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アブラゼミはアブラゼミ


今年も小中学校が夏休みになった途端、セミの声がうるさくなった。本当に夏休みを待っていたかのようなのだ。一番うるさいのはクマゼミで、朝からうるさい。と言っても嫌いなわけではなく、愛情もこもった「うるさい」と思って欲しい。
わが地域では「ワシワシ」と呼んでいた。「ワーシ、ワシ、ワシ、ワシ」と聞こえていたから、クマゼミの名前は「ワシワシ」だ。鳴き方は、鳴き方のホームページをみたりすると「シャンシャンシャン」とか書いてある。そう聞こえなくもないが、子どもの頃から「ワーシ、ワシ、ワシ、ワシ」と聞こえていたから、聞きなしと言えども、そう簡単にはかえられない。
ところで、ギャラリー周囲のモミジにアブラゼミの抜け殻が増えてきた。普段はモミジの幹にしがみついた格好の抜け殻がほとんどだが、今年は何故か葉っぱの先端にぶら下がったものばかり。昨年は外壁に幾つもの抜け殻があったが、今年はいまのところ外壁にはひとつもない。何か特別な理由でもあるのだろうか。
アブラゼミの鳴き声は「ジージージー」と聞こえる。だからアブラゼミの名前は「ジージー」と言うわけではなく、アブラゼミはアブラゼミだ。大好きな夏だが、あまり暑いと体にこたえる。






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藤野忠利展


藤野忠利展に出かけた。藤野氏は「具体」の流れをくむ作家だ。会場は宮崎県立美術館2階の県民ギャラリー。
着いたはいいが、駐車場は、入口に「満車」の赤い文字。出庫する車があるかもしれないと思い、駐車場内に車を入れてみたが、どこも車、クルマ、くるま。仕方なく、少し離れた臨時駐車場に止めた。夏休みが目の前の真っ昼間だ。夏の日差しはガンガン、日なたと日陰はコントラスト強烈この上なし。そのため、ビル陰や木陰を伝うように美術館へ足を運んだ。
会場へ入ると、まず目に飛び込んだのは子供たちの作品。藤野氏主宰の現代っ子センター生徒の作品だ。後で観ることにして、まず奥に展示されている藤野氏の作品会場へ。

なんだか明るい。以前よりとてもシンプルな気がした。自由に切り抜かれたコーヒー豆袋が、アクリルかなにかで着色され、キャンバスに踊っていた。色彩ははっきりと明るく、形はシンプル。思うままに手が動き、作品が出来上がっていったようだ。展示作品約30点の内、数点にアンリ・マティスの切り絵を観た時の感覚に似たものを感じた。そういえば、マティスの名言に「切り紙絵では色彩の中でデッサンすることができる」というのがあるようだ。「切り紙絵は、ジャズの精神と一致します。」とも。この言葉をキーワードにすれば、藤野氏の作品は、そう、即興作品と呼んでいいのかもしれない。サインが入った作品もあったが、これは少しピカソっぽかった。いい作品を作るなど思わずに、気の向くままに無心で制作に励む時に、新しい展開が出来るのかもしれない。
藤野忠利さんは、もう80才を超えた。この歳にして制作意欲衰えず、毎朝6時頃から制作されているようだ。今後の展開も楽しみにしたい。

後で観ることにした子どもたちの作品には、藤野作品に負けず、色彩も形も踊っている作品がいっぱいあった。「型にはめない、はまらない」が、藤野忠利氏の目指すところか・・・。












下記は子どもたちの作品

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みそぎ池(御池)のスイレン



ちょうど今頃が見頃のはずと思い出し、みそぎ池(御池)にハンドルを向けた。阿波岐原森林公園・市民の森の中にある池だ。最近ではパワースポットとして観光客も訪れる江田神社からは、森の中を歩いて5分。松林に囲まれ、よく整備された池だ。
宮崎市中心部などへ出かける時は、市民の森を抜ける県道を度々利用するのだが、池を目指していくのは、本当に久しぶりで、北側の駐車スペースに車を着けた。

池は一面のスイレン。まわりを歩くと、時々「ポコッ」と生き物が水に潜るような音。姿は見なかったが、以前、甲羅干しをしていたカメをみたことがあるので多分カメ。それも外来のミシシッピアカミミガメだろう。困り者のカメだが、イザナギノミコトが、穢れを祓うためにみそぎを行った池との言い伝えから考えれば、最も似つかわしくないカメとも言える。イシガメ、クサガメならいいのだが、残念ながらここにはいない感じ。うれしかったのは、一匹だけだったがチョウトンボの姿を見かけたこと。
それはさておき、雨上がりのスイレンはきれいでモネの「睡蓮」を思い起こさせた。一度行ってみる価値はある。





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木喰五智館(西都市)

螺髪(らほつ)に群青色が残る釈迦如来像

久しぶりに「木喰五智館」に出かけた。遠来から客が来ると、案内する場所のひとつだ。ただ、今回はじっくり見るために独りで出かけた。
もう10年以上も前、友人が鹿児島出身の画家を、野の苑につれてきた。宮崎にはほとんど興味はないようだったが、丸1日使って私のおすすめスポットを案内した。1日といっても、使える時間は約6時間ほど。案内したのは、佐土原人形工房、西都原、綾の照葉樹林の3カ所。宮崎のエキスと勝手に呼んでいる近場のトライアングルだ。西都原では、古墳群に加えて、すぐ近くにある「木喰五智館」も加えた。

「木喰五智館」には、木喰上人が作った5体の如来像がおさめられている。これらの像を最初に見たのはいつだったか覚えていないが、とても驚き、釘付けになった。まだ「木喰五智館」が出来る以前のことだ。誰からか、「廃仏毀釈の折りに、難を逃れるために住民が民家に隠しておいた」と聞いていた。そのため、脇に抱きかかえるほどのものだろうと思い込んでいたのだが、実物はそんなに小さなものではなかった。
1996年(平成8)に「木喰五智館」が新たに建設され、現在、まん中に3mを超える大日如来像、両脇に宝生如来、薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来の座像が並ぶ。いずれも3m近い大きさの寄せ木造りの木像だ。当初は光背があり、5mもの大きさがあったという。現在光背は無いが、釈迦如来像には螺髪(らほつ)に群青色が残り、当時の姿を思いうかがうことができる。目を凝らせば、唇に少し赤見があるようにも見える。どの如来像にも独特の微笑みを感じるが、心持ちによっては、口を「への字」に結んで、むっすりしているよに見える。不思議な微笑みだ。
木喰上人がこれらの如来像作成に着手したのは1792(寛政4)74歳のことだ。池に大木を浮かべて作ったと言われるが、身も心も大変な力を要したに違いない。

冒頭の画家、気がつくと涙を浮かべていた。案内してよかった。「木喰五智館」と共に案内した近場のトライアングル=宮崎のエキスに触れたようだった。鹿児島へ帰る際、すっかり宮崎ファンとなっていた。


左寄り宝生如来、薬師如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来像
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わらべ六地蔵


近況を聞くなかで、てっきりお店のチラシを依頼されるのかと思った。日南海岸鵜戸神宮に近い宮浦に居を構える仏師・橋口弘道さんからの電話だ。お店の名は「天部屋」、入口のドアには手の形をした木彫りの取手が付いている。店内に入るにはまず握手だ。ドアを開ければ氏の作品の他、織物、陶器などが迎えてくれる。氏の作品である仏像は、権威的なものはなく、野仏のようなものがほとんど。どれも優しさに溢れている。もうひとつ目を引くのは、大きな梁に刻まれた木彫り紋様。橋口さん手彫りのものだ。唐草模様的で、とても伸びやかで必見だ。

ところで、氏からの依頼はチラシではなくハガキだった。縁あって京都の三千院に、今春、六地蔵を納めたのだと言う。納めた六地蔵は「わらべ六地蔵」。電話の翌日、原稿と写真が届いた。「わらべ六地蔵」と言うだけあって、かわいく優しい地蔵さまだ。私の直感は、地蔵様のモデルは、氏の奥さんそのもの。後で伺ったが、その通りだった。
さてハガキの写真面、傾き等を直してトレミング。色が少し赤見だったのが気になったが、修整は最小限にとどめ、かわいさ・優しさを失わないように配した。気を使ったのはむしろ宛名面。こちらは墨1色。墨100%だときつい感じなので、文字にもアミをかけ、少し淡くした。切手の部分には、写真面の六地蔵から顔部分を丸く取り出して、こちらも薄く配置した。その上に、切手を貼るのがもったいないほどに仕上がった。

後日、休日のドライブも兼ねてハガキを届けるために「天部屋」へ。氏は、前庭で石を相手に、お地蔵さまを制作中。そして、傍らには氏の息子さん。これからは天部屋の主なのだという。
そう、「天部屋」は古い店名、新しい店名は「テンベア」。看板も新しくなっていた。それ故、作ったハガキにも勿論「テンベア」の文字。店内レイアウトもすっきりしていた。これからの展開が楽しみだ。
宮崎市から行けば、鵜戸トンネルを抜けて約1kmの左側、小布毛井公民館のとなりだ。新しくなったテンベアの看板が迎えてくれる。金・土・日のみというが、さわやかな風を感じること間違いなしだ。

都城市立美術館の前庭には、氏の不軽菩薩(ブロンス)が展示してある。
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