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巨田池の蓮の花


気にはかけているが、毎年見逃してしまうので今年は早めに出かけた。行く先は宮崎市佐土原町の巨田池。読みは「こたいけ」だが、地元言葉では「こたんいけ」。
冬場はカモの休息地となり、そっと覗けばカモがいっぱい休んでいる。そのカモは、日が沈む頃になると、エサを求めて次々と飛び立つ。その飛び立つカモを、池脇の尾根林を切った「坪」と呼ばれる所で待ち受け、網を投げ上げて捕まえる猟がここには残っている。武士の鍛錬で始まったと言われる400年続いている「越網猟」と呼ばれる猟だ。日本ではこの巨田池と石川県加賀市の片野池の2カ所だけだという。

それはそれとして、今は初夏。この季節の巨田池はカモではなく蓮の池となる。新聞紙上に各地の蓮の花だよりが掲載され始めたので、今年こそはと思い早朝に出かけた。途中の田んぼは、ちょうど穂が出始めたばかりだ。池脇の狭い道路を過ぎて目指す目的地へ着いたが、蓮の花はまだちらほら。池一面の蓮の花を思い浮かべていたので、少しがっかり。先客もカメラ片手に残念そう。
しかし、せっかく行ったので幾つかの花に狙いをつけて、写真を数枚パチり。期待はしなかったが、モニターでみると、池では感じなかった蓮の花の清々しさ。緑の大きな葉っぱの中でひときわ際立っているではないか。花びらの先は濃いピンクで、中心に向うにつれ白くぼかされ、真ん中に黄色い「花托」。つい、「仏様」を見るように見とれてしまった。とは言え、私、仏教徒ではない。


カモが休む冬の巨田池


尾根林を切り開いた「坪」
ここを通過するカモを網を投げ上げて捕える。
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ニホンカナヘビ


ニホンカナヘビが、ギャラリー玄関先のハクモクレンの幹に張り付いていた。普段見ているカナヘビよりも緑っぽい感じなので写真に収めることにしたが、あとで見ればいつもの茶褐色。カナヘビの尻尾は長い。思っていた以上だ。
カナヘビのことを、子どもの頃は「チョカンキロ」と呼んでいた。最も身近にいたトカゲで、捕まえようと追いかけると尻尾を切って逃げた。切れた尻尾は生き物のごとくクネリクネリ・・・。それに気をとられているスキに本体はどこかに逃げていた。そして、たま〜に、尻尾がないトカゲも見かけた。この尻尾切り、再生するとは言え、生きのびるための最後の手段だから相当な痛手を受けるようだ。衰弱して死ぬものもいるとか・・・。人間の世界でも尻尾切りを度々見るが、こちらは自分の尻尾ではなく、ほとんどの場合部下だ。部下に責任を押しつけ、自分は知らんふりして生き残ろうとする。人間様は、トカゲ以下と言うことか。
トカゲの仲間のヤモリやヘビ類は苦手だが、このカナヘビだけは違う。ヘビ類のような特有のヌメヌメした肌感でなく、乾燥肌のようだからかもしれない。子どものカナヘビなら手の平だって乗せられる。太陽にかざせば、透通って呼吸しているのがよく分かり感動ものだ。
ところで、カナヘビのことをずっとニホントカゲと思っていたが、ニホントカゲは、あのギラギラした体に縦縞模様が入ったトカゲだ。こちらはちょっと苦手だ。だけど、しっかり見るとこちらもなかなか魅力的だ。苦手なヘビ類だって、よく見れば可愛いのかもしれない。畦草刈りでは、草の茂みから逃げないシマヘビを分からず、毎年1匹か2匹は二つ切りしてしまうが・・・。
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ネズミモチのクマバチ


植えた当初なかなか土になじまなかったネズミモチが、ある時からグングン伸び始めた。その結果、今では小さな白い花をいっぱい付けるようになっている。その白い花に、ずんぐりした大きなハチが来てさかんに飛び回っている。てっきりマルハナバチと思っていたら、クマバチ。胸が黄色でお腹は真っ黒なので、よく目立つ。大きな体のくせに、翅はハエの翅をくっつけたように小さく、黄色い毛はフサフサの絨毯のようでもあり、触ってみたくもなる。しかし、それは当然のことながら相手が許してくれないため、眺めるばかり。
このクマバチ、子どもの頃はクマンバチと言っていたような、言わなかったような・・・。危害を加えないかぎり襲われることはないが、とうとう接写では撮らせてくれなかった。
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『坂本正直〜平和への祈り〜』展


「クリークの月」


「九州には三人の坂本という絵描きがいる」。友人が教えてくれた言葉だ。そういう言い方があるとは知らなかったが、一人は久留米の坂本繁二郎、もう一人は熊本の坂本善三、そしてもう一人が宮崎の坂本正直だ。坂本正直については、宮崎県外ではあまり知られていないかもしれない。しかし、もっと知って欲しい人だ。今回、県民ギャラリー(宮崎県立美術館)で開催された展示会を観て、改めてそう思う。約70点の絵と向き合うことができた。

最も記憶に残ったのは「クリークの月」と題されたシリーズ。『莫愁湖-馬はみていた』の一連の絵だ。遠目には藍の染にも似た印象で美しくも写っていた。月そのものは描かれてなく、画面の上方に夜の空と遠景。その下に月の光を反射している白い湖面が大きく描かれ、画面の約下半分は暗闇の中に馬の顔や人の手などが描かれている。暗闇の中の馬の顔はどこまでも静かだが、どこか寂し気だ。人の手などにまじって赤い点も描かれている。
ちょうど会場で案内役をしていた友人が赤い点について説明してくれた。肩章なのだそうだ。軍服の肩についているものだ。暗闇の中には、銃剣を突きつけられて水に消え行く人のような絵もある。あるいは、白い布を掛けられ地をかきむしる人の手のように見える絵もある。ただ、具象画ではないので判然とはしない。
「莫愁湖」を調べてみた。中国南京市郊外の湖だ。ということは、これは南京事件前後の光景なのか。資料を繰ると、坂本氏は、1937年7月招集後朝鮮半島経由で中国に入り、北京、石家荘など転戦し11月杭州湾に上陸している。南京事件は12月だからつじつまは会う。




「坂本正直氏さんが語る『私のなかの風景』(聞き手 木村 麦)」の中に「言いようのない光景」とされる一節があるので引用してみたい。

 私たちは、南京、蕪湖、安慶、漢口、大治、九江、徳安、長沙近くと転戦し、中国で三年半を過ごしました。
 最初の正月は南京でした。
 日本軍は南京を方々から攻めていました。私たちの前の方で地雷がさく裂したり、皆殺気立っていました。南京には夕方着いて莫愁湖の近くに宿舎を定めました。あちこちに火災が見え、城壁の周りの堀を渡って多数の中国兵が逃げてくるのが見えました。ざん濠のなかには脳の出た死体がありましたし、周りにも生きているのか死んでいるのか分からない人間が横たわっていて 精神状態も荒れていました。
 その晩、歩哨に立っていて、突然目の前に現れた中国人を撃ってしまうのです。それなのに歩哨を交替した後、平気で眠ったと思うのです。そのとき月が出ていたのですが、どのくらいの月だったのかは分かりません。それが「クリークの月」です。弔いのような気持ちで描いています。



「めしを食いつつ見ていた」

戦争をテーマに絵を描くのは大変なことと思う。まして自身の体験を元にした絵だ。消し去ることもできない記憶の奥底に焼き付いているであろう光景だ。「クリークと月」の他に、よく知られている絵に「めしを食いつつ見ていた」という絵がある。画面下には飯盒が描かれ、上方にはちぎれて飛んできている手が大きく描かれている。爆弾でやられた手が飛んできても平気でご飯を食べている異常な精神を描いたのだ。

作品の並ぶ一角に、手描きの説明があった。漢口での戦闘が終わり、山岳戦に入る前のことのようだ。




  戦争(人間の命) 

人間の顔と体がするめいかのように
なって ボクボクとほこりのたつ道路に
へばりついていました。
その上を ほこりをかぶった軍用自動車が、十何台通過しました。
わたし共 小行李の兵隊と馬は
道路わきに しばらく立ったまま
でした。
出征して一年たった兵隊の
神経は平常ではなかったことは
たしかです
戦場で つくられてゆく精神状態が
どんなものあるかを描きたかった
のです       (中支戦線で)
                    坂本正直


香月泰男はシベリア抑留体験を元に『シベリア・シリーズ』で、望郷と鎮魂そして希望を描いたが、坂本正直は「普通の人々が、戦場においては、人をただの『モノ』としか見なくなる異常な精神を描き止めた。」のだと思う。
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幻日(げんじつ)


少し間を置きすぎてしまった。3月末に「相次いだ別れ」を書いたが、それ以降も別れが相次ぐことになった。一緒に沢山のことをやってきた仲間、地区内の田んぼの貸し主のおばあさん、それに近親者、そしてまた地区のおばあさん。みんな大切な人だ。
通夜式や告別式に出席したり、受付をしたり・・・。こんなに別れが続いたことは今迄にないが、田舎と都市部では、随分と式のありようがちがった。地区の方の式では、世帯から少なくとも一人は出席があり、地区外からも知り合い等が参加するため多人数で、受付も地区の班の者が交代で行い、今も地域共同体が生きていた。しかし、都市部の葬儀は、家族葬的で人数が限られていて、受付も近親者。総じて、最近はどうも家族葬的になりつつあるように感じた。
宗派は浄土真宗3と臨済宗1だったが、同じ宗派でもそれぞれ別のお寺だった。何度も式に出席すると「戒名」と「法名」の違いなど覚えて行く。しかし、宗派は同じなのに、焼香の仕方が少し違うこともあった。お茶席での定番の話題は、葬儀にいくらかかるとか、「法名・戒名」はいくらだったとかなど現実的な話も多く、庶民としては、やはり気にかかるところだ。

さて、5月末に縦に虹色の輝きが現れた。写真では左。九州山地に日が沈む前のことだ。「幻日(げんじつ)」というのだそうだ。固く言えば「太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える大気光学現象」ということのようだ。10分間ほどだっただろうか。写真に撮ったのはその最後の頃。そして「幻日」は幻のごとく消え去った。「西方浄土」という言葉もある。それぞれ彼の地にたどりついただろうか・・・。
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