日頃感じたこと、思ったこと事などを書きとめておきます。
野のアザミ
東京遊覽乗合自動車遊覽
ムムムッ・・・! 古くから物置にあるタンスを整理していたら、引き出しから古い写真が数十点見つかった。半分は虫食い状態。白い粉をふいたり、黒い点々がついたり・・・。そんな中に、比較的きれいな記念写真がひとつ。表紙は、無地の厚紙にボンネットバスの模様がプレスされた上品なデザイン。下の方に「東京乗合自動車株式會社遊覽課寫眞部」の文字。その上に「東京市・日本橋區・室町」の住所。下には寫眞部専用の電話番号が記されている。
◎いつ頃の写真か
「東京市」は、東京府(現東京都)東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)まで存在していた市のようだから、少なくとも戦前の写真ということになる。「東京乗合自動車」は、「東京市街自動車=認可1919年(大正8)」から「東京乗合自動車」に改称されたのが1922年(大正11)のこと。しかし、これは乗合バス事業のこと。遊覧バス事業の開始は1925年(大正14)末なので、想像するに多分昭和初期の写真のようだ。
表紙をめくると、「東京遊覽乗合自動車遊覽経路圖」だ。現在わが町から東京に行くとすれば、宮崎空港から羽田空港利用が一般的だが、当時だと列車ということになるのだろう。それも蒸気機関車に一昼夜以上揺られて東京駅に着いたのだろう。お上りさんだから乗車したのは東京駅前だろうか。そうだとすれば、地図上のポイントを追えば、「東京駅前→三越→被服廠跡→浅草公園→上野本社→上野駅→(日本橋)→(銀座)→新橋駅前→桜田門→宮城(皇居)→馬場先→靖国神社→神宮外苑→明治神宮→乃木邸跡→泉岳寺→愛宕山放送局→日比谷公園→東京駅前」というコースだ。
次をめくると「東京名所」15点の写真のページ。内2点はバスの外観と内部の写真。バスは30人乗り、「最新型展望式遊覽自動車」と説明がある。印象的なのは、明治神宮や靖国神社の樹木がまだ植えたばかりのようなことと、日本橋の頭上を走る首都高がないこと。靖国神社の鳥居周辺の樹木は、まだ幼木という感じだ。
かつて、わが町には「西の松尾芭蕉」とも称された旅の先駆者がいた。山伏が見た江戸期庶民のくらしということで知られる野田泉光院だ。モダンアートの騎手・瑛九の祖先にも当たる人だが、その旅日記では、全国各地で何回か同郷の人に出会っている。泉光院の当時は徒歩だ。それに比べれば、東京はとても近くなったのだろうが、それでも「東京遊覽乗合自動車遊覽」は、一生一度の大旅行だったに違いない。
次のページが記念写真だ。二重橋前での記念写真だ。半透明のグラシン紙がかけてあったため、痛みは少ない。向って右端にガイドと思われる洋装姿の女性。あとは2列目左端の男性と3列目の若い男性を除けば、皆和装。洋装の男性は遊覧自動車会社関係の人と思われる。わが家のご先祖様が写っているのかもしれないが、誰それに似ているという顔も見当たらず、何度見ても誰が誰だかちっとも分からない。このまま捨てようとも思ったが、地域には100歳近くになるおばさま達が健在だ。まずはデジタル化しておくことにして、今度、皆さんに尋ねてみることにした。それにしても、この写真が昭和初期のものだとすれば、ついこの前までは、このような服装で旅行に出かけていたのだと思うと、時代の移り変わりの早さに驚く。現代は、あまりに急ぎ過ぎなのではないだろうか。これから100年後、どうなっているのか?
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日本在来の大きな蛾「ヤママユ」
2019-09-12 / 自然
ギャラリーのサルスベリに大きな蛾がいるというので、飛び出した。4枚の大きな翅に1個づつ丸い目玉模様。大きい、翅を広げた大きさは15cmから16cmもある。スズメガの一種かと思ったが、調べればヤママユ。名前についているマユから連想すれば、この蛾の正体がよくわかる。
ヤママユガとも言うようだ。漢字で書けば山繭蛾。日本在来の代表的な「野蚕」なのだそうだ。野蚕、つまり野の蚕。その成虫だ。幼虫は、クヌギやクリなどブナ科の葉っぱを食べるのだそうだ。それで合点がいく。ギャラリーの周りに大きくなりすぎたブナ科のコナラが2本ある。幼虫は緑色。脱皮をくり返し、やがて繭をつくり、その繭から天然の絹糸が取れるそうだ。それゆえヤママユだ。ただ、幼虫も繭も見たことはない。
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小さな助っ人コハナグモ
この1ヵ月、ほとんど雨が降らなかった日はない。時たまザーッと俄雨みたいに降る。植物にとってはありがたいようで、畑の黒豆の葉っぱもグングン伸びた。ある日、その葉っぱにコガネムシとイモムシがついた。葉っぱのあちこちにギザギザの穴。正月用にと思い植えた黒豆なので、数は知れている。そのため側をとおるたびに手で摘まみ上げて駆除していたが、葉っぱの上に助っ人が潜んでいた。透きとおったような緑色のクモが、小さなイモムシを捕まえていたのだ。
このクモ、カニグモ科のコハナグモのようだ。網は張らず、葉っぱの上や裏のほか花の中などにひそみ、飛んできた昆虫等を補食するようだ。カニグモ科の名前は、前の2対の足が長く大きく発達し、それを抱え込むような姿がカニにみえることから名付けられたみたいだ。もっと助っ人が増えて欲しいところだが、今のところ2匹。
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第2回 枕崎国際芸術賞展
9月に入ると1mほどにも伸びた畑や土手の草刈り、はたまた秋野菜の準備などで忙しい。そんな中、ぽかんと1日空いた。ということで、日帰りで行けそうなところを探した。
その結果が枕崎だ。「鹿児島 現代美術」で検索した結果、「第2回 枕崎国際芸術賞展」がヒット。枕崎と言えば薩摩半島南端の町だ。一度訪れたことはあるが、「鰹節、枕崎台風」が思い浮かぶくらいで記憶には乏しい。だが、空いた貴重な1日、とにかく行ってみることにした。
急いで出かける準備を済ませ、東九州自動車道のインターへ。10時近くだ。東九州道は片側1車線。対向車線との間は、この前までポールで仕切られていただけだったが、事故が相続いだ。そのため部分的にワイヤロープで仕切られていた。これだけでも安心感は増したが、やはり片側1車線は狭く走りにくい。分かりにくい宮崎自動車道との合流地点を過ぎれば、あとは鹿児島まで2車線で楽々。途中、桜島サービスエリアで休憩。ここで、鹿児島から先の走り方を情報センターの女性に尋ねた。これが大正解。カラー印刷された地図に掲載されてなかったのか、コピーされた2、3種類の地図で新しい南薩摩縦貫道を教えてくれた。「鹿児島おごじょ」親切なりだ。
南薩摩縦貫道は快適だった。知覧付近では茶畑がずらり。その茶畑には何本もの防霜ファンがくるくる。冬場に地面の温度が下がると霜が降りる。霜は茶葉を痛めるので、ファンを回して高い温度の空気を送り霜を防ぐのだそうだ。だが、くるくる空回りしているファンをみると、発電に利用できないものかと、つい思ってしまう。
風光明媚な茶畑群を過ぎれば、すぐに目指す枕崎。だが、ここで迷った。ナビでは、会場の「枕崎市文化資料センター南溟館」はすぐ近くなのに、あっちに行ったり元の所にまた出たり。最後はナビを無視して、目検討で小高い場所を目指すと、無事到着。12時はとっくに過ぎていたため、まずは腹ごしらえに駐車場脇の展望所へ。ここがよかった。眼下には枕崎市の街並み。その向こうは太平洋だ。風は海から街を抜けて展望所へ吹き上がり、平屋根がつくる日陰とともに体に気持ち良かった。持参してきた弁当もぺろり。
前庭と玄関へ続く道に常設展示の野外作品
さてここからが本題。枕崎市で、このような展示会が開催されていることは、まるで知らなかった。第2回である。聞けば1回目は3年前。ということは、トリエンナーレということか。会場の建物は木造平屋で、メインの部屋は半円形。前庭と入口へ続く脇には、現代的野外彫刻作品が常設してあり、何となく展示会が目指している方向がわかった。
会場は土足禁止のため、まずスリッパに履き替え受付へ。会期:7月21日から9月16日。大人1,000円、高校・大学生800円、中学生以下無料。JAF割引など尋ねたが無し。ということで1,000円支払い最初の部屋へ。壁面には、大きくはないが、様々な平面作品が並び、中央に立体作品が展示してあった。奥の半円形の部屋には審査員の作品を中心に平面作品。そこを出ると、エントランスホール的広い空間。ここには壁面に平面作品。窓側に立体作品が展示してあった。
審査員は保科豊巳氏、千住博氏、曲徳益氏の3氏。保科さんの「黒い光」は、和紙(キャンバスかも)に墨がしみ広がり、その上の金も墨ににじみ、小さな宇宙の感じ。計算しつくせない自然のにじみが組織化されていた。千住さんの「断崖図」は、抽象山水画的で、幽玄で奥深く、日本的美ここにありという感じ。曲徳益さんの「Juxtaposition J 1901」は絵の具を直接キャンバスに置き、ヘラで広げたような現代的作品。アクションに意味を持たせた作品なのだろうか。尚、3氏の作品は、造形作家カネコマスヲのブログに掲載されている。
2017/APR/20 11:59、453 W Broadway New York NY 10012、USA、13°Cloud
I'm here./3 I'm here./6
記憶の器 Ⅰ
審査員の作品は別として、展示作品で記憶に残った作品が何点かあった。
第1に「2017/APR/20 11:59、453 W Broadway New York NY 10012、USA、13°Cloud」という、やたら長い題名の作品。表現しないことを目的につくった結果、水たまりの水をひろってそのまま紙に定着させる方法に行き着いたのだそうだ。発想からして自由だ。何事も数値化される現代にあって、その元となるありのままの世界。ありのままを数値化せずに、そのままに写し取ることに成功していた。このことに、惜しまず拍手を贈りたい。ありのままは奥深い。
2つ目は「I'm here./3 I'm here./6 」という2つの作品。特に前者。根っこには土が着いている様まで表現されていて、まるで植物標本のようだ。しかし、植物標本の無味乾燥さとは違い、植物の営み・記憶が焼き付けられ、植物自身が「私はこう生きてきた」と主張しているように感じた。作者は、「レイヤー板における技法上のわずかばかりの複雑さを内包しつつも、その複雑さという混沌に秩序を与え、選択肢を限定し、こうでなければならないと思われるシンプルな表現を試みています。」と述べている。結構、ミリ単位で計算し尽くされた作品なのだろう。
立体作品で、記憶にとどめたのは「記憶の器 Ⅰ」という作品。ペーパークラフトのカニを記憶装置のチップとして組み合わせ、複雑な美的表現の深まりを作り出そうとしたそうだ。複雑な美的表現の深まりの表現に行き着いているかどうかは別として、肌感覚的にはカサカサと乾燥した感じを受けた。火葬された人骨から受ける感覚と同質のものを感じさせたので、生命の記憶みたいなものが表現できれば、新たな境地へ飛躍するかも・・・。
他にも見所のある作品が多かったが、子供たちが団体で入ってきたところを見計らい観覧を終えた。しかし、この子供たち、思わぬプレゼントを残してくれていた。出口に並び揃えられた子供たちの運動靴が、まるで美術作品そのもの。ということで写真にパチり。名残惜しさを残して会場を出ると、ギラギラした真夏の太陽。そして、どこからともなく鰹節を蒸すにおい。枕崎はやっぱり鰹節の里・枕崎だった。
子供たちの靴
美しい開聞岳
帰りは開聞岳入口を経て池田湖方面へ。遠くから眺める開聞岳はなだらかで女性的であり、特に浜辺とともに望む姿はとても美しかった。開聞岳をあとにして池田湖方面へ向うと、左手に阿多カルデラの大きな西壁が現れ興味津々。指宿地方は火山のオンパレードなのでゆっくり観察したいところだが、これは別の機会に譲ることにして、池田湖到着。シンボルのイッシー像とオオウナギを見納めにして、枕崎行きを終えた。
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