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佐土原を懐かしがった14代沈壽官


勝手口を上がった横にある本棚の前を通り過ぎる時、文庫本『故郷忘じがたく候』が目に入った。慶長の役で薩摩軍によって拉致され、苗代川(現・東市来町美山)の地に生き続けた人たちの痛哭の短編だ。作家は司馬遼太郎、主人公は先代(第14代)の沈壽官だ。
もう10数年前、その当人に会ったことがある。工芸家仲間などと沈壽官窯に出かけた時、受付で「佐土原からです」と言うと、当人につないでくれた。アポなしである。奥の方から作務衣姿の大きな体が現れた。仕事中だったのかもしれない。だが「佐土原」という言葉が懐かしそうで、終始笑顔で感慨深げだった。
実は、江戸期の佐土原(現・西佐土原)には、苗代川の陶工から技術を習う「苗代川焼物稽古所」なるものが開設されていた。苗代川に伝わる「古記留渡海以来の件」=寛保2年(1742)によれば、「万水、仙徳事、高岡へ壷商売に差し越し候ところ、佐土原焼き物細工仰せ付けられ、八月、林正訓願いによって差し越しつかまつり、賃米、米一斗宛て分二百文宛て下され候事、翌年亥正月朴清念へ仰せ付けられ、賃米弍朱宛て分弍百文下され候事、往来の人馬下され候事。」とある。
というようなことがあり、14代沈壽官は、自ら佐土原に足を運ばれたこともあったようだ。そのため、佐土原と聞いて、懐かしく思われたに違いなかった。
白地に金色など豪華な紋様が施された薩摩焼は、とても苦手でずっと敬遠していたが、沈壽官窯収蔵庫を見た時、薩摩焼に対する見方は一変した。そこには初代からの作品がずらりとあった。特に魅了されたのは、白地の大きな縦長の壷。温かみのある白で、それまで想像していたものと全く違っていた。他にも、沈壽官を名乗った歴代の作品はそれぞれ見応えがあり、歴代それぞれの作品に込めた思いや技術には唸るばかりだった。14代沈壽官は、2019年に亡くなられたのでもう会うことはできないが、沈壽官窯に行くことがあれば、収蔵庫は必見だ。14代沈壽官の作品にも出会えるはずだ。
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