたアート小説の旗手・原田マハに、物語を書いてもらいたい気がしている。当時のヨーロッパや国内の美術の動き等を背景に、孫三郎と虎次郎の出会い・友情などを書けば、きっといい小説が出来上がるはずだ。ここを案内してくれた友人に感謝だ。「持つべきものは友」と改めて感じた。
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ゴジラやガラモンの立体模型




ひゃー怖い!。こんな作品を玄関に置いておいたら、みんなびっくりするだろう。だが、びっくりしたとしても話が弾むに違いない。こんな作品を作っているのは、宮崎県綾町に住居を構える後藤麻夫さんだ。ハリウッド映画にも携わってきたというから一級品だ。一度見てみたいと思っていたら、願いはかなうもの。衆院選のあった日、投票を済ませたあと県総合博物館へ出かけてみたら、『みやざき模型アートの世界~後藤麻夫作品選~』として11月7日まで開催中だった。ゴジラやガラモンなどの他に、ちょっと不気味な人面犬や人面金魚の立体模型も展示されていた。ちょうど日曜日だったこともあり、親子連れがいっぱいで、「カッコいい!、ひゃースゲー!」などの声が飛び交っていた。地元には、腕利きの作家がいるものだ。
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ゴッホの「星月夜」と重なる瑛九の「田園 B」


美術館、もしくは展覧会にはカメラを持っていきたい。たまに撮影OKの作品があるからだ。これも撮影OKだった。「田園 B」/pastoral Bと題したこの絵は、宮崎が生んだ前衛画家・瑛九の代表作のひとつだ。宮崎県立美術館蔵だからコレクション展で度々目にしてきた。この作品は、亡くなる前年の作品だ。60歳ぐらいで亡くなったと思っていたが、亡くなったのは48歳と若い。絶筆は、大作「つばさ」だ。
瑛九の作品を初めて知ったのはいつだったか・・・。私と同じ姓を持つ画廊の主からだったように思う。もう、ずっと前のことだ。画廊ではフォトデッサンを集めていた。それらを目にした時、カメラを使わずともこんな作品ができるのかと、すぐに引き込まれた。その後、シュール的な版画など記憶に焼き付けたきた。だが、点描で描かれた晩年の作品は、今まで自分の内に入ってくることはなかった。だが、今回カメラに納めた「田園 B」を眺めていて初めて、それに引き込まれている自分に気づいた。ひとつひとつの点は、輝く星々のようでもあり、生命がほとばしる宇宙のようでもあった。
「田園 B」は、月、星、太陽が、ふるさと宮崎の田園に映じて輝いている心象風景を描き出したものと言われる。だすれば、ひとつひとつの点は、生命ひとつひとつ、あるいはそれを構成している原子そのものかもしれない。ずっと見ているうちに、ゴッホの「星月夜(糸杉と村)」と重なってきた。ただ、田園・pastoralという言葉からは、田んぼの風景とは違う牧場的な風景を感じる。それが、田んぼに育った私の中に、今まで入ってこなかった理由かもしれない。
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