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比木神社、奥深し(宮崎県木城町)

 
新しくなった天井画


この写真は2020年のもの(今年のはしっかり丸かった)



Good timing とは、このことだったのだろうか。もう一ヶ月以上前のこと。『木城町を知ろう!』という企画で、最後に訪ねたのは宮崎県木城町にある比木神社。参加者20人。ちょうど地区の人たちの手で「茅の輪」が出来上がったばかりだった。「茅の輪くぐり」とは、正月から半年間の厄を祓い、残り半年の無病息災を祈願する行事だ。別名「夏越大祓」。地区の方達に促され、「茅の輪くぐり」トップバッターに。茅の輪をくぐって、左に回って右に曲がってまた左。くぐり抜けて一礼。そこで声をかけていただいたのは、地区の方達と一緒だった宮司さん。みんなが「茅の輪くぐり」を終えた後、新しくなった天井画の説明をしてくれるという。ということで拝殿へ。そこで見上げれば、色とりどりの天井画。以前のものが古くなったので、絵が大好きな人たちに天井画を描いてもらおうという大プロジェクトを立ち上げたのだという。その結果、全国から寄せられた絵は合計300枚。見ていて飽きることはない。いつでも自由に見学できるそうだ。中には西都市の画家・弥勒祐徳さんの絵もある。拝殿と本殿をつなぐ渡り殿の天井に描かれた龍の絵も見事だ。ただし、こちらは古くからの絵。




福智王のお墓と説明板

その後、鳥居横のクスの大木を背景にみんなで記念撮影。普段ならそこで神社にお別れするのだが、宮司さんが「福智王の墓を案内します」という。比木神社には、主祭神の大己貴神などの他、百済から逃れてきた福智王も合祀されている。しかし、その墓があるなどとは、思いもよらなかった。大不覚だ。歩いて2、3分。すぐそばだった。そこには大きな五輪の塔があった。比木神社、なかなか奥が深い。
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頼朝の位牌・・・?

頼朝の位牌と言われる


頼朝の墓と言われる五輪塔


千手観音


毘沙門天像


不動明王像


「海潮音」と刻まれた掲額


写真データを見ると2004年8月とあるから、以前拝観したのはもう20年近く前だ。1年に一度のご開帳。それも夕方から3時間ほど。なので、なかなか・・・。
宮崎市佐土原町西上那珂にある「平等寺観音堂」だ。不思議なところだ。頼朝の位牌があるのだ。高さが1m30cmほどもある。説明してくれた地元の方は、全国に3カ所しかないとも言っていたが・・・。表面は人が触り続けたためか木肌が見えるばかりで、何と書いてあったか全く分からない。境内西角にある小さな丘は経塚と呼ばれ、頼朝の墓だという五輪塔もある。ただ、空輪・風輪は欠けている。そして、年に一度のご開帳となるのが千手観音だ。金ピカである。その両脇を毘沙門天像と不動明王像が固めている。千手観音の手前上には、「海潮音」と刻まれた大きな掲額が掛けられている。海潮音とは、仏・ 菩薩の広大な慈悲の音声があまねく聞こえることを波の音にたとえたことばのようだ。

平等寺は、中世の時代日向国を治めた伊東氏の祈願寺であり、かつては10数町(10数ha)もの広さがあったという。創建は1191年だ。佐土原は、西都市都於郡(とのこおり)と共に伊東一族の中心の一つであった。その伊東氏を遡れば、頼朝に重用された工藤祐経に行き着く。そういうことを思えば、頼朝の位牌やお墓などがあることも少しは合点がゆく。しかし、丸に二引紋が読み解けない。
平等寺は廃仏毀釈で廃寺となり、今は観音堂だけしか残っていないが、かつては韓国の蔚山(うるさん)から伝わった梵鐘があり、村民の雨乞い、疫病払いの鐘として信仰の中心になっていたと言われる。しかし、廃仏毀釈の頃不明となり、後に古物商を通じて大阪の正祐寺の手にわたり国宝になっている。そのままであれば良かったのだが、戦災にあい、焼けて3分の1ほどになったようだ。しかし今、正祐寺には写真などから復元された修復鐘と元の破損鐘が並んで展示されているそうだ。高さ116・7cm、口径68・2cm、重さ213kgとある。渡来鐘の中でも傑作の一つとされる名鐘、一度里帰り出来ないものか・・・。
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