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修復が進む熊本城

市役所14階から



石垣が崩れている馬具櫓


8月初旬熊本城に立ち寄った。熊本城の地震被害と修復状況をこの目で見ておきたかったのが主目的。連日37〜38度という暑さ。
熊本城へは、以前も出かけているので、おおよそのことは頭に入れていたが、今回は定番の周遊コースをまわってみた。最初は、市役所14階だ。ここから見る熊本城はまるで箱庭だ。天守閣付近に2基のクレーンがカニのはさみのように伸びていたが、樹木が多いせいか緑が美しく、一見のどかに見えた。しかし、歩いてみるとやはり地震の傷跡は大きかった。

市役所からの眺めに続いて、坪井川沿いの遊歩道へ。市役所玄関から道路を挟んですぐ目の前だ。どっしりとした国の重要文化財「長塀」が見えるはずだったが、工事中。一部倒壊したため、10月公開に向けて急ピッチで工事が進められているのだ。長塀先の馬具櫓では、石垣が崩壊したままの姿。やっぱりと思いながら、行幸橋たもとの加藤清正像に立ち寄ったあと城内へ。お土産屋さん等が集まる城彩苑は、少し覗いただけで周遊路を急いだが、階段もある上り坂。まだ先は長いのに折からの暑さのため、汗が吹き出る始末。登りきった二の丸駐車場脇にお休み処を見つけてちょっと一休み。ここで吹き出る汗を抑えて再び周遊路へ。みなさん同様だ。西大手門付近も石垣が崩壊。そして、駐車場脇の広場から東を望めば、手前の崩壊した塀の向こうに天守閣。修復中とはいえ、やはり天守閣は熊本のシンボルだ。それを背景に複数の観光客が写真を撮り合っていた。


西大手門付近


石垣一本柱で踏ん張る戌亥櫓


加藤神社から望む天守閣


北西角の戌亥櫓(いぬいやぐら)付近まで来ると団体客が急に増えた。戌亥櫓付近は、まだ手がつけられていないため、地震の被害が分かりやすい。石垣一本柱で有名になった飯田丸五階櫓(見学不可)と同じように、戌亥櫓は負けじと石垣一本柱で踏ん張っていた。この付近の石垣崩壊はひどく、斜面下にまで大きな石が散乱していた。強い地震が起きた時間が、人がいない時間帯だったので本当によかったなどと思いながら、天守閣を仰ぎ望める加藤神社へ。天守閣がぐっと近くに見える。そのため、一番のビューポイントでは、観光客の長い列。列が途切れたところで私もじっくり眺めた。いつもなら加藤神社の次はいよいよ本丸御殿や天守閣へと足をのばせるのだが、加藤神社から先は残念ながら工事中で立ち入り禁止。熊本地震の大きさや被害の大きさ、また大変な修復作業を思いながら、工芸館や美術館別館前、厩橋方面へと下り定番コースを終えた。

急ぎ足で熊本城をたずねたが、改めて熊本在住の友人らの顔を思い浮かべた。地震は起こらないと言われた熊本なのに、2度の震度7の地震など強い地震が何回も続いた。本当に怖かったことだろうと思う。
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市房杉エコウォーク




今年の梅雨は当初晴れ続きで空梅雨かと思わせたが、中盤以降は雨また雨。それも九州を中心にどしゃ降り。各地で避難準備情報や避難勧告、所によっては避難指示(緊急)さえ出るほどの状況。いつもならとっくに梅雨もあけて天気も安定しているはずなのに、梅雨明けは大幅遅れ。
そんな中の7月22日、友人らと市房杉を見に出かけた。20日には五島や対馬に線状降水帯発生で大雨特別警報が出たばかりで、その後も九州には同じような状態が続いていた。21日夜の予報では市房山周辺に線上に降雨帯があり、延期すべきとも考えたが、当日の10時頃には雨があがる気配・・・。
ということで、小雨決行。連絡をとりあい宮崎市から西都市を経て、西米良村経由で集合場所の市房山キャンプ場へ向った。約2時間弱で到着する予定だったが、コンビニに寄ったり防災工事の交通規制にあったりして15分ほどの到着遅れ。人吉経由で早めに着いていた友人は、途中大雨に会い、前も見えないほどだった様子。こちらは西米良村手前で雨にあったがそれほどでもなかった。ほどなくもう一人も人吉経由で遅れて到着。人吉から水上村までが思ったより時間がかかったようだ。
天気は大雨があがったばかり。よかった!読み通りだ。参加者が出揃い、登山靴に履き替えるなどしていざ出発。目指すは市房山神宮参道に林立する市房杉。樹齢800年から1000年という杉の大木だ。キャンプ場から登山道入口に行くと、道路横にプレハブと1台の軽トラック。すぐに男性が出てきて、何やら話しかけてきた。聞くうち、希少動植物保護活動の方たちと分かった。こちらも自然保護に熱心な者ばかりなので、話は早かった。ここには絶滅危惧IA類 (CR)、国の天然記念物指定のゴイシツバメシジミがいるのだ。翅に碁石模様が入った小さなチョウだ。大雨が降ったばかりなので、見れないだろうということで、写真をみせていただくことになった。但しデジカメモニター。それをデジカメでパチり。そのため当然画質は悪い。


ゴイシツバメシジミ


アスナロも大きい

そうして、登山口の鳥居をくぐり、いざ出発。大雨の直後なので、歩きにくいのではないかと覚悟していたが、別に変わらず暑さもほどほど。登山道を登り始めるとすぐに幹が黒っぽい大きな木が現れた。アスナロだ。漢字で書けば「翌檜」。本州、四国及び九州に分布する日本固有の常緑針葉樹だ。名称の由来はヒノキに似ているので、「明日(はヒノキに)なろ(う)の意味」と言われているが、これは俗説との見方も。文学作品ではヒノキになりたくても決してなれない哀れな木として扱われることも。ヒノキより葉っぱが大きく、葉の裏が白っぽいのですぐ見分けはつく。登山道のあちこちでアスナロを見かけることになった。
さて、20分も歩かないうちに、最初の大杉が現れた。幹回り7m前後か。特に名前は付いていなくて、「市房杉」と書いた木札があるだけだが、やはり感動。以後、次々に大杉に出会うことになった。その中で特に特徴のあるものには、双子杉や平安杉、千手観音杉、新夫婦杉などと名前が付けられている。名前の由来等は以下のようだ。


双子杉(幹周り 8.06m)

幹回り8mを超える市房山最大の杉。幹の途中から二股に分かれているため命名された。二股に分かれた幹が協力して、一本の木を力強く支えている様は、団結力、協調性を連想させるとか。


平安杉(幹周り 8.02m)

市房杉を代表する杉として、市房山神宮の建立年(807年)が平安時代であったことから命名された。
幹が途中で分岐せず美しい樹形が保たれている杉としては、市房山で幹回りが最大の杉だ。


千手観音杉

八丁坂を登りきった石段から振り返ると見える杉で、左右に伸びた枝が、千手観音を思わせることから命名されたと言われるが、10年前より痛んでいる感じ。


新夫婦杉

地元では「お嶽さん」と親しまれ、古くから縁結びの神として知られる市房山神宮。その市房山神宮の象徴として大切にされてきた夫婦杉は平成5年の台風で倒壊、その後継として命名されたのが新夫婦杉。初代夫婦杉と同じく良縁・夫婦円満と言った縁結びとしてはもちろん、子宝に恵まれるともされている。

ゆっくりゆっくり八丁坂を登りきり、もうすぐ市房神社に着く頃だったか、先頭を歩いていた友人が、立ち止まって先の方をしきりに気にしている。その先方を木立ごしに見ると、何やら動いている。「写真!、写真!」と思っているうちに左手の森へと消えた。束の間だったが、目に焼き付いたのは、コシジロヤマドリ。キジに似ているが、キジとは違い赤っぽく尾は長い。わが宮崎県の「県の鳥」だ。夢ではなく現実。うれしい出会いだった。
そしてまもなく終点の市房神社。すぐ手前の参道では、大雨の後ゆえか水が小さな滝となって流れ落ちていたが、参加者みな余力を残して到着。あとは楽しいお昼ご飯となった。その前に、今年亡くなった仲間に「来たよ!」と黙して報告。存命であれば、本当はこの日も一緒だったはず。その仲間と私が下見でここに訪れていたのは、2008年12月のこと。市房山の頂上付近は雪を頂いていた。それから約10年半、やっと実現した市房杉エコウォークだった。ご冥福を祈る。







下りは滑ることを用心し、林道を選択。林道へ出る間際までは山道。あとは、舗装された林道をすたこらさっさでキャンプ場の駐車場着。解散した後は、来た者同士で帰路となったが、私のグループは西米良でちょっと寄り道。気になっていたシェブロン褶曲を見たかった。西米良役場交差点から椎葉方面へ。竹原トンネルを抜けるとすぐのところの対岸だ。上部は草木に被われてきれいに見えなかったが、川面の上にはしっかりと見えた。草木を取り払えば西米良の名所になるはずだが・・・。
ただ、この寄り道がいけなかった。西都への国道は度々崖崩れが起きて、通行不能や時間規制となる。行きは短時間の通行規制だったが、確認を怠っていたため、帰りに1時間余りの規制にかかってしまった。崖崩れ予防ネットの工事だ。高い崖の上では何人もの人が金属のネットを留めていた。この1時間、長そうで、そうも感じなかったのは作業に見とれていたせいか・・・。寄り道も、案外よかったのかもしれない。
※帰宅後、ゴイシツバメシジミを調べたら、「宮崎県版レッドデータブック」にも小林市に生息、宮崎県カテゴリーでも絶滅危惧IA類 (CR-r)に区分、須木村では絶滅した可能性が高いとあった。


川面の上のシェブロン褶曲
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ウィリアム・モリス展


現代はものにあふれている。100円ショップに行けば大概のものは手に入る。これでもかこれでもかというように、ものが増え続けている。そしてゴミも・・・。それも、人類史を超える寿命を持つ核のゴミまで・・・。

名前にひかれて「ウィリアム・モリス展」へ出かけた。宮崎県立美術館だ。ウィリアム・モリスという名前は、「アーツ・アンド・クラフツ運動」という言葉とともによく知っていたが、実際に作品を見るのは初めて。
18世紀後半にイギリスから始まった産業革命の結果、社会には工場で大量生産されたものがたくさん出回るようになった。そのため職人は職を失い、手仕事の美しさも失われていった。それではダメだとして、アーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動)の中心にいたのがモリスだった。そのため、「モダンデザインの父」と呼ばれる。日本の時代で言えば、おおよそ幕末から明治の初め頃に活躍した人だ。

展示作品を見ながら、浮世絵を思い浮かべることとなった。同時代に制作された椅子やランプの作品もあったが、見入ったのは壁紙。あしらわれていたのは、イギリスの自然の植物や鳥だ。唐草模様的に図案化された植物を下地に、くり返し配置された鳥の壁紙の他、柳がデザイン化された壁紙など。中でも柳の壁紙は、ゆるやかに曲線を描く茶の茎と、細長い葉っぱの濃淡の緑が流麗で美しかった。そして、それらの壁紙の刷りが素晴らしいのだ。紙に木版の色刷りだ。浮世絵の他にもこんなにすごい刷り物があったのだと思った。壁紙だから浮世絵よりずっと大きい。それらは競って買い求められたという。
浮世絵は版元があり、絵師が居て、彫り師が居て、刷り師が居て成立した。壁紙も同じだ。製造元があり、デザイナーがいて、彫り師や刷り師がいた。製造元の名には、モリス商会などが読み取れた。デジタル社会になり、職人の仕事ですら数値化される現代だが、人間の手が生み出すものは、どこか柔らかさや優しさがある。失ってはいけない世界だ。
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東洋のナイアガラ「曽木の滝」


東洋のナイアガラとのフレーズだが、滝そのものをナイアガラと比べるとちょっとかわいそう。でもこの眺めはやはりいい。
ナイアガラと比較するなら、その基盤岩の方がスケールが大きい。約34万年前に破局噴火を起こした加久藤カルデラ火砕流の溶結凝灰岩でできている。巨大噴火の火砕流は谷を埋め、自身の熱と重量で溶融し圧縮して巨大な岩となり、やがて滝をつくった。曽木の滝は、加久藤カルデラからはちょうど西の方角だ。巨大噴火を想像しながらこの滝を望むと、スケールはナイアガラを数段しのぐかもしれない。

「霧島アートの森」に出かけたついでに、「曽木の滝」へと足をのばした。宮崎県平野部は台風の影響で曇りなのに、鹿児島県側は晴れ。夏の暑い日差しがあった。お盆休みのためか駐車場はいっぱい。でも、運良く空きスペースが見つかりセーフ。お土産店の前はどこもソフトクリーム等を求める客の列。腹ごしらえが先と店に入ったが、店前の客への対応などで、店員さんはてんやわんやの状況。待つこと約30分。どうにか腹ごしらえをして、ドウドウと水が流れ落ちる滝の方へ。近づくにつれ轟く音は次第に大きくなる。暑い夏こそ「曽木の滝」だ。この滝は古くは、秀吉も訪れたという。それとは別に、柳原白蓮の歌碑がここにはある。近くに白蓮の写真が掲載された説明板もあるのですぐわかる。


柳原白蓮


もののふの 昔がたりを曽木の滝
水のしぶきに ぬれつつぞ聞く


白蓮は「大正三美人」の一人だ。NHKテレビ小説「花子とアン」(2014年)で、仲間由紀恵が演じた葉山蓮子のモデルでもある。九州の炭坑王・伊藤伝右衛門との結婚の後、編集者で随分と年下の東京帝大生・宮崎龍介と駆け落ち。夫に公開絶縁状を出した後、宮崎と結婚。後に平和運動にも力を注いだ。「もののふの・・・」は、昭和32年に滝を訪れ、その時に詠んだ歌のようだ。
「水のしぶきに ぬれつつぞ聞く」とあるから、当時は、今のように整備されていなくて、流れの近くまで行けたのかもしれない。しかし今でも、右岸にある発電所への水の引き込み口付近に行くと、流れや轟音は迫力が増す。
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青木野枝 『霧と山』展 




青木野枝さんの作品が見たくて、「霧島アートの森」へ出かけた。青木さんの作品は宮崎県立美術館にも1点だけ展示されている。フラフープみたいな大小の丸い輪が幾つか組み合わさった大きな作品だ。丸い輪は一見すると、丸い棒のように見えるが、よく見ると鉄板が円形に溶断されたものだ。溶断後、丸い輪をひとつひとつ溶接して作品としている。鉄なのに、鉄が持つ重量感を感じさせず、滝をはじける水玉のような瑞々しさを感じさせてくれる。

今回は、会場が霧島の一角にあるだけに、「霧」と「山」がテーマの作品だ。展示会場に入ると丸い輪が組み合わされた円錐状の作品がすぐに目に入った。鉄板を円形に溶断された輪がたくさん溶接され、円錐状の山となっている。ところどころの輪には、ガラスがはめ込まれている。その作品をはさんで、背が高く厳粛で宗教的な感じの作品。上方から霧か滝をイメージしたのだろうか長い水色の波板が下げられていた。今まで感じたことがない宗教的な感じは、高さのせいかもしれない。私の感覚からすると、長い水色の波板より、薄い水色の布を垂らした方が鉄と相性がいいような気がした。とは言え、やはり都会的で女性的な感覚は感じていた。この感覚故か、青木さんを40歳前後の女性と勝手に想像していた。プロフィールをじっくり眺めてびっくり、私の想像は大きく外れていた・・・。
部屋を出ると、鉄とはうってかわった作品。石膏、麻布、新聞紙、鉄を使った山のような白い塊の作品が置かれていた。白い山、あるいは白く丸い岩のように見えたが、作品名は「曇天」。作品名にはなじめなかったが、作品の肌触り感はとてもよかった。多分、「自然」が持つ空気感が漂っているのかもしれない。

どの作品も触れたりすることは禁止だったが、写真はOK。作品数は思っていたより少なかったが、青木さんの感覚に触れて出かけた甲斐はあった。








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昆虫観察会


毎年恒例になっている生き物観察会。今年の観察の対象は昆虫。場所は、前日の打合せで、集落内の神社境内ということになった。決定理由は、落ち葉があることと、カブトムシやクワガタなどの甲虫が好む木があることだった。
境内は地区で掃除を済ませたばかりだったが、台風8号の直撃を受けて枝葉が散乱。枝葉とはいっても、腕より太い枝等も散乱。当日、観察できるように片付けて、どうにか時間通り朝10時開始。
まずは講師の話。それがとても大きな話。「地球の生き物の4分の3は虫、地球は虫の惑星、虫がいないと人間は生きていけない---。」等々。人間が生きる上で植物の受粉など随分お世話になっているわけだ。

さて本題の昆虫観察。はじめに、掃き溜めの葉っぱ等をブルーシートの上に移して生き物観察。日頃あまり見ない小さな虫がいっぱい。それらにまじって、クモやミミズ、それにコガネムシの幼虫も。みんな葉っぱを土に還している虫たちだ。1cmの土をつくるのに100年かかるそうだ。虫たちがいなければ、田んぼも畑もできないというわけだ。
その次は、子ども達が大好きなセミやトンボ採り。小さなアミや大きなアミで追いかけ回し始めた。アブラゼミやシオカラトンボ、ウスバキトンボ、ミヤマアカネなど採取したが、クマゼミには逃げられてばかり。参加の子ども達は、虫大好きという子から全く苦手という子までいたが、終わる頃には、苦手な子もトンボやセミは採れるようになっていた。これだけでも大収穫だ。
境内には、スギやクスノキにまじって大きなハルニレがある。神社そのものは、堤防ができるため、昭和9年頃に河川敷にあったもの現在地へ引いてきたというから、どの木も樹齢約90年ほどなのだろう。実はそのハルニレに甲虫が来るのだそうだ。講師曰く、「クワガタを探すならクヌギと言われるが、これは関東以北の話で、宮崎県では、よく知っている専門家等は、元々からあるハルニレを探す・・・。」と。最後に、講師は自らハゼノキの枝を片手に、触ったりするとかぶれると観察上での注意。

そういえば、まっすぐに伸びた若いハゼノキで木刀をつくり、翌日から顔も手も真っ赤に腫らし、油揚げを塗って過ごしたことを思い出した。一日がとっても長かった子どもの頃の思い出だ。
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