日頃感じたこと、思ったこと事などを書きとめておきます。
野のアザミ
柱状節理の「浄蓮の滝」
石川さゆりの「天城越え」は、やはり凄みがある。それに出てくる「浄蓮の滝」。「情念の滝」と書き間違えそうだ。高さ25m・滝壺の深さ15mで日本の滝100選。流れ落ちる滝の壁面は、熔岩が冷えて固まる時にできた柱状節理。これを見逃す手はない。渓流沿いのワサビ田も、なかなかいい雰囲気だった。
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底まで見えた忍野八海
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鍋島・龍造寺の菩提寺=佐賀の高伝寺に寄ってみた
かつて近くに住んでいたこともある。なので何度か遊びに行ったことがあるが、その頃と比べると少し荒れた感じを受けた。旧佐賀藩鍋島家と戦国期の肥前国領主龍造寺家の菩提寺・佐賀の高伝寺だ。門入り口には、鍋島家の杏葉紋と龍造寺家の日足紋が並んでいた。受付で300円を支払い、「恵日山」の文字が掲げられた大門をくぐると、正面に大きな本堂。その本堂の大きな引き戸を開けてもらい本堂に入ると、右手に国内最大という大涅槃図の入った黒い箱があった。大きい。涅槃図の大きさは、縦15.2m 横6mというから当然だ。毎年4月に公開されるようだが、大きすぎて全体の展示ができないため中心部のみのようだ。かつて九州国立博物館で修復された折に全体が公開されているが、全体が見れるような建物が現在計画されているという。是非とも実現してほしい。本堂から廊下続きのところに蔵(御堂)があった。写真はだめだったが、特別に開けていただいた蔵には、鍋島・龍造寺両家の歴代位牌がずらりと並んでいた。
龍造寺隆信の墓
堂内を一通り見終えたあと、本堂裏の墓地へ。石畳の広い墓地で、これまた歴代の墓がずらり。その中で、私の関心を引いたのは龍造寺隆信の墓。龍造寺隆信は、沖田畷の戦い(島原/天正12年・1584)で有馬晴信・島津家久連合軍に討ち取られている。その討ち取った側の家久は、わが佐土原の城主だった人だ。この戦いの後、島津勢は筑前・筑後へと勢力を拡大し九州制覇を目指すが、天下統一を目指す秀吉とぶつかることになる。そしてまた家久も、秀吉の弟・秀長に降伏後急死する。病死との説がある一方、毒殺説もあるが真相は不明。毒殺説にしても、秀吉軍説もあれば島津軍説もある。
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見たかった縄文のヴィーナスと仮面の女神
紅茶と共に軽食やお菓子を楽しむ
茅野市蓼科の温泉ホテルは期待以上。着いたのは、前日同様暗くなってから。夕食はバイキングだったが、とても美味しく、それ以上だったのが温泉。露天風呂もあり、森の中にいるようでこの上なしだった。風呂に行く途中、通路脇に土偶が2体展示されていた。国宝「土偶」(縄文のビーナス)と 国宝「土偶」(仮面の女神)だ。もちろんレプリカ。隣にあった写真と見比べてみたが、レプリカとはいえ、とてもいい出来で、写真に撮ってこなかったことを後悔している。本物は、八ヶ岳西麓の「茅野市尖石縄文考古館」だ。八ヶ岳山麓は、遺跡も博物館もたくさんだ。縄文期は黒曜石が取れたこともあり、時代の中心だったようだ。フォッサマグナの西域であり、すぐ西には「糸魚川-静岡構造線」が通っている。なので、興味津々。だが、自由がきかないツアー旅。心残りだが、今回は予備調査と考え、再訪を頭に描いた。
早朝、窓からは雲海が見えた。出発はいつもより遅い9時半。すぐ近くの英国式庭園が最初の目的地。ダリア園と聞いていたが、ダリアだけでなく、様々な花が咲き誇っていた。写真映えするので、何枚もパチリ。早めの昼食はここ。紅茶と共に軽食やお菓子を楽しむお茶会。イギリスの貴族たちのアフタヌーンティースタイルなので、ちょっと優雅な感じ。ジーンズスタイルの私にはちょっと不似合いだったが、同郷の氏と10数年ぶりに同席することができ、子供時代にもどり話しは弾んだ。紅茶とサンドなどは頂いたが、お菓子類は包んでもらった。
雲がかかっていた富士山
ちょっと怖い「かちかち山」のお話
次は最後の目的地~河口湖~ 富士山パノラマロープウェイだ。八ヶ岳連山を左に見ながらバスは快調に走った。だが、近づくにつれ晴れてはいるが少し雲が多くなってきた。途中、ガイドが盛んに雲行きを気にしていたが、着いた頃には、やはり頂上付近に雲。残念。だが富士山はやはり日本一。ロープウェイ乗り場には、外国からの人も含め人がいっぱい。15分ほど待ってどうにか展望所へ。一瞬でも雲が取れないかと思ったが、思い叶わずだった。ところで、このロープウェイのある山は、実は、昔話「かちかち山」の舞台になった天上山。子供の頃は何とも思わなかったのに、今読んで見ると、騙し合い殺し合いのちょっと怖いお話。ありゃりゃだ、
というようなことで、あとは羽田へと向かったが、都会のビル群が近づくにつれ、自然破壊の現場を見るようでもあった。
(今回の旅行記はこれでおしまい。)
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55年ぶりに上高地から見上げた穂高の山々
大正池と焼岳
もう旅行から帰って10日。雑用に追われる毎日。なので、やっと上高地編。上高地は、なんと55年ぶり。55年前は、富山県側から入り、剱岳周辺で約1週間。その後、立山、五色ヶ原、薬師岳、野口五郎岳、三俣蓮華岳、槍ヶ岳、奥穂高岳、吊り尾根、前穂高岳を経て明神岳から上高地へ降りた。今はもうそんなことはできない。だが、やはり山は呼んでいる。ということで、バスツアーで上高地を目指したというわけだ。
とはいえ、せっかくなので少しは歩きたかった。なので、大正池から河童橋まで歩くことにした。私のバスの大半は歩きを選択したが、ツアーによっては、数人しか歩かない場合もあるとのこと。バスを降りると、すぐに焼岳が見えた。今は、7合目付近まで緑に見えたが、55年前は、もっと下まですごく赤かった記憶がある。
大正池から梓川沿いは、カラマツ林を歩いたり、クマザサが生茂るところを歩いたり。途中、ハイカーや登山客とすれ違うことしばしば。時々クマベルを下げている人も。大きなクマベルがある所があった。今年は、全国的にクマ被害のニュースがとても多い。それ故か、その場所ではほとんどの人が紐をひっぱってベル鳴らしていた。当然、私も。
岩肌のウェストン碑
穂高の山々と河童橋
一息つく頃、車も通る田代橋に出た。そこから対岸へ渡り、歩を進めウェストン碑の場所へ。ウェストンは日本アルプスを世界に紹介した英国人宣教師だ。ウェストンのレリーフがはめ込まれた岩の前で、おばあちゃんが写真におさまっていた。90歳ほどに見えたが元気矍鑠。私も負けてはいられない。目指す河童橋はそこからすぐだ。対岸には紅葉前のカラマツ林。足下はエメラルドグリーンの流れ。どこまでも澄みきっていた。そういえば、上高地へのマイカー乗り入れは禁止されていた。途中からタクシーかバスにしなければならないのだ。理由は、「美しく自然豊かな上高地を維持していくため」という。どこでもこうありたいものだ・・・。
そうしているうちに、河童橋が見えた。5代目だという。だが、55年前とはえらい違い。観光客であふれていたのだ。ちょっと残念。でも私もその一人だ・・・。気を取り直して、人混みを離れて穂高の山々を見上げた。吊り尾根付近は、白い雲におおわれていたが、あそこを歩いて降りてきたのかと55年前を振り返った。
こうして目的だった上高地を終え、松本から諏訪湖をへて、蓼科の温泉ホテルへ着いた頃は、この日も暗くなっていた。
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最高に美味しかった信州味噌
初日にホテルに着いた頃は、もう真っ暗。とても大きなホテルで、棟が分かれているため中は迷路のごとし。一度部屋に入り、夕食がとれるレストランまで行くのに迷うこと2、3度。慣れるまでちょっと時間が必要だった。食事はバイキング。子供たちの元気な声の中で済ませたが、美味しかった。翌朝、出発前にホテル中庭の写真を一枚。これでホテルの雰囲気は分かるはずだ。綺麗なホテルだ。
さて2日目は、少し白い噴煙をあげている浅間山を車窓に見ながら松本市を目指した。途中、高原キャベツ畑の中を抜け、六文銭の本拠地・真田を抜け、上田から高速に乗り、千曲川を横切り、姨捨SAで小休止。「姨捨」の看板文字を期待したが、「OBASUTE」の文字のみ。「姨捨」の看板があれば、みんながその前で写真を撮るはずだ。隣には「爺捨」があったりして・・・。見晴らしが良かった。SAのすぐ下には、いっぱい実を付けたリンゴの木。そして、遠くには長野市内まで見渡せた。地図案内板には長野・善光寺もあった。歴史好きならば、「川中島古戦場跡」など、なかなか興味をそそられる所だ。「姥捨」で思い出したのは、今村昌平監督の「楢山節考」。主役に緒形拳と歌手の坂本スミ子が演じたが、坂本スミ子は、主役を演じるのは今後ないだろうからと、前歯4本を抜いて撮影に臨んだそうだ。1983年作だから、もう40年前の作品だ。プロ魂すごい。
次に目指すは、松本市内の古くからあるお味噌屋さん。ここで少し早めの昼食も取ることになっていた。着くとすぐに味噌蔵へ。大きな味噌樽が並ぶ前の説明では、天然醸造はもう1%とか。松本の話ではなく、日本中での話だ。一年経つと二年目の樽に、もう一年経つと三年目の樽に移すのだという。「力持ちが数人で樽を持ち上げ、次の樽へどっこいしょと移し替えるのだ」と笑わせる。そんなことはできない。なにせ樽の大きさは背丈以上だ。何トンかあるはずだ。実際は、職人たちがスコップでひとすくいずつ移し替えるのだ。樽は杉樽。その樽の周りを、竹で編んだ大きな輪で締めてある。一部には金属で締められているものもあったが、もう職人がほとんどいないのだという。でもこれを引き継いで行きたいのだという。そのため、日本中から職人が集まって、作ったという新しい樽が一つあった。それほど、もう職人がいないのだ。これだけで高級車が買えるほどの値段だそうだ。樽を移すごとにお味噌の色は黒みを増していくという。そして、三年目の黒いお味噌が出来上がるのだ。
さて、待ちに待った昼食。蔵の中での昼食だ。これが美味しかった。写真を撮っておけばいいのに、お箸が先に出て、写真無し。ちょっと大きなお味噌汁風のほか色々。とても美味しかった。なので、三年味噌のほかに、ゴボウの味噌漬けときゅうりの味噌漬けをお土産に買った。食レポ無しだが、これで美味しかったことが少しは分かるだろう。
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旧軽井沢で李禹煥(リ・ウファン)の絵に出会った
ジョン・レノンが愛したという「フランスベーカリー」
旧軽井沢銀座通りを歩いた。だが、田舎育ちの私には、都会っぽい所はちょっと苦手。そんな中で見かけたジョン・レノンが愛したという「フランスベーカリー」。シンプルな店構えがとてもいい雰囲気。フランスパンを抱えたジョン・レノンの姿を見たかったな〜!。でも、会えるはずないよね。熱狂的ファンに撃たれたのはもうずっと前のこと。生きていれば、もう爺さん。だが、戦火が絶えない世界に向けて、きっと希望のあるメッセージを贈ってくれたはずだ・・・。
もうひとつ目を引いたのは、いくつもあるギャラリー。4、5軒あったような気がする。ほとんどのギャラリーを覗いてみた。最初に入ったギャラリーは、藤田嗣治のものがほとんど。版画だから、それほど高くはなかったが、それでも数十万円。これはいいと思ったのはエッチンングの作品。200万円近かった。ここのギャラリーだったか、ビュッフェのものもあった。ちょっとポップな絵が並べられていたギャラリーには、バンクシーや奈良美智の作品とともに、店の一番奥にウォホールの「フラワー」があった。もっとも、オリジナルではないようであったが、しばし見入った。バンクシーは先日も大分市美術館で観たばかりだったこともあり、ちょっと食鳥気味。私と出違いに店に入ってきたのは、韓国からの若い二人。スマホ片手に、足早に店に入っていったから、あらかじめ店の情報を知っているように見えた。何か目当てがあったのかもしれない。こういう中、通りの向こうに「李禹煥展」の小さな看板が見えた。そこを覗くと、他の作家の作品の中央に、2点の作品が展示してあった。いつもながら、「空間」や「間」を感じさせる作品だった。李禹煥(リ・ウファン)、なかなかの人物だ。すごい。
「白糸の滝」
「白糸の滝」からの流れ
旧軽井沢の散歩を終える頃には、もう陽も傾き始め、冷気が降り始めていた。だが、翌朝の予定だった「白糸の滝」を、陽が沈む前に行くことになった。翌朝が楽なのだという。なので、所々に別荘が見える七曲の森の道をバスは急いだ。そして、暗くなる前に「白糸の滝」へどうにか到着。バスを降りるとすぐだった。全国に「白糸の滝」は数多あれど、幅の広さや湾曲したフォルムが人を惹きつけるのだという。幅70m・高さ3mなので、花火のナイアガラのような優しい滝だ。私的には、「白糸の滝」の滝つぼから流れ下る小さな滝の方が好きだった。こうして初日はおしまい。ホテルへと急いだ。
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懐かしいものがいっぱいの「川越」
「時の鐘」とその周辺
雑用に追われる毎日なので、ちょっと一息のつもりで「上高地」が入ったツアーに参加。2泊3日の旅だ。初日は宮崎空港を早朝出発。羽田に着いてすぐに参加者と合流、となればよかったのだが、こちらはリュックのみ。なので、荷物受け取りの人たちとは、別の出口。そのため、合流口を探すのに一苦労。でも、なんとか皆さんと合流。そしてバスへ。そこからすぐに高速地下トンネルへ。18kmだったか、日本で一番長いトンネルとか言っていたようだ。
そして着いたところが、埼玉県川越市。川越については全く知らなかった。行ってびっくり、蔵造りの建物がずらりと並ぶ江戸情緒あふれる町だった。連休あけるなのに、環境客がずらり。バスの中で「時の鐘」を教えてもらったが、そういえば写真で見たことがあるような・・・。ということで、先ず最初にそこを目指した。写真で見たのは「あゝ、ここか。」という思いで、私も角度を変えて数枚パチリ。
若い人が多い。それも二人連れ、外国からの観光客も目に付く。韓国語、英語、広東語などが耳に入ってくる。ちょうどお昼時だったので、食処を探した。朝ごはんを食べる間もなく、飛行場へ急いだので、お腹ペコペコ。運のいいことにお店はすぐに見つかった。写真には撮らなかったが、食べたのは値段もリーズナブルな「かすが御膳」。川越名物の「芋そうめん」も付いてきて、とても美味しかった。
お腹を満たしたところで、菓子屋横丁へ。金太郎飴や金平糖など昔懐かしい菓子類がいっぱい。どれも美味しそうで、安いし、買いたいものがいっぱい。だが、ぐっと我慢して、コーヒー糖だけ買ってブラブラ。最後に、少し歴史文化遺産にも触れてみたいと、「川越まつり会館」へ。ここで初めて川越の大きさを知ることとなった。なにせ、祭に使われる山車の大きさや数がとても多いのだ。九州で言えば、「博多祇園山笠」や「長崎くんち」といったところだろうか。展示してあった古い山車の絵からも、江戸期の町の規模や賑やかさを感じることができた。山車の上に乗る人形だろうか、狐の像を写真におさめ、後ろ髪を引かれながら、次の目的地・軽井沢へと向かった。
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今も弘法大師入定の高野山奥之院
勝浦港のマグロ船
3日目。バイキングの朝食を済ませ、ホテルの窓から眺めれば穏やかな湾と照葉樹林の新緑。正面右手に勝浦漁港が見える。湾にはマグロ船多数。早朝から出港するマグロ船も。防波堤では釣り人がのんびり。そうこうするうち、いつもより早い8:00出発。
行程表には、「四季折々の自然を満喫・龍神スカイライン」とあった。スカイラインを通って高野山へ向かうのだ。ところがこれが間違いだった。旅行前日は、大雨だった。なので、添乗員は傘とコートを準備するように言っていた。しかし、運がいいことに雨は早く上がり、行く先々いい天気に恵まれた。だが、先の大雨でスカイラインの一部が土砂崩れを起こし、通行止めになっていたのだ。それを運転手や添乗員が気付かずバスを進めたため、あっちに行ったりこっちに行ったりで、山の中を右往左往。予定から2時間近くも遅れ、結局、海岸近くへ出て和歌山方面から高野山へ急ぐこととなった。なので、昼食は1時間遅れ。それでも世界遺産・高野山奥の院はじっくり。参道脇には、樹齢数百年の巨杉の中に、信長や秀吉に謙信、徳川家など誰もが知る人のお墓がずらりとあった。誰でもどんな宗派でも受け入れるのだという。なので韓国からの人のお墓も。
そして空海が眠る奥之院へ。ぐるり回って地下に案内された。その先には、今も弘法大師が入定(永遠の瞑想)されているのだという。そのため毎日2回、衣服と食事が届けられているのだ。写真は不可だった。
高野山では、コウヤマキを楽しみにしていた。だが、案内の方に聞くと、ここで使うコウヤマキは別のところから採ってくるのだという。コウヤマキの巨木を見たかったのに、ちょっと期待外れ。20年ほどのコウヤマキがあったので、これだけでもと思い、写真におさめて駐車場へと帰った。そこでは、コウヤマキの苗木が販売されていた。それを眺めていた時、都城の友人が「植木市でコウヤマキの苗木が売られているよ」と電話してきた。全くの偶然だ。「今、高野山!」とは言わずに、「私の庭で3年ものがすくすく」と言って電話を切ったが、こんなこともあるものだと、今でも不思議。
行程の遅れは、大きなしわ寄せを伴った。金剛峯寺と壇上伽藍の見学はなしということになったのだ。あぁ、残念。朱色の大門など写真に収めたかったのだが・・・。それでも車窓からはどうにか確認できた。あとは急ぎ空港を目指した。和歌山を過ぎ泉南、大阪などを走り抜け、無事伊丹空港へ。そして、宮崎空港から自宅へ帰り着いたのは夜10時頃だっただろうか。こうして、2泊3日の旅は終わった。
奥之院参道
コウヤマキ
車窓からの大門
3日目は山の中を右往左往したが、思いがけず、和歌山県の照葉樹林を眺めることができた。宮崎より1週間ほど遅いのだろうか、シイ類の花がどこも綺麗だった。自分の車で行けば、かつて原発の候補地だった三重県芦浜(旧南島町・旧紀勢町)や、和歌山県日置川町や日高町なども訪ねただろう。それにウミガメ公園のある紀宝町も・・・。
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一度は行きたい那智の滝&熊野古道
落差133mの那智の滝
熊野那智大社
那智の滝を背にした三重塔
二日目午後は、一度は見たかった那智の滝や一度は歩いてみたかった熊野古道へ。三重県にさよならして和歌山県に入るとすぐだ。
まず、那智勝浦から山道を6kmほど登ったところが那智の滝だ。昼食は近くでとった。バスを降りてすぐ飛龍神社と書かれた鳥居をくぐると、左手に「世界遺産 那智御瀧」と刻まれた大きな石碑。いやが上にも心が踊る。大きな杉木立の間の石段を少し下ると、「おぉ・・・!」。ゴーゴーという音を響かせながら、流れ落ちる滝はやはり感動ものだ。落差は、日本一と言われる133m。ということで、水煙を感じながらしばし堪能。
次は、バスで少し移動しおやすみ処へ。ちょうどそこから長い石段を登ったところが熊野那智大社だ。熊野本宮大社・熊野速玉大社と共に、熊野三山の一社だ。境内ですぐに目に入ったのは胎内くぐりができる御神木の大クス。早速、他所の人が、幹にできた空洞をくぐっていた。推定樹齢850年、幹回り8.5m。平重盛の御手植と伝わるようだ。境内には、八咫烏(ヤタガラス)の銅像もあったそうだが、残念なことに、これは見逃してしまった。参加の一行は、ほとんどが、すぐ隣の青岸渡寺前の石段から降りたが、私は三重塔も見たかったのでちょっと先まで。そう、那智の滝が背景にした朱色の美しい三重塔だ。近くまで行くと外国からの観光客が盛んに写真を撮っていた。なので私もカシャッ!。
熊野古道「大門坂」
急いで皆の後を追い、おやすみ処へ。みんなはもうお茶をいただき買い物を始めていた。私も遅ればせながらお茶をいただき、その後、みんな揃ってすぐそばの観光センター横へ。そこから熊野古道を下るのだ。距離にして約600mほどだろうか。よく整備された石段の両脇には樹齢800年を越すと言われる大杉が立ち並んでいた。当時の面影が最もよく残っているところだという。名前は「大門坂」だ。私たちは下りばかりなので、以前なら走って下るところだが、連れには年配者も多い。と言っても、私もその入り口なのだが・・・。なので、竹の杖を調達して、ゆっくり慎重に。ここで転ければ、話にもならない。そして大門坂登り口へ無事ゴール。嬉しかったのは、ゴール直前、杉木立の間をゆっくり登ってくる二人の女性の姿。市女笠(いちめがさ)を被り平安衣装姿なのだ。観光用の貸衣装姿なのだが、古道にぴったりの光景だった。思わず黒澤明の「羅生門」の一シーンを思い出した。
というようなことで、那智の滝も熊野古道も満喫して午後の部を終え、南紀勝浦温泉のホテルへとバスは向かった。
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