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正月の散歩


元旦は雲ひとつない快晴だったので、我が家から海岸まで歩いてみることにした。約4km強といったところだ。いつもは車だから、海岸まで歩くのは子どもの頃以来。歩けばいつもとは違う風景に出会うはずだ。
1kmと少し歩いたところで10号線。その下をくぐり、歩を進めると日豊本線の下。本線を支える道両側の法面は、四角に成型された石積みで、時代を感じさせる。そこを過ぎれたところで堤防へ上がった。100mも歩けば、支流が合流する水門が目の前だが、手前に整備の行き届いた小さな公園があった。堤防上は、サイクリング道路も併設されているので、多分、休憩場所としてつくられているようにみえた。ちょうど靴ヒモが緩んだのでここでしっかり締め直した。ここまでは、いつもの風景と大差なし。ただ、堤防の下にある建物が排水機場であることを初めて知った。大雨時には、わが集落からも係が出かける所だ。いつもわが集落の係が中心になり、大きな排水機を動かすようだ。排水機が動かないと、支流側の集落や田畑は大きな被害を受けることになるため、各集落からの係は重要な任務を担っているのだ。

さて、水門を過ぎれば、かつては旧10号線が通り、ぎやかだった集落。夏には氷やトコロテンに人が集うお店や自転車屋さんなど沢山のお店が並んでいたが、今は釣具屋と自販機が目につく程度という静かさ。川には旧10号線のなごりの橋脚がポツンと寂し気だ。集落を横目に数百m歩くと、堤防のかさ上げ工事が進む所に出た。歩き始めて2kmほどの所だ。それまで竹やぶに遮られていた本流側の視界は、ぐっと広がった感じだ。堤防の幅は倍ほどに広がっている。下流域の景観は広々してなかなかのものだ。川の流れに乗って移動しているカモの群れが、のどかさを倍加させている。カモの群れは陽が沈むと我先に田んぼにやってくるのだが、昼間は池や川でゆっくり休んでいるのだろう。

3kmを過ぎ、どうにか河口近くにやってきた。ここには入江が浜に沿って長く伸び、野鳥のサンクチュアリーになっている。全国でも珍しいクロツラヘラサギもやって来る。ひょっとしたら観察できるかもしれないと、目を凝らしてみたが近くにはおらず、入江の奥の方にいるようだった。その途中では、カモの群れが岸辺で羽繕いの真っ最中のようだ。帰りにその方向を目指すことにして、散歩の折り返し点の海辺へ。我が家から4km強だ。かつては雄大な砂浜が続いていた。幅は100mほどもあり、砂浜を横切るには、足の裏が焼けそうなほどだった。しかし、今は全国の砂浜同様海岸侵食に悩まされ、幅はぐっと狭くなった。ひどい頃は砂浜なくなり、松林のそばまで波が押し寄せていた。しかし、養浜や巨大サンドパック工法といった対症療法で、どうにか数十m幅を維持し、アカウミガメの産卵などに対応している。
この日の波は大きく、サーフィンには絶好とも見えたが、元旦のためかサーファーの車は数台。これから海に入る相談をしているようだった。太陽の光を浴びて銀色に輝く太平洋は、厳かに美しかった。





目的地に着いたあとは、違う道を通っての帰路だ。せっかくなので、クロツラヘラサギがいる所を通って帰ることにした。入江は道路側にびっしりと竹が生えているため、野鳥にとっては絶好の休息地だ。観察するにしても、竹やぶの切れ目からそっと見るだけだ。ただ、その手前のカモの群れが休息している所だけは竹がなく、羽繕いしていたカモの群れは、私の足音を感じたのかいそいそと岸辺を離れていった。その近くには、水面から突き出た棒の上で、カワウが一羽、獲物を狙う目で睨みをきかせていた。困ったことに、カワウがここ数年とても増え、朝夕は編隊を組んで集団移動するのをよく見かけるようになった。カワウは大食漢なので、増えすぎると魚が減り、生態系のバランスは崩れる。そこを過ぎれば、クロツラへラサギだ。竹やぶの隙間からそっと覗くと、特徴的な黒い嘴がかすかに見えた。ところが、そこを過ぎて小さな橋に出た所で、ヘラサギは私の姿を認めたのか、これまたいそいそと入江の中程にあるヨシの茂みへ、姿を隠してしまった。残念無念、双眼鏡を持ってきていなかった。自然観察では、「そっと観察」が一番大切だ。ということで、後ろ髪を引かれながら帰路の道へ。





入江を離れると、たくさんのソーラーパネルを見かけるようになった。50kWずつくぎったものも見受けられ、太陽光発電団地そのものだ。以前はウナギ養殖が盛んに行われていた所だ。しかし、だんだんウナギ養殖も右肩下がりになり、多くが太陽光発電用地へと変貌していた。その多くは県外資本なのか、知らない社名が多数あった。太陽の光という地域資源を活用して地域にお金を回すというより、大半のお金は県外へ流出しているのが実状かもしれない。

ソラーパネルの一群を過ぎると、あとは田んぼの一本道。そう思ったのだが、旧10号線が通っていた集落の手前で行き止まり。ちょっと困ったが、少し引き返し別の道へ。ここで「犬も歩けば棒にあたる」の事のごとく、電柱にとまっているミサゴを見つけた。向こうも私を見つけたらしく、しばし睨み合いが続いたが、ミサゴが根負けして電柱を飛び立った。よく見ればそ、のミサゴの足もとには銀色に光る魚。河川敷の方へ飛び去ったが、その方向には別のミサゴも飛び回っていた。奪われるのを恐れたのか、再び元の電柱へと帰ってきた。あまり見つめると、せっかくのごちそうも台無しになりそうなので、ミサゴには静かにサヨナラした。

旧10号線集落で賑わっていた三叉路には、今も石の道標が立っている。結構な大きさだ。宮崎、高鍋、佐土原、高岡、都城、美々津、延岡などの地名が刻まれている。交通の要所だったという証明のようでもある。バスも通っていた。バスに乗って通った記憶が微かにあるので、かつてのバス通りへと歩を進めた。両側はこぎれいな住宅地になっていたが、とても狭く、こんな所をバスが通っていたのかと思うほどだった。道路幅から考えれば、かつてのバスは、今のコミュニティバスほどの大きさだったようだ。そこを過ぎれば、我が家まで約1.5km。日豊本線下や10号線下をくぐり、昼食の待つ我が家へと帰り着いた。これで約10km強。天気快晴で暖かく、元旦からいい運動だった。
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ギャラリー閉店、そして新年




主宰していたギャラリーを昨年いっぱいで閉めた。17年間のギャラリー活動だったが、ギャラリー上棟時の「せんぐまき(餅まき)」のことがついこの前のようだ。月日が過ぎるのは早いということか。ほとんど地域活性を兼ねたボランティア感覚の運営だったので、金銭的利益はほとんどなかったが、世間的にはうらやましがられていたようだ。表面的には楽そうで良さそうに見えていたのかもしれない。金銭的には無理があったが、人や作品との出会いは財産として残った。得たものは多い。
ということで、正月を過ぎても後片付けに追われる毎日だ。片付けても片付けても、後から後からゴミと不要品が顔を出す。私の所だけでこの始末だから、人類全体ではどうなることか。産業革命以降の人類のエネルギー消費は右肩上がりだ。中でも最近は、エネルギー消費もゴミも急カーブで上昇している。このままでは、近いうちに人類はゴミに埋もれて死ぬということか。

年明けは例年のごとく地区にある神社での新年祭から始まった。まだ夜も明けぬ内から神社へと急いだ。家並み越しに時々見える東の空は、全く雲がなくかつてない美しさ。若い夫婦の足音を後ろに聞きながら鳥居をくぐると、たき火のまわりは既に地区の人がいっぱい。たき火の材料は、昨年の台風で落ちた枝木や、境内周囲の梅の剪定枝木がたくさんで、材料に困ることはない。
それぞれに新年のあいさつの後、皆たき火から拝殿へ移動。神職は、親の後を引き継ぎ、今年で2回目の新年祭。そのためか仕草も祝詞も先代とは違うように感じる。時折裾踏む仕草は練れぬためだったのだろうが、それもまた良しだ。その後の地区役員の拝礼も新人が数人。慣れぬ手付きでパチパチ。どうにか拝礼が終わり、祭典無事終了。
祭典が終わると、皆が目指すのはたき火のまわりだ。そこで炙ったシシャモやイカを片手に、お酒を回しながらしばし談笑。いつもは焼酎ばかりなのに、この日だけは日本酒が振る舞われた。それも金粉が入ったものだ。そうこうしているうちに、太陽は地平線からすっかり顔を出し、みんなの顔をぴかぴかに照らし出していた。こうして、例年にも増して素晴らしい初日の中で新しい年を迎えた。良き年でありたい。
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