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むくむくむくのシイタケ


今年は天気に悩まされている。子供会や老人会と一緒に、9月初めに蒔くはずだったコスモスの種も、時期が大幅にずれてしまい9月末という始末。そのため、背丈がのびないままのコスモス畑になってしまった。楽しみにしていた花見会も今年はおあずけ。自家用に蒔いた大根の種も、台風と雨にたたられ2度蒔き直し、最低限を確保しただけとなってしまった。
そういう中、ミカンの木の下の自家用シイタケがいっぱい顔をのぞかせ始めた。むくむくむく、むくむくむくだ。油断しているととんでもない大きさに笠を広げてしまう。適度になったものを収穫したが、むくむくの数を見ると、明日・明後日は食べきれない数になりそうだ。そういう時は、近所へのお裾分けか天日干しだ。干し椎茸にすると味が凝縮、一段と美味しくなる。いい気分の田舎生活だ。
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MESSAGE2017「南九州の現代作家たち」


都城市立美術館でMESSAGE2017「南九州の現代作家たち」が12月3日まで開催中だ。宮崎県内では、現代美術に関してはここが拠点のひとつだ。MESSAGE2017では、宮崎市で活動中の島嵜清史さんなど9人の作品が展示されている。


島嵜清史さんの作品

まず、前庭に展示されている「不軽菩薩」に合掌後、受付へ。菩薩像は今回の展示ではなく常設展示。受付で撮影やネット上への掲載は大丈夫か尋ねると、動画は無理だが、他は歓迎の様子。どの展示会でもこうあればいいのだが、著作権の問題等あって不可が大部分だ。今回の企画では、サテライト会場もあり、受付で案内ももらえる。

9人全員なかなかおもしろいが、男性作家と女性作家で大きな違いがあるように感じた。総体的に女性作家の仕事はどこか母性的で柔らかく、男性作家の仕事ぶりはどこか理屈っぽい感じを受けた。作品ひとつひとつの感想を書くのは大変なので、響いた作家のことだけでも書きとめておきたい。
会場でまず迎えてくれた平川渚さんの「終わらない物語」と「物語のつづき」という作品。かぎ針で太い糸を編んでつくられた作品がつり下げられているのだが、細胞のようでもあり、大きな目玉のようでもあり、また深海の魚のようでもあり、作品が作り出す影とともに想像をかき立てていた。




平川渚:「終わらない物語」 「物語のつづき」

今和泉隆行さんの空想都市「中村市」もおもしろかった。展示された大きな地図は、いつもみているGoogleマップのようだが、現実にはない都市だ。ナビでは行けない都市だ。つくりあげるには大変地道な作業がいるはずだ。それも淡々と仕事をこなさなければならない根気のいる仕事だ。仕上げるには大変かもしれないが、見る人はおもしろがる。多分、今和泉さんは中村市にナビで行けるようにするだろうと思う。企業マークや駅表示板も視覚的には完成されていた。






今和泉隆行:空想都市「中村市詳細道路地図」 「企業ロゴ」 「空想看板」

小山田徹さんのコラボ弁当もおもしろかった。その中からひとつ。説明には次のようにある。

2017.1/74
幼稚園息子弁当。娘の指示は「ぜんまい」/先日、山散歩で見つけたゼンマイだそうです。くるくると巻いた形と産毛の生えた感じがお気に入りだったそうです。一緒に歩いた幼稚園息子も大喜びでした。幼稚園の先生に弁当見せながら一生懸命説明したらしいです。


弁当全体は、私にはどれも人の顔にも見えた。両脇の蓋止めが耳のようにも見えるためだろう。「ぜんまい」弁当の顔は卵焼だが、弁当部分だけ見れば空、土はチクワの輪切り。そこに野菜でつくったゼンマイが背伸びしている。日付は現実にはない日にちなので、遊び感覚か。それにしても何とも楽しい弁当だ。大人もこれくらいの遊び心が必要だ。




小山田徹:コラボ弁当「ゼンマイ」 「おつきみ」

今回最も心に残ったのは戸髙千世子さんの作品。とはいえ、美術館自体には案内的にしか展示されていないので、別会場に足を運んで初めて本体に出会うことになる。
案内地図を頼りに展示場に出向いた。作品名は「「後久さんの田んぼ」だ。実際、そこは田んぼだった。稲刈り後の田んぼに水が張られ、その中に二枚が一対となった樹脂製の白い羽が6本ほど立てられ、水面には一本の木道がつくられていた。白い羽は遠目には白鷺のようでもあり、風が吹けばその風にそよぎ気持ち良さそうにゆっくりと動いていた。田んぼの片方は整備された広い農道。片方は小河川。その小さな川にはちょうど小さな堰があり、小さな滝をつくっていた。水面につくられた木道上のベンチから遠くを見れば、正面には霧島連山。背中側には日南方面へ続く山並み。近景として田んぼと農村集落。秋の日差しを受けた田んぼの作品は、それらと一体となって、全体を慈しんでいるようであった。ここに足を運べば、作家のみならず制作に関わった方々の感性の豊かさが感じられ、観る側もその豊かさをきっと享受できるはずだ。
何人かの方の作品への感想をとばしたが、それぞれ独自の視点で活動されていると感じ有意義だったのは言うまでもない。ぜひ、足を運んでもらいたい催しだ。






戸髙千世子:「後久さんの田んぼ」
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圧倒的荒々しさの「桜島」


思い立ったが吉日。ということで、先日桜島を訪ねた。いつもは横目に見ながら通り過ぎることばかりなので、じっくり眺めることにした。まず鹿児島市街から桜島フェリーを利用することにした。フェリー窓からの眺めは、逆光のなかでも堂々としていて美しい。裾野には多数の人家。フェリー料金は、桜島に着いてからの支払だ。普通車なので1,600円。料金所を通過して最初に目指したのは、桜島ビジターセンター。大きな施設ではないが、火山のことや桜島の歴史など学ぶことができる。 写真もOKだ。大正3年(1914)の大噴火写真も壁いっぱいに引き伸ばされている。あれからもう100年過ぎた。その時の大噴火で、噴出した溶岩が垂水市側との海峡を埋め尽くし、桜島は島ではなく半島になった。


桜島フェリーで桜島へ


大正大噴火


安永の大噴火

ビジターセンターを後にして、島の南側を走る国道224号線(溶岩道路)を半島の付け根、桜島口へと向った。左手に桜島の噴煙を眺めながらの東進だ。天気は晴れ、時折見える桜島はやはり大迫力だ。桜島を描いた人は、著名な画家から無名な画家まで数多い。やはり引きつけるものがあるのだろう。フロント越しに見える桜島は、近景になるほど大迫力だ。圧倒的荒々しさが迫ってくる。山頂に近いほど、荒々しい山肌を見せている。岩肌はどこまでも刺々しく刻まれている。この景観を前にすると、人間の何とちっぽけなことかと思う。自然というものの大きさを実感させられる。ヒトはあくまで自然の一部、自然を支配する事なかれだ。
途中、国道から逸れ、湯之平展望所へ車を走らせた。整備された上り坂を約7km。出会った車は少なかったのに、展望台駐車場はほぼ満車。大型バスも来ていたので、展望台には多くの観光客がいた。誰しも「すごいねー!」という言葉を発している。皆、桜島のパワーに圧倒されるているのだ。私も、その姿を忘れまいと、何枚も写真におさめた。ここでは古い火山ほど、刻みが深く荒々しくなることを学ぶ。若い火山は、たとえ深い谷が出来ても、次から次に火山灰などの噴出物が被っていき谷を隠していくのだ。古い火山ほど刻みが深くなるのは、人のシワと同じだ。


湯之平展望所へ


湯之平展望所より北岳山頂を望む


下の幹線道路にもどり、野尻川にかかる橋の上から桜島を眺めた。すぐ脇には桜島国際火山砂防センターが建っている。この川に限らず、どの川も桜島の河川は山頂付近を源流としている。そのため、普段はほとんど水無し川なのに、ひとたび大雨ともなれば、どこも土石流を心配しなければならない。野尻川は、その代表的な川のようだ。くり返し土石流が起きた。橋が流されたこともある。現在の橋は、以前より高く造られているようだ。橋の上から眺める川は、左下に普段の小さな流れ、その一段上に氾濫に備えたコンクリート張りの広い川床が整備されている。何事もない日の桜島は、悠然とそこにあり堂々と美しい。しかし、時に大きな牙をむき、残酷でもある。


野尻川にかかる橋より桜島を望む


また東進。林芙美子文学碑辺りは車窓からも松林が美しいが、素通りして有村溶岩展望所へ。この展望所からは、年代の違う溶岩にそれぞれの松林をみることができ、植生の変化がとてもわかりやすい。山頂や火口の近くは、山肌がむき出しだ。火山ガスや火山灰が多いためだが、展望所が近くになるにつれ、古い溶岩、昭和溶岩(1946年)、大正溶岩(1914年)それぞれの上に育つ異なる植生が観察できるのだ。桜島を一周すれば、数百年分の植生の変化を見ることもできるそうだが、今回は無理。


手前より大正、昭和、古い溶岩に生える松


様々な動物などに見える溶岩

そこを後にして、桜島が陸続きになった所へ。桜島口がその場所だが、少し通り過ぎて牛根大橋のたもとへ。ここから南側を振返ると、桜島(半島)の付け根がよく見える。東側には姶良カルデラの絶壁、西側には大正溶岩の大地。それらに挟まれた細長い湾はとても穏やかで、小さな漁船の繋留地。カルデラ壁をゆっくり観察したい気持ちもあったが、またの機会とし帰途についた。ここをあとにすると、すぐに「道の駅たるみず」だ。ここからの桜島の眺めもいい。現在活動中の南岳噴火口からは絶えず噴煙が上がっているのがよく見える。沖には養殖イカダ。ここは温泉併設の施設だから、いつもにぎやかだ。お土産コーナーも魚介類などたくさんありうれしくなる。しかし、出費が重なり財布はやせたまま。そのため、目に入った桜島名産ならぬ鬼界島産の生姜糖のみ買い求め、 国道10号線を目指した。左手の海底には若尊カルデラがひそんでいるはずだ。波の静かな日は、海上に「たぎり」と呼ぶ泡がみえるそうだ。姶良カルデラを構成するカルデラのひとつだ。姶良カルデラの超巨大噴火が約2万9000年前。その南壁で桜島が生まれたのがその約3000年後の2万6000年前。それ以降、桜島はたびたび大噴火しながら現在も活動中だ。こんなにいい教材はない。

桜島、生きているうちに大噴火を見たいような、見たくないような・・・。


牛根大橋より桜島口を望む

「道の駅たるみず」より

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ジョロウグモ


秋が深まるこの頃になると、ギャラリーの庭にジョロウグモがたくさん目につくようになった。気がつかず、巣に顔を引っかけたりするから困ってしまう。見かけもどこか毒々しいため好きになれないクモだが、気を取り直して少し観察してみた。
クモだから足は八本だが、個体によっては足が欠けているのも結構目につく。お腹を日が照る方向に向けているものが多いが、頭は全てのクモが地上の方に向けて巣の中央に陣取っていた。観察を続けていると、ふと、小さなクモに気がついた。巣の中心の大きなクモばかりに気を取られていたが、どの巣にも寄り添うように1匹の小さなクモがいるのだ。時にはひとつ網に2、3匹の小さなクモがいたりする。ひょっとすると・・・・。
調べてみると、やっぱりこれはオスだった。いつも見ていたのはメスのジョロウグモなのだ。でも余りに大きさが違うではないか。写真で見比べてもらいたい。オスはメスの網に居候し、交接の機会を待つのだそうだ。メスの攻撃性が弱い最終脱皮の間や食事時を見計らっての交接なのだそうだ。間違えばメスに食べられてしまうこともあるとか・・・・。オオコワ!。オス同士の闘争もあるようで、足を奪われたりするようだ。
ジョロウグモに生まれなくてよかった!




大きなメスと小さなオス


オスのジョロウグモ


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