日頃感じたこと、思ったこと事などを書きとめておきます。
野のアザミ
今も弘法大師入定の高野山奥之院
勝浦港のマグロ船
3日目。バイキングの朝食を済ませ、ホテルの窓から眺めれば穏やかな湾と照葉樹林の新緑。正面右手に勝浦漁港が見える。湾にはマグロ船多数。早朝から出港するマグロ船も。防波堤では釣り人がのんびり。そうこうするうち、いつもより早い8:00出発。
行程表には、「四季折々の自然を満喫・龍神スカイライン」とあった。スカイラインを通って高野山へ向かうのだ。ところがこれが間違いだった。旅行前日は、大雨だった。なので、添乗員は傘とコートを準備するように言っていた。しかし、運がいいことに雨は早く上がり、行く先々いい天気に恵まれた。だが、先の大雨でスカイラインの一部が土砂崩れを起こし、通行止めになっていたのだ。それを運転手や添乗員が気付かずバスを進めたため、あっちに行ったりこっちに行ったりで、山の中を右往左往。予定から2時間近くも遅れ、結局、海岸近くへ出て和歌山方面から高野山へ急ぐこととなった。なので、昼食は1時間遅れ。それでも世界遺産・高野山奥の院はじっくり。参道脇には、樹齢数百年の巨杉の中に、信長や秀吉に謙信、徳川家など誰もが知る人のお墓がずらりとあった。誰でもどんな宗派でも受け入れるのだという。なので韓国からの人のお墓も。
そして空海が眠る奥之院へ。ぐるり回って地下に案内された。その先には、今も弘法大師が入定(永遠の瞑想)されているのだという。そのため毎日2回、衣服と食事が届けられているのだ。写真は不可だった。
高野山では、コウヤマキを楽しみにしていた。だが、案内の方に聞くと、ここで使うコウヤマキは別のところから採ってくるのだという。コウヤマキの巨木を見たかったのに、ちょっと期待外れ。20年ほどのコウヤマキがあったので、これだけでもと思い、写真におさめて駐車場へと帰った。そこでは、コウヤマキの苗木が販売されていた。それを眺めていた時、都城の友人が「植木市でコウヤマキの苗木が売られているよ」と電話してきた。全くの偶然だ。「今、高野山!」とは言わずに、「私の庭で3年ものがすくすく」と言って電話を切ったが、こんなこともあるものだと、今でも不思議。
行程の遅れは、大きなしわ寄せを伴った。金剛峯寺と壇上伽藍の見学はなしということになったのだ。あぁ、残念。朱色の大門など写真に収めたかったのだが・・・。それでも車窓からはどうにか確認できた。あとは急ぎ空港を目指した。和歌山を過ぎ泉南、大阪などを走り抜け、無事伊丹空港へ。そして、宮崎空港から自宅へ帰り着いたのは夜10時頃だっただろうか。こうして、2泊3日の旅は終わった。
奥之院参道
コウヤマキ
車窓からの大門
3日目は山の中を右往左往したが、思いがけず、和歌山県の照葉樹林を眺めることができた。宮崎より1週間ほど遅いのだろうか、シイ類の花がどこも綺麗だった。自分の車で行けば、かつて原発の候補地だった三重県芦浜(旧南島町・旧紀勢町)や、和歌山県日置川町や日高町なども訪ねただろう。それにウミガメ公園のある紀宝町も・・・。
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一度は行きたい那智の滝&熊野古道
落差133mの那智の滝
熊野那智大社
那智の滝を背にした三重塔
二日目午後は、一度は見たかった那智の滝や一度は歩いてみたかった熊野古道へ。三重県にさよならして和歌山県に入るとすぐだ。
まず、那智勝浦から山道を6kmほど登ったところが那智の滝だ。昼食は近くでとった。バスを降りてすぐ飛龍神社と書かれた鳥居をくぐると、左手に「世界遺産 那智御瀧」と刻まれた大きな石碑。いやが上にも心が踊る。大きな杉木立の間の石段を少し下ると、「おぉ・・・!」。ゴーゴーという音を響かせながら、流れ落ちる滝はやはり感動ものだ。落差は、日本一と言われる133m。ということで、水煙を感じながらしばし堪能。
次は、バスで少し移動しおやすみ処へ。ちょうどそこから長い石段を登ったところが熊野那智大社だ。熊野本宮大社・熊野速玉大社と共に、熊野三山の一社だ。境内ですぐに目に入ったのは胎内くぐりができる御神木の大クス。早速、他所の人が、幹にできた空洞をくぐっていた。推定樹齢850年、幹回り8.5m。平重盛の御手植と伝わるようだ。境内には、八咫烏(ヤタガラス)の銅像もあったそうだが、残念なことに、これは見逃してしまった。参加の一行は、ほとんどが、すぐ隣の青岸渡寺前の石段から降りたが、私は三重塔も見たかったのでちょっと先まで。そう、那智の滝が背景にした朱色の美しい三重塔だ。近くまで行くと外国からの観光客が盛んに写真を撮っていた。なので私もカシャッ!。
熊野古道「大門坂」
急いで皆の後を追い、おやすみ処へ。みんなはもうお茶をいただき買い物を始めていた。私も遅ればせながらお茶をいただき、その後、みんな揃ってすぐそばの観光センター横へ。そこから熊野古道を下るのだ。距離にして約600mほどだろうか。よく整備された石段の両脇には樹齢800年を越すと言われる大杉が立ち並んでいた。当時の面影が最もよく残っているところだという。名前は「大門坂」だ。私たちは下りばかりなので、以前なら走って下るところだが、連れには年配者も多い。と言っても、私もその入り口なのだが・・・。なので、竹の杖を調達して、ゆっくり慎重に。ここで転ければ、話にもならない。そして大門坂登り口へ無事ゴール。嬉しかったのは、ゴール直前、杉木立の間をゆっくり登ってくる二人の女性の姿。市女笠(いちめがさ)を被り平安衣装姿なのだ。観光用の貸衣装姿なのだが、古道にぴったりの光景だった。思わず黒澤明の「羅生門」の一シーンを思い出した。
というようなことで、那智の滝も熊野古道も満喫して午後の部を終え、南紀勝浦温泉のホテルへとバスは向かった。
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巨大な海食洞・鬼ケ城
鬼ケ城
二日目、ホテル出発は8:30。ホテルの朝食はバイキング。美味しかった。2時間ほどバスに揺られて着いたのは鬼ケ城。行程表には紀州の名勝とあった。だが、前持っての知識は全くのゼロ。行ってびっくり、こんなところがあったとは・・・。地質的に興味津々。巨大な岩の洞窟である。最初砂岩かと思ったが、説明板には石英粗面岩とあった。火山岩の一種・流紋岩のことのようだ。その巨大な岩が、波によって削られて洞窟状になり、それが急激に隆起しているのだ。6段の階段状と言うから、6回の巨大な地震によって隆起したのだろう。どこにも書いてはいなかったが、過去の南海トラフ地震による痕跡なのではないのだろうか。個人的には、今後も注目しておきたいところだ。
尚、鬼ケ城は、1935年(昭和10年)に国の天然記念物指定、日本百景に選定され、2004年7月には、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録されている。
鬼ケ城という名は、桓武天皇(737~806)の頃、鬼と恐れられていた海賊・多娥丸(たがまる)を 坂上田村麻呂が征伐したという伝説が元になっているようだ。看板にある獅子巌もじっくり見たかったが、そこは融通のきかないツアー。なので、車窓から見ただけ。残念。
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鳥居が印象的だった伊勢神宮
伊勢神宮
3月と4月の田植えが終わり、ご褒美としてちょっと旅行。といっても団体ツアー。行先は、行ったことがない三重県と和歌山県。そう、伊勢神宮、那智大社、那智の滝、熊野古道の他、高野山などをめぐる2泊3日の旅行だ。
一日目は朝早かった。宮崎空港7:35発。伊丹空港まで約1時間。そこから高速。京都を横に見ながら、ちょうどお昼に伊勢神宮へ。鳥居が飾り気が無くシンプルでとても印象に残った。「スモール・イズ・ビューティフル」ということか。20年ごとに行われる式年遷宮後に、内宮・外宮正殿の棟持柱が鳥居になっていくようだ。最初に迎えてくれた宇治橋の鳥居は、入口側が旧・外宮正殿の棟持柱、神域側が旧・内宮正殿の棟持柱でつくられたものだ。そしてその後は、入口側の鳥居は桑名市「七里の渡し場後」の鳥居へ、神域側の鳥居は亀山市「関宿」の鳥居へとなっていくそうだ。
式年遷宮は、内宮や外宮など社殿を20年ごとに作り替える一大イベントだ。そのことによって宮大工や神職の技術なども伝承されるようだ。そういう意味では、うなずける行事だ。その他、記憶に残ったのは、巨杉。どれも写真に撮りたいと思うほどの立派な杉だった。現代の使い捨て文化は見習うべきかもしれない。
お土産やさんがずらりと並ぶ「おかげ横丁」は、行き交う人でごった返していたが、終活の身にあっては、ブラブラするだけ。ただ、店頭の生姜砂糖が目についたので、一袋買い求め昔味を楽しんだ。
二見ヶ浦の夫婦岩
中央の小島はミキモト真珠島
伊勢神宮の後は、二見ヶ浦の夫婦岩へ。大小の岩にしめ縄が懸けてあるあの場所だ。天気がよければ、見る角度によっては、しめ縄の先に富士山が見えるというのだが、風強く、波高く、その上遠くは霞んでいたので残念。それでも負けじと目をこらしてみたがやはり見えず。なので早々にバスに引き上げた。
後は鳥羽のホテルへ。ここのロケーションは最高。眼下には悠々と舞うトビの姿や行き交う船が見えた。その向こうには、日本の真珠産業の中心・ミキモト真珠島が新緑の照葉樹の中にあった。そして目を遠くに移せば、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった神島。どれもが真珠に劣らずの絶景だっt。
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