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佐土原人形《内裏びな》



佐土原人形、郷土が誇る土人形だ。佐土原町は、2006年1月1日宮崎市に吸収合併されたが、戦国期には、ほぼ「現在の宮崎県の中心だった」と言っても過言ではない。江戸期は佐土原島津藩の中心、武士がいなくなった明治期には県下有数の商業都市へと変貌した。しかし、現在は面影が残るだけ、それも少し。物語りは山ほど。
その町に、江戸期から土人形が伝わる。“一説”には約400年前から。型取りされた土人形を素焼きし、それに絵付けされたものだ。現在、工房は2軒。江戸期からの工房はその内の1軒。江戸末期からの工房だ。そこでは様々な人形がつくられるが、今の季節は節句人形が中心だ。そのひとつに、工房初代(現在は6代目)が残した型を使って作られた「内裏びな」がある。ひな壇飾りの中心となる人形だ。ちょっと目には、おじさん、おばさんだ。それに、目線がやや下向きだ。古くさい感じもする。博多人形みたいに洗練されているわけでもない。でもなぜか惹かれるものがある。なぜか。
目線が下向きなのは、時代が違うからだ。ひな壇は畳の間につくられたものだ。それも、「内裏びな」は一番上。畳の上に座って見ると、これが不思議、ぴったし目線となる。今流行の「カワイイ!」は無いが、他の人形と相まり、ひな壇全体が落ち着く。かつては、女の子が生まれると、あちこちから“ひな”と呼ぶ様々な種類の人形が贈られたと言う。畳の間に、俵が置かれ、その上に戸板、その上にひな壇。ひな壇には、“ひな”に加えて、松竹梅や庭から掘り起こしたセンリョウやマンリョウ。脇には贈られた反物。想像してみるだけで、華やかだ。それがかつての「佐土原ひな山」。内裏びなは、その中心を務めたのだ。

佐土原人形は、縁起人形、節句人形、わらべ人形、歌舞伎人形、風俗人形というように、たくさんのジャンルがある。一般的には、“素朴で明るい”と言われるが、全国的に名が知れた歌舞伎人形は、大胆なデフォルメと色彩が魅力で、名が知れた収集家や画家などの目にとまってきた。どの人形も、宮崎・佐土原の暖かで穏やかな風土と人情の熱さを感じさせる。そういう臭いを持った人形たちだ。

佐土原のお雛様展
2017.01.19(木)ー02.27(月)
ギャラリー野の苑
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青島・鬼の洗濯板


思い立って青島に出かけた。宮崎県の代表的観光地のひとつだ。目的は「鬼の洗濯板」。最近は洗濯板と言っても通じず、「それ何?」と問い返されることもあるとか。洗濯機が普及する前の世代ならおなじみだが、洗濯に使う凸凹が波状に刻んである板だ。汚れ物に石けんをつけて、この上でゴシゴシこすれば汚れが落ちるという寸法だ。洗濯は大変な労力を必要とした。
「鬼の洗濯板」は、洗濯板状の海岸の波状岩だ。国の天然記念物に指定されている。設置されている看板には、次のようにある。

国指定天然記念物
青島の隆起海床と奇形波蝕痕
昭和9年(1934年)5月1日指定

青島周辺の岩盤は、新第三紀(2400万年〜200万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き海上に露出したものが、波の浸食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものです。
青島周辺及び日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」といわれています。

日本語の他に、英語、中国語、ハングルでも表記されている。この日、目にした観光客も外国からの方たちが多かった。時折耳に入る言葉は広東語のようであったから、香港からか。
ところで、「鬼の洗濯板」。気になっていたのは、なぜ規則的に砂岩と泥岩の互層が海の中で出来たかということ。それと岩列を横切る断層。
互層の答えはこうだ。ゆったりとした海底に濁流となった土砂が流れ込んだ。そして、その濁流は、重い砂から早く沈み、その上に泥がゆっくりと積み重なっていった。これが何回となくくり返されたのだ。しかし、濁流をくり返し起こした原因は何か。巨大台風、あるいは巨大地震・・・?
この日行った時間は運悪く満潮で、大部分の洗濯板は波の下。断層も大部分が波の下。また出直しすることとした。

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野焼き


野焼きが始まった。私たちのところでは、畦焼きと呼んでいる。田んぼのための最初の大仕事だ。農家からもそうでない家庭からも出ることになっている。近隣6地区と消防団も連絡をとりあって行う。集落総出だ。主催は農事実行組合。通称産業部。
いつも1月の後半の日曜日。今年は寒い朝となった。霜がびっしり風は無し。いい天気だ。午前9時開始。集合写真を撮った後、さっそく河川敷の田んぼ側からはじまった。ところが、火付きが悪い。まだ湿っているのだ。少し風がある方が燃えはいいのだが、その風も無い。ノロノロだ。でも、逃げ出す小動物を狙っているのかトビが空を舞い始めた。ツバメも煙の中に4、5羽。越冬ツバメか。こちらは低空飛行の超スピード。
開始から1時間半、どうにか河川敷側が終る頃、急に強い風が吹き始めた。この後、堤防の集落側法面に移らなければならないのだ。集落側は家々も近い。最も近い家の持ち主は、止めた方がいいのではと心配顔。実行組合長も続けるべきか迷うところだ。協議の末、消防担当を家の近くに待機させ、着火。こういう時は風下側からが鉄則だ。刈り倒されていた草は勢いよく炎を上げ、瞬く間に堤防法面を黒くした。次々と燃えていく刈草は、炎が強く頬に熱い。近くには寄れないほどだ。こうして小1時間、一段と風が強まったところで、再び協議。残りは後日と決定した。
改めて出なければならないが、1ヵ月前の糸魚川大火も頭をよぎったのだろう、いい決断だ。田んぼの中のビニールハウスや家を焼いてはたまらない。
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ところミュージアム大三島の「ママと私」


美術作品は野外作品など一部を除き、写真で紹介できないのが残念だ。平山郁夫美術館を訪ねた同じ日、TOKORO MUSEUM OMISHIMAを訪ねた。「ところミュージアム大三島」だ。
瀬戸内海大三島の斜面に建てられた美術館だ。現代彫刻をおさめた美術館だが、斜面に沿って建つ建物自体見る価値がある。玄関ドアは、「キッシング・ドア」“Kissing Doors”」と名付けられた作品になっている。(写真参考)
展示されている作品は、どれも優れたものだが、私が一番気に入ったのは、玄関ドアから入ると正面に展示してある「ママと私」と名付けられた作品だ。マリソール作だ。マリソールは、20世紀彫刻の中で重要な位置を占める女性彫刻家の一人だそうだ。作品を観ればうなづける。マリソールという名前は知らなかったが、美術関連図書に掲載されていた作品は、ずっと頭の中に残っていた。
マリソールにとって「ママ」はどういう存在だったのか。
ベンチに座るママの頭は黒い四角。その上には脳みそと思しき物体。日焼けしたような黒い顔の中で目に入ってくるのは真っ赤な唇と白い歯。胸から足までは四角いピンク。お腹はぐっとえぐられ、太ももにあたる部分にそっと添えられた両手。そして足の前にはきちんとした赤い靴。その「ママ」の向って右側には、少女の「私」。黄色いパラソルを「ママ」の上に掲げ持ち、ベンチの上に立っている。胴体は、緩やかなカーブを持つ台形の薄いピンク。パラソルは、表面は黄色で裏はブルーで、全体が勾玉的模様でくりぬかれている。
「ママ」の社会的位置と「私」に対する権威を象徴しているのだろうか。どうあれ、刺激的な作品だった。

ところミュージアム大三島
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平山郁夫美術館


昨年、平山郁夫美術館(広島県尾道市瀬戸田町)を訪ねる機会があった。たまたまだ。目指したのは、しまなみ海道の「島ごと美術館」。瀬戸内海の生口島にある。宮脇愛子さんや青木野枝さん等の野外作品を観たかったからだ。美術館の地図をダウンロードし、生口島に意気揚々と乗り入れた。しかしだ。作品は島のあちこちに設置してあるはずなのに、どうにも設置場所が分からない。案内を示す標識を見つけることができないのだ。多分、案内標識はなかったのだろう。二カ所ほどは見つけたが、どうにもらちがあかない。そのため、途中で案内板を見つけた平山郁夫美術館に行ってみることにした。
これは大正解。門を入ると和の庭がとても美しい。ひと時見とれた。ロビーには複製のようだが「仏教伝来」図。そして両脇に鎮墓獣像。唐代の三彩だ。三彩の作品はいくつか観たことがあったが、この鎮墓獣像には感動。三彩とはこれほどのものであったかと認識を新たにした。
そして平山郁夫氏の幼少年期や青年期の作品とともに、シルクロードの作品を拝観。中学3年の時、広島で勤労動員中被爆ということなどを知り、平和主義であった氏の原点に触れた気がした。
一度は訪れてみるべき美術館だ。

平山郁夫美術館



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さげもんの「ねずみ」


今日1月16日まで新春「仮面展」。明々後日から「佐土原のお雛様展」。郷土・佐土原に伝わる佐土原人形を中心に、木目込み人形や陶器のひな人形、それにさげもんも。
木目込み人形は、谷山晴美さん作。子どもが生まれた時、自分で人形をつくってあげたかったとして始めたそうだ。もう何十年という作家だ。デパート等で見かける人形とはひと味違い、生地選びも仕事も丁寧だ。一体一体思いを込めてつくられている。
さげもん自体は、九州では柳川市のものがよく知られるが、最近は各地のひな祭りで時折見かけるようになった。明後日から展示するのは、佐土原近郊の方がつくったもの。それが早くも届けられた。展示会会場に吊り下げただけで華やかさが増す。ひとつひとつに目を移してみても、物語りがありそうで楽しい。ねずみ年に生まれた故か、俵の上のねずみに目が止まった。で、パチり。

佐土原のお雛様展〈同時開催:佐土原人形伝承会展〉
2017年1月19日(木)〜2月27日(月)
10:00〜17:00/火・水は定休
ギャラリー 野の苑

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「佐土原人形伝承会」講座


この講座、毎月1回第2木曜日の午前に開催している。目的は、佐土原人形制作の後継ぎが不安なため、制作者育成だ。現在、佐土原人形は2工房で制作されているが、両工房とも高齢だ。
土人形は、全国どこの産地も明治・大正期に隆盛をむかえ、昭和に入り衰退期を迎えた。なくなった産地も多い。佐土原人形は、一説には約400年前から伝わる土人形だ。郷土が誇っていい人形だ。どうにか後世に伝えていきたいと思う。伝承会はそのために活動している。
会は前身の佐土原工芸会伝承部会から数えれば約10年ほどになるが、育成講座そのものは4年目だ。最初の年は、粘土で干支人形をつくり、焼成せずそれに直接絵付けを行った。2年目は干支と従来から工房に伝わる人形型を使って人形を作った。3年目は干支と創作人形。創作人形は原形、人形型、人形制作と一通りのことをやった。そして4年目の現在は、佐土原人形をよりよく知るために、古くからの人形を見ながら原形をつくり、型をつくり、人形をつくった。絵付けはそれぞれ自由とした。出来上がった人形をみると、4年目だけのことはあるが、さて展示会はどうなるか。1月19日からだ。

「佐土原人形伝承会作品展」
2017年1月19日(木)〜2月27日(月)
ギャラリー野の苑
宮崎市佐土原町下田島6854-1 TEL 0985-72-1266


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千切り大根


全国の天気は、日本海側を中心に大雪や吹雪というように荒れ模様だ。しかし、宮崎は日向いの国、晴れの日が続く。冬場は北風・西風を九州山地がブロックし、晴れの日が多い。しかし九州山地から吹き下ろす風は強い。今日も強い西風だ。
ということで、先日の「イカん手」同様、ギャラりーに行く前に「千切り」を干してきた。いわゆる千切り大根だ。写真は千切りにした大根2本分だ。自家用なので特に干し棚はつくらず、網戸を緩く立てかけて、その上に広げるだけという手抜き千切り。2本分でちょうど畳1枚分くらいの広さになる。朝干せば夕方にはそこそこ仕上がるが、仕上げのために、次の日の昼時分まで干して取り入れ。
レシピは多々あり、美味いことこの上ない。宮崎でよかった。移住者来れ宮崎。
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イカん手


昨日の宮崎はちょうど昼頃まで雨、午後曇り。今日は朝から透通ったような青空。遠くに見える九州山地も青く近くに見える。1週間程は晴れが続くようだ。
ということで、ギャラリーに出かける前に大根を薄く切り、さらに切れ込み入れて干してきた。自家消費用の通称「イカん手」。イカの足みたいに見えるからだろう、イカん足ならぬイカん手である。
天気図は西高東低の冬型。昼からは風も強くなり、燦々とふりそそぐ太陽と西からの「霧島おろし」で、うまくいけば2、3日で干し上がるはずだ。あとは水でもどし、しぼって小さく切り、昆布などとまぜ、醤油、砂糖、酢で味付けすればコリコリと歯触りよく食べられる。大きく切って甘辛く煮付けても美味しい。
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野鳥観察会


昨年、暮れも押し迫った12月26日、住んでいる集落周辺の田んぼのまわりで野鳥観察会を行った。主催は環境保全会。田んぼ周辺の生き物調査の一環だ。対象は子供会とその親。ガイドをしてくれたのは、日本野鳥の会宮崎県支部のメンバー。生き物調査は、植物、昆虫に続いて3回目。毎年1回開催してきた。
週間天気予報では予定前日と予定日は雨。その予報通り前日は雨、心配したが前日夕方の天気予報では曇り。当日はまずますの天気となった。予定では集合9時45分、10時開始。双眼鏡など身につけて集合場所の公園に急いだ。そこへちょうどガイドのメンバー。だが、子どもの姿が見えない。気は焦ったが、待つこと15分。10時には参加者がそろった。その間、ガイドは持参のフィールドスコープで竹林に止まる鳥に焦点を合わせていた。
10時ちょうどに観察会開始。最初は自然観察の注意点や双眼鏡の使い方等をガイドが説明。そしてみんながフィールドスコープをのぞく時間となった。歓声。「すぐ近くに見える。」私ものぞかせてもらった。いつも見慣れている竹に止まっているその鳥は、ツグミだった。
その後田んぼ周辺へ移動。一ツ瀬川の支流の天神川にかかる橋へ。うまくいくならカモ類が群れているはずだ。抜き足差し足忍び足でそっと近づいた。それのに、なんとこの日はゼロ。橋上から見えたのは、アオサギとアオアシシギ。加えてオオバンが見え隠れ。でも子供たちは双眼鏡で楽しそう。
橋からひと時の観察後、鉄道跡のアスファルト道へ。佐土原駅(旧・広瀬駅)と西都市杉安駅間を走っていた妻線跡地だ。片方は屋敷林、もう一方は田んぼである。屋敷林のハゼノキに小鳥の群れ。くちばしが黄色いきれいな鳥だ。夢中でハゼの実をついばんでいた。聞けばアトリだそうだ。この時間帯になると、雲が切れ青空がのぞいた。その青空を横切ったのがミサゴ。環境省レッドリストでは準絶滅危惧(NT)に分類されている。トビもゆっくり空を舞い始めた。ゆったりした時間のようだった。そして、上流側にかかるもう一つの橋へ。ここで運がよかった参加者はカワセミも。そのカワセミに一番喜んでいたのはガイドだったが・・・。きれいだったと言う。たしかにここのカワセミはきれいだ。
この日、2時間程の間に観察できた野鳥は24種。終了間際、ガイドは生態系の大切さを述べ、環境を守る大切さを説いた。



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