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鬼九 〜鬼塚良昭9人の仲間展〜


「鬼九」(おにく)と名付けられた展示会に出かけた。副題は、“鬼塚良昭9人の仲間展”だ。場所は、宮崎県国富町にある国富町総合文化会館Art Galleryだ。宮崎市と照葉樹林の町・綾町の間にある町である。県道26号線を綾町方面に向うと、高岡町方面へのT字型交差点を過ぎるとすぐに国富町役場を示す交通標識がある。県道から役場側へ入ると、文化会館はすぐ右下。駐車場から急な階段を降りた所が正面玄関。下の方にあるのが、ちょっと不思議な感じ。
 玄関を入るとすぐに、「いらっしゃいませ」と、女性職員の声。右手のテーブルの上には、迎えるように木や石の小品が並んでいた。“手で触って見てください”と、見たことのある筆跡。彫刻家の鬼塚良昭さんの作品だ。木の作品は、触らずとも優しい感じ。手に取ってみると、見かけよりずいぶん軽く気持ちいい。「触る」も五感のひとつだからうれしくなる。
そこから小さな廊下を過ぎれば、9人のメンバーによる展示会場。流れにそって最初に目に飛び込んできたのは、刺々しい小さな作品。こちらは触られるのを拒否している海の生物のようだ。目があるようでもある。近くには置いておきたくない作品だが、妙に気になった。
一通り会場を眺め、中央の立体作品を見ていると、鬼塚さんに野球帽をかぶった大きな青年を紹介された。この人が作家だよと言う。鍾馗様を思わせる風貌のその主は、漆工藝の宮城壮一郎さんだった。会ったことはなかったが、名前と漆碗の作品は知っていて、力量を感じていた。漆との出会いから話して頂いたが、首里城の復元にも関わり、香川県、石川県でも学んだということだった。Galleryの中央、薄い鉄板の上に置かれたふたつの黒茶色の大きな作品は、ある種の緊張感を感じさせた。人工と自然が対置されている空間に置かれていたなら、さらなる緊張感を漂わせていたかもしれない。

宮城さんの作品に限らず、今回の「鬼九」に次の時代を担う若い力をみたのだけは確かだった。惜しむらくは、さらに写真を撮り進めようとした途端バッテリー切れ。ままあるが、残念無念。




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藍絞り


宮崎はもうすぐ田植え、早期水稲だ。県南部ではもう始まっているところもあるようだ。しかし、私が住む宮崎平野中心部は3月下旬がピーク。私も準備で忙しい。その合間をぬって藍染め。天気のいい日をにらみながらだ。藍染めを仕事としていた知り合いが、「人間が気持ちがいいと思う日が、染めにとってもいい。」旨の話をしてくれたことがあった。その知り合いは、道半ばで亡くなったが、多方面でも活躍していて、佐土原を舞台にした戯曲も書いて欲しいと思っていた人だった。惜しい人を亡くした。
さて、染めようと決めたその日は天気抜群。朝から気持ちよく、雲ひとつない快晴。良く染まるはずだ。私の藍染めは、知り合いのようにはいかぬ。本当のところは本藍を建てたいのだが、儲かりもしない仕事や各種ボランティア的活動で、藍に毎日つきあう暇はない。そのため、染料メーカーが開発した藍染料を使って染めている。これはこれで藍の色にも特徴があり、忙しい身にはうれしい。だが最近困っているのが布。麻布に染めたいのだが、ほとんど手に入らなくなった。お金を積めば買えるのだが、値段がこの数年で倍近くにもなってしまった。麻布は元々がそれなりの価格だったのでちょっと手が出せない。写真の布も綿に麻が混じったもので、厚さも“絞り”にちょうどよく、気に入った染め布だったが、今はメーカーカタログにも掲載なし。ということで、今回の染め布は、ずっと以前に下書きの途中で気に入らなくなり、放り出していた布。それを探し出して下書きからやり直して染めた。
違う図柄で3枚ほど染めたが、これはダメだろうと思っていたものの方がうまくいったように思う。現在パネル仕上げにしようか、それとも・・・。迷っている最中だ。いずれにしても、90×90cm・藍絞りに変わりはない。
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さどわら「鬼子母神大祭」


3月4日、近くの「鬼子母神大祭」に出かけた。「鬼子母神大祭」と便宜上書くが、ここの鬼子母神の鬼という字には、上の点はない。家から約2kmのところだ。賑わいを写真におさめておきたくて午後4時頃に車で出かけた。スーパー駐車場の向い側空き地が大祭の臨時駐車場だ。そこに車を止めるとほぼ同時に消防自動車のサイレン。気になりながら車のドアを開けると、大祭から帰り際のおばさま2人が、遠くを指差す。見れば、自宅方向に黒い煙。
ということで、すぐに煙を目指して引き返す事となった。道は少し“くの字”の一本道。途中の集落を過ぎると、煙のたちのぼる先は堤防の向こう側、つまり河川敷。ちょっと安心。堤防にはたくさんの消防自動車と救急車。現場に近づくにつれ、顔見知りの人達が集まり心配顔。消火に邪魔にならないところに車を止め堤防に上がった。見れば、たくさんの消防団が駆け付け、もう鎮火間際。田んぼの畔を焼いていた火が、河畔の竹林に燃え移ったらしかった。しかし、運のいいことに、ちょうどそばの水路に水が流れはじめたばかり。そのため消火活動もスムーズで、竹林の下を焼くボヤ程度で事なきを得た。乾燥時には芝生程度の草でも燃え広がる。一人での野焼きは要注意だ。

ボヤ程度だったのを確認して、改めて鬼子母神大祭へ。臨時駐車場は車でもういっぱい。ちょうど1台ほどの空きスペースが見つかった。隣りは大きな車に家族連れ。すぐそばの出店の前では、もう子どもが何かを欲しがっていた。道路脇には、藍地に「鬼子母尊神」と白く染め抜かれた幟がはためく。そして歩行者天国の参道へ。色とりどりの賑やかな出店が並ぶ。やはり祭りの風景だ。焼きリンゴ、焼きトウモロコシ、焼きそば、金魚すくい、おもちゃ屋さんなどなど。いつもの風景だ。
出店を抜けると鳥居と階段。この付近に、ずっと昔は「見世物小屋」があった。むしろ掛けの小屋には、おどろおどろしいろくろ首やとぐろを巻いた大蛇の大きな看板がかけられていた。ろくろ首も大蛇も、頭は日本髪の女の人。たしかのっぺらぼうもあった。怖いもの見たさに入ってみれば、何のことはない、普通の女の人が扮しているだけだった。それでも恐く、楽しかった。今はその類いがないのがちょっと寂しい。「佐土原」は、かつて歌舞伎芝居が盛んだったところだ。佐土原歌舞伎一座は、県内はもとより、県外へも公演に出かけたほどだ。それを背景に、全国でも指折りの「歌舞伎人形」を生んだ。加えて、あるはずと思っていた佐土原人形や神代ゴマ、うずら車の出店も見かけなかった。佐土原が次代に受け継ぐべき代表的工芸品だが、これらの出店も無かったのはやはり寂しかった。作り手の寄る年波か、はたまたデジタル時代のせいか。かつての賑わいというまでにはいかないが、こどもを連れた若夫婦やおじいちゃんおばあちゃんの姿は、いつもと変わりなかった。子どもは宝。いつまでも変わらないその思いを大祭に感じた。

さどわら鬼子母神








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霧島アートの森「男と女」


「霧島アートの森」に最初に出かけたのはいつだったか。写真データを見返すと、2002年のものがあった。その中の一つが写真の「男と女」という作品。お気に入りの一つだ。
「霧島アートの森」は鹿児島県が芸術交流拠点として霧島の一角に設けた野外美術館だ。もちろん屋内展示もあるが・・・。

霧島は宮崎県と鹿児島県にまたがり、火山活動が生み出した雄大な景観を持つ。東日本大震災直前に噴火した新燃岳のほか、高千穂峰、韓国岳などがある。霧島の言葉には内包しないと思うが、連峰眼下に小林市やえびの市を望む。小林カルデラ、加久藤カルデラと認識しながらみれば、景色はさらに雄大だ。「霧島アートの森」は、霧島の西側に位置する湧水町にある。以前は栗野町だったが、吉松町と合併して湧水町となった。美術館の野外には、国内外の造形作家がつくった作品が自然の中にある。この地を訪れて構想したオリジナル作品だそうだ。そのためか、作品は自然に対立しそうなものは無い。小さな作品だけでなく、赤や黄が使われた大きな作品でも自然に優しい感じがする。
美術館は、鹿児島県が設けたものだが、県の枠を超えて南九州の芸術交流拠点になっていると思う。弁当を持って家族連れで行くのもいい、若いならデートでもいい、歳を重ねた二人でも、一人でもいい、おすすめの美術館だ。美術館入口では、草間彌生氏の「シャングリラの華」が迎えてくれる。

ところで、お気に入りの一つ「男と女」は、館から野外に出た所で迎えてくれる。片方から見れば男、違う方向から見れば女。見上げるほどの大きさだが、威圧感はなく、森と空の中にシルエットとしてある。太陽の光や雲の流れなどで、刻々と変化するが、それがまたいい。作品解説は下記のようにある。

ジョナサン・ボロフスキー(アメリカ生まれ)
スティール鋼
801×394×380cm

人間に求められる優しさ,力強さ,自由へのあこがれなどを,男女が交差する巨大なシルエットに込めています。男のかげが女の体に,女のかげが男の体にうつるとき,一人の男と女の姿がそれぞれ浮かび上がる工夫には驚きます。太陽の光の向きにより,男と女の関係はどのように変化して見えていくのでしょうか。

霧島アートの森
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